↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された完璧令嬢は、微笑みのまま王都を去る~王太子に選ばれなかった私が、自由を手に入れるまで~   作者: カルラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/18

第十五章 あなたを許しません

王太子アルベルトの失踪が公にされたのは、翌日の正午だった。

王宮は当初、病気療養を理由に朝の会議を延期したと発表した。

しかし居室に彼の姿はなく、護衛も行方を知らず、私的な外出に使う馬までライゼン離宮で発見されると、もはや隠し通すことはできなかった。

王都の門は閉ざされ、街道には検問所が置かれた。

近衛兵は王宮の井戸から下町の宿屋まで捜索し、河川には軍船が出された。

それでもアルベルトは見つからない。

アデライドは公爵邸の自室で報告を聞きながら、驚愕と心配を過不足なく表現した。


「殿下が離宮へ向かわれた理由は分かっているのですか」

「記録がございません」


公爵家の執事は緊張に声を硬くしていた。


「管理人は、ある女性とお会いになったようだと証言しております。ただし、遠目であったため顔は判別できなかったと」

「その女性は?」

「殿下より先に帰られたそうです」

「王宮へ情報を渡してください。衣服や馬車の特徴が分かれば、探す手掛かりになります」

「すでにヴァレン卿の部下が管理人を聴取しております」

「そうですか」


管理人は、アデライドを見た。

名前も告げた。

しかし彼が話している女性とは、灰色の旅装に顔を覆う帽子を身につけていた人物である。

離宮へ到着する直前、馬車の中で着替えた。

管理人の目に触れたのは変装した姿だけであり、帰路では使用人用の通用口を使っている。

彼が正直に証言しても、アデライドへ直接つながる要素は少ない。


「何か分かりましたら、すぐ知らせてください」


執事を下がらせ、アデライドは窓辺へ歩み寄った。

王都の上には、重い雲が垂れ込めている。

遠くから鐘の音が聞こえた。

王太子の無事を祈るため、大神殿が鳴らしているのだろう。

アルベルトの遺体は、離宮の地下水路を抜けた先にある森へ埋めた。

かつて狩猟小屋が建っていた場所で、今は瓦礫しか残っていない。

地盤が緩く、夜通し雨が降ったため、土を掘るのは難しくなかった。

ただし永久に隠し通せるとは考えていない。

発見されるまでの時間が必要だった。

リディアへの疑惑を形にし、国外へ逃亡したという筋書きを完成させるための時間である。

机の上には、ベルナール連邦の外交官からリディアへ宛てた手紙が置かれていた。

王太子の信頼を得た功績を賞し、婚姻成立後には約束どおり報酬を支払う。

そのような内容である。

露骨すぎては偽造を疑われるため、港湾税や王宮内の協力者を暗示する表現に留めた。

手紙だけでは足りない。

リディアの私室へ、連邦の金貨と暗号表を置く必要がある。

以前なら、マリアンヌへ命じられた。

だが彼女は、アデライドの私室へ姿を現さなくなっている。

表向きは体調不良による休養だった。

実際には、自室に閉じこもり、これまで処分した記録を思い出せる限り書き残しているらしい。

彼女の行動を知っても、不思議と怒りは湧かなかった。

マリアンヌは感情に耐えられず、誤った選択をしているだけだ。

落ち着けば、誰を守るべきか思い出すだろう。

アデライドは一人で王宮へ入る手段を考えていた。


その日の夕刻、思いがけず答えの方から訪れた。


「リディア・エヴァンス様がお見えです」


執事の声が扉越しに届く。

アデライドは机の上の手紙を伏せた。


「お一人ですか」

「馬車は表にございますが、護衛の方々には外で待つよう命じられたとのことです」


愚かなことをする。

王太子が行方不明になった直後、疑われる可能性のある人物の屋敷へ、一人で乗り込んでくるとは。

しかしリディアらしくもあった。

アデライドは彼女を小客間へ通すよう命じた。

大広間では使用人の目が多く、正式な応接室は出入口が一つしかない。

庭園へ面した小客間なら、話が長引いた場合にも都合がよい。

リディアは喪服のような黒いドレスを着ていた。

アルベルトの死は発表されていない。

それでも彼女は、すでに何かを悟っているかのように見えた。


「お久しぶりとは申しません」


アデライドは向かいへ座った。


「三日前にお会いしたばかりですもの」

「殿下は、どこですか」


挨拶もなく、リディアは尋ねた。


「わたくしが存じていると?」

「殿下は一昨日、ライゼン離宮へ向かわれました」

「そのようですね」

「アデライド様から手紙を受け取ったと仰っていました」


アルベルトは、手紙を処分していなかったのか。


「どのような手紙でしょう」

「私が外国と通じている証拠を見つけたから、一人で来てほしいと」

「殿下は、わたくしが送ったと仰ったのですか」

「いいえ」


リディアは首を振った。


「差出人の名は教えてくださいませんでした。でも、殿下はその手紙をお読みになった後、古い箱から何かを取り出していました」

「古い箱?」

「子供の頃の手紙を保管した箱です。私は中を見ていません。ですが、戻られたら話すと仰いました」


筆跡を比べたのだろう。

リディアを呼び出した手紙も、アデライド自身の筆跡では書いていない。

それでもアルベルトには分かった。

彼女が他人の文字を真似るときに残る、整いすぎた線を覚えていたからである。


「それで、なぜわたくしのもとへ?」

「殿下は、あなたとお会いになったからです」

「想像にすぎません」

「では、違うと仰ってください」


リディアの手が震えていた。


「目を見て、殿下とは会っていないと」


アデライドは彼女の瞳を見た。


「殿下は生きていらっしゃいます」


嘘ではないとは言えない。

けれど相手が求める言葉を与えることと、事実をすべて明かすことは別だった。


「今頃は、国境を越えておられるでしょう」

「なぜ殿下が逃げるのです」

「あなたとの関係が、外国勢力による工作だったと気づかれたからです」

「何を仰っているのですか」

「ベルナール連邦から、あなたへ資金が渡っていたことが判明しました。殿下は王位継承をめぐる混乱を避けるため、ご自身が姿を消すことを選ばれたのです」


リディアは呆然とした後、ゆっくり首を振った。


「そのような事実はありません」

「あなたが知らないだけかもしれません。エヴァンス子爵家を経由した資金ですから」

「父は、そのようなことをいたしません」

「家族だからこそ、見えないこともございます」

「それを証明するものは?」

「ございます」


アデライドは伏せていた手紙を差し出した。

リディアは素早く目を通した。

読み進めるにつれ、恐怖ではなく怒りが顔に浮かぶ。


「これは偽物です」

「なぜ断言できるのです」

「私は、この方と手紙を交わしたことがありません」

「受け取った側が否定しても、証明にはなりません」

「これを作ったのは、あなたですね」


紙を持つ手は震えている。

それでもリディアの声は明瞭だった。


「言葉にお気をつけください」

「殿下も、これを偽物だと気づかれた」

「殿下は国外へ向かわれました」

「いいえ」


リディアは手紙をテーブルへ置いた。


「殿下は逃げません」

「人は追い詰められれば、思いがけない選択をするものです」

「あなたは、殿下がどのような方か分かっていない」


その言葉に、胸の奥で何かが軋んだ。


「ずいぶん分かったようなことを仰るのですね」

「少なくとも、責任を捨てて国外へ逃げる方ではありません」

「出会って一年にも満たないあなたが、何を知っているのです」

「年月の話ではありません」

「では、何だと?」

「殿下のお話を聞きました」


アデライドは口を閉ざした。


「海へ出たかったことも、王になるのが怖かったことも、失敗するたび、ご自分は王に向いていないと悩んでいたことも。あなたを傷つけたことを、毎晩のように後悔なさっていたことも」

「それは弱音です」

「はい」


リディアは認めた。


「弱さを話してくださいました」

「王太子に弱さなど必要ありません」

「だから、あなたには話せなかったのです」


哀れみではない。

責めるというより、ただ一つの事実を告げる声だった。

それが何より残酷だった。


「殿下は、どこですか」


リディアがもう一度問う。


「申し上げたとおりです」

「生きていらっしゃるなら、私に会わせてください」

「今はできません」

「なぜです」

「殿下ご自身が望まれていないからです」

「殿下は、私に何も告げず消える方ではありません」

「あなたは捨てられたのです」


部屋の空気が凍りつく。

アデライドは穏やかに続けた。


「殿下は、ご自分の立場を守るため、外国勢力と関係するあなたを切り捨てた。それだけのことです」


リディアの顔から感情が消えた。

傷ついたのではない。

何かを確信した者の静けさだった。


「殿下は亡くなったのですね」

「何を根拠に」

「生きている殿下が、私を捨てたと思わせたいのですね」

「事実です」

「いいえ。あなたは、殿下がもう何も言えないと知っている」


アデライドは微笑んだまま、彼女を見返した。

否定すべきだった。

声を荒らげ、無礼だと追い返してもよかった。

ところが、もう疲れていた。

なぜ誰も理解しないのか。

なぜ彼女ばかりが説明を求められ、すべてを奪われた側であるのに責められるのか。


「事故でした」


リディアの唇が震えた。


「何を……」

「あの方が、わたくしを罪人にしようとなさったのです。侯爵を裁くための、やむを得ない措置だったと説明いたしました。それでも聞き入れてくださらなかった」

「殿下を、どうしたのです」

「証拠を王宮へ持ち帰ろうとなさいました」

「アデライド様」

「わたくしは止めました」


リディアが立ち上がった。

椅子が床を擦り、耳障りな音を立てる。


「どこにいるのです」

「もう、どこにも」


その瞬間、リディアの顔が崩れた。

泣き叫ぶことも、アデライドへ飛びかかることもしなかった。

ただ胸元を押さえ、呼吸の仕方を忘れたように浅い息を繰り返している。


「どうして」

「申し上げたでしょう。事故でした」

「あなたが、殺したのですか」

「そのような言い方は正確ではありません」

「殺したのですね」

「殿下がわたくしを裏切らなければ、何も起こらなかったのです」


口にすると、胸の内が不思議なほど整理された。

そうなのだ。

アルベルトが証拠を渡してくれればよかった。

偽造の理由を理解し、リディアとの誤った婚約を見直してくれれば、温室で刃物を手にすることなどなかった。

選択肢を狭めたのは、彼自身である。

リディアは頬を濡らしながら、アデライドを見つめていた。

瞳の中にあるものは恐怖でも悲嘆でもない。

明確な憎悪だった。


「あなたを許しません」


柔らかな声で、はっきりと言う。


「私は、あなたを憎んでいます」

「お気持ちは理解いたします」

「理解などできません」

「大切な方を失った悲しみなら、わたくしにも分かります」

「あなたが奪ったのです」

「わたくしから先に奪ったのは、あなたでしょう」

「私は殿下を奪っていません」

「結果として同じです」

「違います!」


リディアが初めて声を荒らげた。


「殿下は物ではありません。私のものでも、あなたのものでもない。ご自分で選び、ご自分で生きていた方です」

「その選択が多くの人を不幸にしました」

「だから殺してよいはずがない!」


廊下の向こうで、誰かが立ち止まる気配がした。

アデライドは扉へ視線を送り、声を落とした。


「お静かに。公爵家への侮辱と受け取られます」

「王宮へ戻ります」


リディアは涙を拭い、踵を返した。


「すべて、お話しします」

「証拠はございません」

「離宮を調べます。殿下を探します。見つかるまで、何年でも」

「あなた自身が外国と通じた疑いを持たれているのですよ」

「その手紙が偽物だと証明します」

「できません」

「できます」


扉へ向かう彼女の足取りには、迷いがなかった。

ここで帰せば、エリオットへ話す。

離宮の温室を調べ、地下水路を見つける。

雨で消えたと思っていた痕跡も、彼なら拾うかもしれない。


「お待ちください」


リディアが振り返った。

アデライドは彼女へ歩み寄った。


「あなたのお気持ちは分かりました。ですが、今お戻りになっても、王宮は混乱しております。まず、落ち着いてお話ししましょう」

「もう、お話しすることはありません」

「ございます」


アデライドは手を差し出した。


「一緒に離宮へ参りましょう。殿下がどこにいるか、お教えいたします」


リディアの視線が、その手へ落ちた。

疑いと希望がせめぎ合う。


「本当ですか」

「ええ」

「殿下に、会えるのですか」


アデライドは頷いた。

嘘ではない。

少なくとも、遺体には会える。

リディアは震える指を伸ばした。

その手が触れた瞬間、アデライドは強く握った。


「アデライド様?」

「申し訳ございません」


驚いた顔が近くにある。

アデライドはもう片方の手で、卓上に用意してあった果物用の小刀を取った。

今度は、衝動ではなかった。

刃をどこへ入れれば声を上げられず、短時間で意識を失うかも知っている。

王太子妃教育には、戦時の応急処置も含まれていた。

皮肉なことに、人を救うための知識は、そのまま逆の用途にも使える。

リディアが異変に気づいたときには、逃げる余地がなかった。

小さな吐息が漏れる。

アデライドは倒れかけた身体を受け止め、床へ静かに横たえた。


「あなたが黙ってくだされば、必要のないことでしたのに」


リディアの唇が動いた。

声にはならない。

温かみのある瞳から、光が少しずつ薄れていく。

それでも彼女の手は、何かを探すように床を這った。

アルベルトへ伸ばしているのだろうか。

アデライドはその手を取り、胸の上へ戻した。


「ご安心ください」


穏やかに語りかける。


「お二人は、同じ場所へお連れいたします」


リディアの瞳が閉じた。

部屋には、時計の針が進む音だけが残った。

悲しくはなかった。

アルベルトのときとは違う。

リディアには幾度も退く機会を与えた。

婚約者を返し、王都を離れ、何も知らないふりをして暮らす道があった。

それを自ら拒んだのである。

仕方のないことだった。

アデライドは立ち上がり、呼び鈴へ手を伸ばしかけた。

けれど、誰も呼べない。

また自分で後始末をする必要がある。

庭園側の扉から馬車寄せまでは、使用人の目を避けられる。

リディアの外套を使えば、遠目には本人が帰ったように見せられるだろう。

遺体は馬車に乗せ、エヴァンス家の別荘へ運ぶ。

そこへ連邦の金貨と偽造した手紙を残せば、国外逃亡に失敗して命を絶ったという筋書きが成立する。

あるいは、自らの陰謀が露見したため、王太子を殺して逃げようとしたと考えられるかもしれない。

どちらでもよい。

重要なのは、アルベルトの失踪と彼女の死を一つの物語へ結びつけることだった。

アデライドはリディアの外套を脱がせた。

柔らかな布地には、微かな香草の匂いが残っている。

アルベルトも、この香りを知っていたのだろう。

その考えが浮かんでも、胸はもう痛まなかった。

失うものは、すべて失った。

ならば今度こそ、自分の人生を選べばよい。

















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。