20 主人公
その日は朝から少し気分が良かった。
特に何かあったわけでは……、いえ。あったと言えばあったわね。
昨日、レオン様と話した。
話している内に、もう少し世界に目を向けてみようと思った。意識して、周りを見てみれば、何かが変わる気がした。
別に、世界が灰色だった。なんて物語に登場する主人公のモノローグみたいなことを言いたいわけではないのよ?
ただちょっと見えていなかったものが多すぎるから、多くの人や物事に興味を持ち、楽しんでいるだろうレオン様の見ている世界がちょっとうらやましくなったってだけで。
とにかく、そういう気分になったから。ふわふわした、自分でもよくわからないちょっとした微熱みたいなものに浮かされて街に出たのよ。
言ってしまえば気分転換みたいなもの。たまたまちょっとした用事があって、そのついでにメイドのアニーを引き連れて城下町を歩く。
用事を済ませて、普段は自分の足で歩く機会のない石畳を確かめるようにして歩く。この、石畳を接着するセメント的なやつの微妙な隙間が、あの馬車の揺れの原因かぁ。
……自分で考えておいてあれなんだけど、世界に興味を持つって、多分こういうことじゃない気がする。
「お嬢様? お疲れになられましたか?」
「いえ、大丈夫よ。気にしないで」
一旦気を取り直しましょう。日傘をさしてくれているアニーにお礼を言って、辺りを見回す。
近くに本屋さんはないかしら。レオン様は読書家だと言っていたし、本屋さんに寄ってもいいかもしれないと思って。
家にも書庫はあるけど、所謂流行り物や大衆向けの物語は少ないだろうし、背表紙を眺めるだけでも何か変わるかもしれない。
そんなことを考えながら気の向くままに街をぶらぶらしてみる。時々、アニーに目に付いた店の詳細を聞きながら。
なんだか、こういう街歩きって久々ね。前世から割とインドアな方だったけど、会社への行き帰りとか生活用品の調達で街に出向く機会自体はあったし。
等間隔に並んだ石畳。温かみのある色の煉瓦でできた建物。色とりどりの花の咲いた花壇。何とも平和な街並みだなぁ。
読んでいた辺りまでのストーリーに、王都に瘴気が溢れるような展開はなかったけど、可能な限り危険なことや怖いことは起きないでほしい。折角綺麗な街並みなのだし。
「──」
そんなことを考えながら街を歩いていると不意に、懐かしい声が聞こえてきた。
いえ、声自体は知らない人の声だと思う。多分、若い女性のもので遠くの方から微かに聞こえている。
でも重要なのはそこじゃない。
その声、というか原語。
日本語だ。
「何か聞こえない?」
「何か、ですか?」
「ええ。歌みたいな、多分こっちのほう」
「え、お待ちくださいお嬢様」
街の音にかき消されそうになっているけど、間違いなくこれは日本語で、歌だ。それに、時々英語も混じっている。
どういうこと? 私みたいな人が他にもいるの? いえ、詳しいことは後でいい。今はただ、日本語話者がこの世界にいるという事実を確認したい。
逸る気持ちを抑え声のする方へ。
歩き難い石畳の隙間にヒールが取られそうになるけど、それでも。
はしたなくならない程度に早足で、建物の角を曲がる。少し高い塀の向こうに、背の高い建物が聳えていた。
声は少しずつ大きくなっている。この向こうに、私の知らない、それでもつながりのある誰かがいる。
塀をぐるりと回り、入口へ。見上げた建物はどうやら教会らしい。
荘厳な佇まいの教会の裏から、幼さの残る柔らかく可愛らしい声が風に乗って私の下まで届いていた。
「裏から、聞こえているみたいですね」
「そうね。入っても大丈夫かしら?」
「教会ですので、恐らく大丈夫だと思いますが……行きますか?」
「うん」
……あの、アニーにも頷いてさぁ行くぞってなっているところ申し訳ないんだけど、多分私、この曲知っている
最初はわからなかったんだけど、間違いなく知っているのよ。え? どうするの? これ。
別にね、この曲が大衆向けの曲なら、いくらでも感動の出会いを演出できる自信があったわ。
いくら長らくミゲル様以外に興味を持たない生活をしていたからって、そういう情緒が欠け落ちていたわけではないもの。
お互いの状況に同調して、懐かしいねって。またあの曲聞きたいねって、言い合える自信があったのよ。
でも、この教会の裏手にいる女性が歌っているのは、下手なアイドルグループよりも楽曲の多い中学生スポーツプレイヤーの曲なのよ。
しかもミュージカルの方!
こんなところでオタクと邂逅するとかどういうこと?
懐かしいねって、またあの曲聞きたいねって。確かに言い合えるけど、お互いの属性がオタクな以上、それは望郷の言葉じゃなくて、ただのオタトークになるのよ。
え、えぇ? 確かにあのミュージカルは頭一つ抜けて有名だったから幾つか楽曲は知っているけど、言うほど舞台にはハマり切れなかったタイプなのでちゃんと話せるかしら? いえ、嫌いではなかったし、食わず嫌いはダメよね。
気持ちを落ち着けるため深呼吸をしてから、教会の建物沿いに裏手へと回る。
そこにいたのは、ストロベリーブラウンの髪を肩に付くほどに切りそろえた可愛らしいお嬢さん。私もよく知った、ゲームプレイヤーアバター。
所謂私がプレイしていたゲームの主人公にして、ヒロインの女の子だった。
え、どういうこと!?




