第26話 怪しすぎる二匹の旅猫 後編
「それじゃ、それぞれのエリアについて説明するぞ」
ディエゴはさっきまでの魚の名前の話を切り替えるように、少し真剣な顔になった。
「まず南側。ここはいくら組が仕切っているエリアだ」
「いくら組……」
まだ名前には慣れない。
「南側には宿が多い。それと、郷の出入り口もここにつながってる。お前たちも最初は南側から入ることになるはずだ」
「じゃあ、最初に行く場所なんだね」
せいかが頷く。
「ああ。ただし、入り口では検問がある」
「検問って何やるんだ?」
前で手綱を握っているむねゆきが尋ねた。
「大したことじゃない。郷に来た目的を聞かれて、入国税を払う。それくらいだ。よほど怪しいことでもしない限り、入るのを断られることはない」
「よかった……」
ぼくは少し安心した。
人間だとバレないように気をつける必要はあるけど、普通にしていれば入れそうだ。
「南側は観光客や出稼ぎに来る猫も多い。だから宿はたくさんあるが、時期によってはすぐ満室になるぞ」
「だったら、着いたらまず宿を探した方がいいね」
せいかが言う。
「賛成!」
知らない町で寝る場所がなくなるのは困る。
「次は北側だ」
ディエゴが続ける。
「北側はまぐろ組が仕切っている。ここは商売の中心だな。店も多いし、道には露店がずらっと並んでる。毎日祭りでもやってるみたいににぎやかだぞ」
「行ってみたい!」
らいがが目を輝かせた。
ぼくも少しわくわくする。
いろんな猫が集まるなら、陽だまりのジュースを試すにはぴったりかもしれない。
「じゃあ、ぼくたちも北側で売るのがいいのかな? お店を出すためのルールとかあるんですか?」
「そこまでは俺も分からないな」
ディエゴは首を横に振った。
「実際に露店を出してるやつに聞いてみるといい。勝手に場所を使っていいわけじゃないだろうからな」
「そっか」
着いたら調べることがまた一つ増えた。
「まあ、お前たちが行くことはないと思うが……残り二つのエリアについても説明しておく」
「行くことはない?」
その言い方が少し気になった。
「まず西側。さんま組が仕切っている地域だ」
ディエゴは指を一本立てる。
「ここには役所や警察なんかの施設が集まってる。それと――巨大なカジノがある」
「役所とカジノ?」
むねゆきが不思議そうな声を出した。
「なんでそんな真逆みたいな建物が同じエリアにあるんだ?」
「役所といっても、他の町ほど力はない。ほとんど飾りみたいなものだ。西側はカジノが中心のエリアだと思った方がいい」
「え? 大丈夫なの?」
思わず聞いてしまった。
役所や警察があまり力を持ってないなんて、ぼくにはちょっと想像できない。
「各エリアは独立性が高いんだ」
ディエゴは淡々と答える。
「何か問題が起きても、大抵はその地区を仕切る組が自分たちで解決する。住んでるやつらにとっては普通のことだ」
「へぇ……」
「他の町から初めて来たやつは、みんな驚くけどな」
なんだか聞けば聞くほど変わった町だ。
四つに分かれているだけじゃなく、それぞれが小さな町みたいになっているのかもしれない。
「そして――」
ディエゴの声が少し低くなった。
「最後が東側だ」
さっきまで寝転がっていたトニーが、ほんの少しだけ目を開けた気がした。
「東側は、かつお組が管理している」
「どんなところなの?」
せいかが尋ねる。
ディエゴはすぐには答えなかった。
少しだけ間を置いてから、静かに口を開く。
「――スラム街だ」
「…………」
馬車の中の空気が変わった。
「スラム街……」
らいががさっきまでとは違う、緊張した声で呟いた。
「カジノがあるんだ……。当然、貧しいやつらが暮らす場所だってあるってことか」
前で手綱を握るむねゆきの言葉に、ディエゴがゆっくり頷いた。
ぼくはちらっとトニーを見る。
「…………」
トニーは仰向けに寝転がったまま、馬車の天井を見つめている。
何も言わない。
「怖いね……」
せいかが小さく言った。
「ま、ぼくたちには関係ない場所だよ」
ぼくはなるべく明るく答えた。
せいかもいるんだ。
絶対にそんな危なそうな場所には行かない。
「各エリアの説明は、こんなところだな」
ディエゴが話を締める。
「じゃあ、郷に着いたら、まず検問を突破して宿探しだね」
せいかが指を一本立てる。
「そのあとは北側に移動して、陽だまりのジュースを販売開始だな」
むねゆきも前を向いたまま言った。
「北側へ行くなら、西側を通るのがおすすめだ」
「西側?」
「ええ。東側は危険だからな。なるべく近づかない方がいいと思うぞ?」
やっぱりそうなんだ。
「あのさ……」
一つ気になったことがあって、ぼくは口をはさんだ。
「一つの町を四つの組が仕切ってるんでしょ? 勝手に別のエリアへ行っても大丈夫なの?」
「問題ない」
ディエゴはすぐに答えた。
「昔は違ったけどな。領土を広げるために、それぞれのボスを中心にした抗争が何度もあったらしい」
「抗争……」
急に怖い言葉が出てきた。
「でも今は、郷全体の発展を第一に考えるようになった。一般の住人や観光客がエリアを行き来するのは何の問題もない」
「よかった……」
ぼくはホッと息を吐いた。
『組』なんて聞いたから、もっと怖い町を想像してたけど……。
案外ちゃんとしてるのかもしれない。
「四つのエリアには、今もボスがいるのか?」
むねゆきが尋ねる。
「いるぞ」
ディエゴは迷わず頷いた。
「どのボスも、それぞれのエリアの住人から尊敬されている方々ばっかりだ」
「けッ……」
「ん?」
突然、変な声が聞こえた。
見ると、トニーが寝転がったまま顔をしかめている。
「……なんでもねぇよ」
なんだ?
「まあ、会うことはないと思うが……名前くらい覚えておいてもいいかもな」
そう言ったディエゴが、らいがを見た。
そして――ニヤッ。
「なんだ?」
「実はな……ボスたちには、かっこいい二つ名があるんだぞ?」
「二つ名!?」
らいがが食いついた。
ぼくも思わず体を乗り出す。
「どんな名前ですか!?」
「よく聞いてくれた!」
ディエゴが急に元気になった。
さっきまでの真面目な説明はどこへ行ったんだ。
「まずは、まぐろ組!」
バッ!
ディエゴが片手を前へ突き出す。
「灰銀の庇護者――『アントニオ』!」
「おおーーー!」
思わず声が出た。
「かっこいい!!」
らいがの目もキラッキラだ。
灰銀!
庇護者!
なんだそれ!
めちゃくちゃかっこいい!
「次は、いくら組だ!」
ディエゴもぼくたちの反応がいいからか、どんどん調子に乗ってきた。
「緋色の女帝――『れいか』!」
「女帝……」
せいかが少し驚いた顔をする。
「女のボスか! すごいな!」
むねゆきまで、馬車を操りながら声を弾ませた。
「まだまだいくぞ! 次は、さんま組!」
ディエゴが立ち上がり、なぜか腕を大きく広げた。
「黄金の聖者――『サイモン』!」
「黄金!?」
ぼくの声が裏返る。
「カジノがあるからだよ! こうた!!」
らいがが興奮しながらぼくの肩をバシバシ叩く。
「いや、絶対それが理由とは限らないだろ!」
「でも黄金だぞ!?」
「黄金だけど!」
なんだろう。
ものすごく男心をくすぐられる。
「そして――」
ディエゴが急に声を低くした。
「最後は……かつお組」
ゆっくり顔を上げる。
そして、バッ! とマントでも広げるような謎の決めポーズ!
「漆黒の異端――『ヴィーノ』!」
「最高だ!!」
「かっこいい!!」
ぼくとらいがの声が同時に響いた。
「漆黒だぞ、こうた!」
「しかも異端だよ!」
「絶対強い!」
「絶対強いよね!」
怖い。
スラム街のボスなんだから、たぶんすごく怖い猫だ。
なのに――。
(ちょっと会ってみたい……!)
だって『漆黒の異端』だよ?
一体どんな猫なんだろう。
黒い服とか着てるのかな。
ものすごく大きな武器とか持ってたりして――。
「…………」
その時。
ふと、横から視線を感じた。
「ん?」
ぼくとらいがが同時に振り向く。
そこには――。
「…………」
せいかがいた。
ものすごく冷たい目で、ぼくたちを見ていた。
僕たちは、少し騒ぎ過ぎたみたいだ…
「おいおい、ディエゴ。ちょっと盛りすぎじゃねーか?」
「え?」
今まで寝転がっていたトニーが、むくっと起き上がった。
「おやじ……」
さっきまでノリノリだったディエゴが、急に冷静な顔に戻る。
「え? 今のウソなんですか?」
らいがの耳がしゅんと垂れた。
「せっかく覚えようと思ったのに……」
「いや、ウソってわけじゃねぇよ」
トニーは頭をかきながら、呆れたように言う。
「確かに郷の連中には、そう呼ぶやつもいる。特にボスたちにに憧れてる連中とかな」
「じゃあ本当なんだ!」
らいがの耳がピンッと戻った。
「まあな」
トニーはそう言いながらも、なんだか面白くなさそうな顔をしている。
(やっぱり……)
ぼくはトニーをじっと見る。
さっきボスたちの話が出た時も、「けッ」なんて言ってた。
もしかして、トニーは四人のボスに何か思うところがあるのかな?
「だがなぁ……」
トニーがニヤリと笑う。
「このボスたちには、裏の呼ばれ方もあるんだぜ?」
「裏の呼ばれ方?」
ぼくが聞き返した瞬間――。
「おやじ! やめてくれ!」
ディエゴが慌てて止めた。
けれど、トニーは気にしない。
「まずは、まぐろ組!」
わざとらしく低い声を出す。
「雲隠れの――アントニオ!」
「え?」
さっきまでの『灰銀の庇護者』はどこに行った?
「ずいぶん雰囲気が変わるな……」
むねゆきも困ったように言った。
「次! いくら組!」
「おやじ……」
「怪力ゴリラ女の――れいか!」
「怪力……」
らいががポカンとする。
「ひどい……」
せいかまで顔をしかめた。
「そして、さんま組!」
トニーは止まらない。
「操り人形の――サイモン!」
「…………」
ディエゴはもう止めるのを諦めたのか、やれやれと首を横に振った。
どうやら一度こうなったトニーを止めるのは無理らしい。
「そして最後!」
トニーが立ち上がった。
さっきディエゴがやっていたみたいに、ビシッと決めポーズを取る。
「かつお組! お花畑の――ヴィーノ!」
「…………」
「…………」
「…………」
馬車の中が静まり返った。
さっきまであんなに盛り上がっていたのに。
「……あれ?」
トニーが決めポーズのまま固まる。
ぼくたちの反応が思っていたのと違ったらしい。
「ゴホン!」
トニーは気まずそうに座り直した。
「ま、噂なんて大抵、よく言うやつと悪く言うやつがいるんだ」
そして、急に大人っぽい顔でニコッと笑う。
「片方だけを信じると危ないぞっていう、おじさんからのアドバイスだ」
「…………」
なんか無理やりいい話にしたぞ。
ぼくはちらっとディエゴを見る。
「……まあ、おやじが言った呼び方も、一部の方たちが使っているのは本当だ」
「本当なんだ……」
「ただし!」
ディエゴがぼくたちをビシッと指さす。
「絶対に郷で口にしたらダメだぞ?」
「え?」
「ボスたちに憧れている方たちが聞いたら、本気で怒り出すこともある」
ディエゴの顔は真剣そのものだ。
(言えるか!!)
ぼくは心の中で思いっきり突っ込んだ。
そんな危険な呼び方、誰が好き好んで言うんだ。
「うぅ……」
隣では、らいがが頭を抱えていた。
「どうしたの?」
「せっかくのかっこいい名前……忘れちゃった……」
「えぇ……」
「え~っと……灰銀の……庇護者……と……」
らいがが指を折りながら必死に思い出す。
「怪力の……女帝?」
「らいが! 混ざってる!!」
せいかが慌てて突っ込んだ。
「え!?」
「それ絶対言っちゃダメなやつだよ!」
「じゃ、じゃあ……緋色のゴリラ?」
「もっとダメ!!」
「絶対にダメだからな!!!」
ディエゴまで身を乗り出して叫んだ。
「わ、分かりました!」
らいがが背筋を伸ばす。
……大丈夫かな。
エンタメの郷に入る前から、なんだか色々と心配になってきた。
その時だった。
「ん?」
前で馬車を操っていたむねゆきが声を上げた。
「おーい。あれ、遠くに見えるの町じゃないか?」
「えっ!?」
ぼくは急いで馬車の前へ顔を出した。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
森の木々の向こう。
ずっと遠くに、大きな山が見えていた。
そして――。
「あれが教会……?」
山の頂上には、大きな建物が建っている。
遠くからでも分かるほど立派な教会だ。
その下には、山の斜面に沿うように建物がぎっしりと並んでいた。
家。
大きな建物。
高い壁。
細い道。
ここから見えるだけでも、とんでもない数だ。
「すごい……」
村長さんの村とは比べものにならない。
モカの家がある森なんて、もっと静かだった。
こんなに大きな町を見るのは、この世界に来て初めてだ。
「大きいね……」
隣に来たせいかが、同じ景色を見ながら言った。
「うん……」
ぼくはそれしか答えられなかった。
あそこが――エンタメの郷。
ぼくたちが陽だまりのジュースを初めて売る町。
急に胸がドキドキしてきた。
「よっこらせっと」
後ろでトニーが立ち上がる。
「じゃあ、俺たちはこの辺で降ろしてもらうかな?」
「え?」
らいがが振り返った。
「一緒に行かないんですか?」
ディエゴに尋ねると、ディエゴは少し困ったように笑った。
「まあ……色々あってな」
「色々?」
「…………」
ディエゴはそれ以上答えず、遠くに見えるエンタメの郷へ目を向けた。
トニーもさっきまでのふざけた顔とは違い、静かに町を見つめている。
「あー、そうだ! せいかちゃん!」
急に何かを思い出したように、トニーが声を上げた。
「はい?」
せいかが不思議そうに振り返る。
「昨日のベーコン、美味かったからな。お礼だ」
「お礼?」
トニーはスーツのポケットに手を入れると、何かを取り出した。
キラッ。
「わぁ……」
銀色のペンダントだ。
小さいけれど、日の光を受けてキラキラと輝いている。
「ほら」
「え?」
トニーはせいかの前へ立つと、そのペンダントをそっと首にかけた。
「え!? こ、こんな高価そうなもの頂けません!」
せいかが慌ててペンダントを外そうとする。
「いいって、いいって」
トニーは笑いながら手を振った。
「そんな大したものじゃねーよ。お守りみたいなもんだ」
「お守り……」
せいかは胸元のペンダントを両手で包むようにして見つめた。
それからトニーの笑顔を見る。
「……ありがとうございます」
嬉しそうに笑った。
「…………」
まただ。
なんだろう、このモヤッとした感じ。
「いいなー!」
らいががトニーの前に飛び出した。
「トニーさん! オレには?」
「男にはねーよ」
「えーーー!?」
トニーは素早く帽子を深くかぶる。
「またそうやって……」
ぼくは呆れたように呟いた。
「心配いらねーよ」
「え?」
横を見ると、ディエゴがニヤニヤしながらぼくを言った。
「何がですか?」
「いや、別に」
「ぼ、僕は別に……」
「…………」
なんだ、その顔!
「じゃあな、ガキども!」
突然、トニーが大きな声を上げた。
「エンタメの郷、楽しんで来い!」
そう言うと、まだ走っている馬車の荷台に片足をかける。
「え?」
せいかが目を丸くした。
「ちょ、ちょっと待て! 今止まる――」
前からむねゆきの慌てた声が聞こえる。
けれど。
「とうっ!」
ヒュッ!
「ええっ!?」
トニーは走っている馬車から飛び降りた。
帽子が飛ばされないように片手でしっかり押さえ、もう片方の腕でバランスを取る。
風でスーツがなびく。
(おお……!)
なんだかんだ言っても――。
やっぱり、この猫かっこいい!
スタッ!
……と着地するのかと思った次の瞬間。
「おわっ!?」
トニーの足元に小さな石があった。
グキッ。
「うおおおおお!?」
ズザザザザザーーーッ!
「「えーーーーー!?」」
ぼくとらいがの声が重なった。
トニーは盛大に地面を滑っていく。
「おやじ!!」
ディエゴが慌てて荷台から飛び出した。
「ちょっ、ディエゴさんまで!?」
ヒュッ!
スタッ!
こっちは完璧だった。
ディエゴはすぐにトニーへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「いててて……」
トニーが腰を押さえながら起き上がる。
「だから二日酔いなんだから、無理しないでくださいって言ったのに……」
「うるせーー!」
トニーが顔を真っ赤にして叫んだ。
「今のは石が悪い!」
「石のせいにしないでくださいよ!」
馬車はその間にも、ガタゴトと先へ進んでいく。
「トニーさーーーん! ディエゴさーーーん!」
らいがが荷台から大きく身を乗り出した。
「またねーーーー!!」
「おう! またなーー!」
ディエゴが大きく手を振り返してくれる。
「お世話になりましたー!」
せいかも手を振った。
「ありがとうございましたー!」
ぼくも二匹に向かって声を上げる。
トニーは――。
「…………」
こっちに背中を向けたまま、片腕だけを高く上げた。
そして、グッとこぶしを握る。
なんだか映画の最後みたいだ。
最後の最後まで振り返らず、かっこよく去っていく。
……はずなんだけど。
「…………」
さっき豪快に転んだせいで、スーツの背中からお尻にかけて、茶色い土がべったりついている。
「…………」
ぼくは手を振りながら、遠ざかっていくトニーを見つめた。
(なんか……最後まで締まらないな……)
それでも。
トニーとディエゴの姿が見えなくなるまで、ぼくたちはずっと手を振り続けていた。
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