第22話 モカのお願い 前編
「こうちゃん、飲み物いる?」
せいかがコップを差し出してきた。
「ありがとう……」
ぼくはそれを受け取る。
冷たい飲み物が喉を通る。
だけど気持ちは全然晴れなかった。
周りを見ても同じだった。
誰もしゃべらない。
いつもなら騒がしいドラも静かだ。
レオも。
らいがも。
らいねも。
みんな黙って座っている。
猿たちとの戦いを終え、ぼくらはキャンプ地へ戻ってきた。
戻ってきた瞬間、全員が限界だった。
ぼくもドラもレオも、らいがもらいねも、その場で倒れるように眠った。
まるで泥になったみたいに。
そして目を覚ました今でも、体中が痛い。
腕も足も思うように動かない。
少し動くだけで傷がうずく。
それくらいギリギリの戦いだった。
誰か一人欠けてもおかしくなかった。
でも。
奇跡みたいに全員で帰ってこられた。
運がよかったんだ。
本当にそう思う。
ぼくらが眠っている間、セバスチャンとむねゆきは猿たちの洞窟を調べてくれていた。
結果は驚くものだった。
猿たちは跡形もなく消えていたらしい。
洞窟にも。
森の中にも。
一匹もいなかった。
おそらくボス猿が生き残った仲間たちを連れて、もっと森の奥へ移動したんだろうという話だった。
その時だった。
「戻ったぞー」
むねゆきの声が聞こえた。
顔を上げる。
でもいつもの元気な声じゃない。
どこか力がなかった。
一緒にいたセバスチャンとまおも同じだ。
表情が暗い。
「どうだった?」
ひかりが静かに尋ねる。
まおは何も言わず首を横に振った。
「そっか……」
ひかりが小さく呟く。
その言葉だけで十分だった。
みんな理解した。
動ける仲間たちが中心になって、毎日シトロンさんを探している。
だけど。
何も見つからない。
本人も。
手がかりも。
一つも。
あの日。
シトロンさんは中猿を抱えたまま崖へ飛び込んだ。
あまりにも深い崖だった。
下をのぞくだけで足がすくむ。
崖の下を探すことなんてできない。
だから仕方ない。
仕方ないんだけど――。
ぼくはモカのことを考える。
戻って来てからシトロンさんのことを何も話していない。
今のモカの気持ちを考えると胸が苦しくなる。
シトロンさん。
本当にもう会えないのかな。
そんな考えが頭から離れなかった。
「みなさん、お腹すいてませんか?」
モカがいつも通りの明るい声で言った。
「大丈夫だよ。ありがとう」
レオがみんなを代表するように答える。
「そうですか! じゃあ私はテントの掃除をするので、何かあったら声をかけてくださいね!」
モカはにこっと笑った。
そして、そのままテントの方へ歩いて行ってしまう。
その姿が見えなくなると――。
「はぁ……」
誰かが小さくため息をついた。
今の問題はこれだった。
目の前で唯一の肉親であるシトロンさんが、自分を守るために崖へ飛び込んだ。
あんな衝撃的な出来事があったのに。
モカは悲しむ姿を誰にも一度も見せていない。
泣きもしない。
怒りもしない。
ただ黙々と家事をしている。
まるで感情を閉じ込めてしまったみたいに。
「モカ……無理してるよね……」
せいかがぽつりと呟く。
「そうだね……」
ぼくも静かに答えた。
周りのみんなも神妙な顔をしている。
ふと考える。
シトロンさんにとって、モカはどんな存在だったんだろう。
避難を嫌がるモカを叱ったシトロンさん。
落ち込むモカを放って一人で出かけていたシトロンさん。
そして――。
「モカのことを家族だと思ったことは一度もない」
そう言い切ったシトロンさん。
でも最後は。
モカに何かを囁いて。
中猿を抱えたまま崖へ飛び込んだ。
何だったんだろう。
本当はモカをどう思っていたんだろう。
なんであんな迷いのない顔ができたんだろう。
聞きたいことは山ほどある。
だけどもう本人はいない。
もっと話をしておけばよかった。
そう思わずにはいられなかった。
ぼくたちは猿との戦いに勝った。
猿たちは森の奥へ消えた。
仲間も誰一人欠けなかった。
本当なら最高の結果のはずだった。
なのに。
シトロンさんはいなくなった。
モカは心を閉ざしてしまった。
「僕たちの戦いは……無駄だったのかな……」
気づけば口からこぼれていた。
その瞬間。
せいかがぼくの手をぎゅっと握った。
「え?」
驚いて顔を上げる。
せいかは真っ直ぐぼくを見ていた。
「世の中、無駄なんてこと何もないんだよ?」
強い口調だった。
「でも……」
言い返そうとして言葉が止まる。
せいかの表情がそうさせた。
まるで、
『それ以上、言ってはダメ』
と言っているみたいだった。
悔しい。
戦いには勝ったのに。
誰も幸せにできなかった。
自分にもっと力があれば。
もっと強かったら。
そんな考えばかり浮かんでくる。
その後。
ぼくは何も考えたくなくて、キャンプ地の端に座り込んだ。
遠くでは風が木々を揺らしている。
だけど、その音さえどこか遠くに聞こえた。
猿たちとの戦いが終わって数日。
久しぶりにせいかの作った燻製肉が晩ご飯に並んだ。
猿たちが森をうろついていた頃は、煙が上がる燻製なんて作れなかった。
煙を見つけられてキャンプ地の場所がばれるかもしれなかったからだ。
でも今は違う。
ようやく安心して火を使えるようになった。
だからこそ、せいかも久しぶりに燻製肉を作ることができたんだ。
「おいしい!」
モカが目を輝かせる。
「なにこれ!? こんな料理初めて食べました!」
テンション高く感想を話すモカに、せいかも少しだけ笑顔になる。
「えへへ、よかった」
ドラもレオも、むねゆきも、「やっぱりこれだよ」と言いながら食べていた。
だけど。
どこか空気は重かった。
みんな同じことを考えている。
シトロンさんのことだ。
当のモカだけが、無理をするように明るかった。
晩ご飯が終わり、一息ついていた時だった。
「あの……みなさん」
モカが立ち上がる。
その声にみんなが顔を上げた。
さっきまでの明るい表情はない。
真剣な顔だった。
「お願いがあります」
「どうしたの?」
せいかが優しく尋ねる。
モカは下を向いた。
小さく肩が震えている。
「あの……もしお邪魔じゃなければ……」
一度言葉を止める。
そして意を決したように顔を上げた。
「みなさんの旅に、私を連れて行って頂けないでしょうか?」
一瞬。
時間が止まったようだった。
「え……?」
思わず声が漏れる。
ドラも。
レオも。
まおも。
誰も何も言えない。
モカはぎゅっと服を握りしめていた。
不安そうな目で、ぼくたち全員を見つめている。
キャンプ地は静まり返った。
確かに。
猿たちとの決戦前、ぼくたちはモカのこれからについて話していた。
もしモカが望むなら、一緒に旅へ連れて行こう。
そんな話もしていた。
だから。
今のモカの願いを断る理由なんてないはずだった。
なのに。
なぜだろう。
胸の奥に小さな引っかかりを感じる。
きっとみんなも同じなんだと思う。
だから誰もすぐに返事ができなかった。
「いきなりどうしたの?」
せいかが優しく尋ねる。
モカは少し困ったように笑った。
「おじさんもいなくなってしまいました。この広い森で一人で生きていくなんて無理です。だからって一人で旅立つことも出来ません」
そして小さく息を吐く。
「みなさんと一緒に旅立つしか私は出来ないんです」
その言葉に誰も返せない。
すると、ひかりが静かに口を開いた。
「シトロンさんのことはどうするの? どこかで生きていて、こちらに向かっているかもしれません」
その瞬間。
モカの顔がぴくりと引きつった。
ほんの一瞬だったけれど、ぼくには分かった。
「みなさんは……私が一緒だと迷惑ですか?」
不安そうな声だった。
「そうじゃないの!」
まおが慌てて首を振る。
「ただ、今回の戦いで色んな事が起きたでしょ? もう少し時間をかけて考えてもいいんじゃないのかな? って思って言ってるの!」
真剣な表情だった。
だけど。
その言葉を聞いたモカの肩が震え始める。
「だって……だって……」
小さな声が漏れる。
ぼくは静かにモカを見る。
「モカの思っていること、全部話してくれないかな?」
モカはしばらく黙っていた。
そして。
ぽろりと涙をこぼした。
「私は……猿たちに、お父さんとお母さんが残してくれた家を壊されました」
また一粒、涙が落ちる。
「陽だまりの木も折られました」
声が震える。
「唯一の家族だったおじさんも奪われました」
今まで見たことのない表情だった。
「もうここには何もありません」
モカは涙を流しながら顔を上げる。
「ここは私が生まれた場所だけど、ここにはつらい思い出しかありません!」
声が少しずつ大きくなる。
「早くここを離れて全部忘れたいんです!!」
そして。
何度も何度も頭を下げた。
「おねがいします!! 私を一緒に連れて行ってください!!」
「何でもします!! 絶対にご迷惑はかけません!!」
「だから……お願いします……お願いします……」
「もうやめて!」
せいかが立ち上がった。
そして、そのままモカを強く抱きしめる。
「もういいよ……もう無理しなくていいから……」
せいかも泣いていた。
その言葉を聞いた瞬間だった。
「おじさん……なんであんなことしたの…」
モカの顔がくしゃりと歪む。
「おじさん……おじさーーん!!」
膝から崩れ落ちた。
「ワーーーン!!」
今まで押し殺していた感情が一気にあふれ出したみたいだった。
大声で泣き続けるモカ。
せいかは何も言わず、ただ抱きしめ続けている。
気づけば、まおも涙をぬぐっていた。
らいねも泣いている。
レオは顔を背けていた。
ドラも黙ったまま焚き火を見つめている。
ぼくも涙が止まらなかった。
モカは失いすぎた。
家を失った。
陽だまりの木を失った。
そして目の前でシトロンさんを失った。
それでもずっと笑っていたんだ。
ぼくたちに心配をかけないように。
そう思うと胸が苦しかった。
その夜は誰も旅の話をしなかった。
次の日の朝。
ぼくは一人で森を走っていた。
猿たちはいなくなった。
森に危険はない。
だから久しぶりに朝のランニングを再開した。
ぼくはまだまだ強くならないといけない…
走りながら、昨日のモカのことを考える。
正直、モカを一人でここに残すなんてできないと思っている。
一緒に旅へ行くしかない。
でも今のままじゃ駄目だ。
今のままだとモカはずっと僕たちに気を使いながら旅をすることになる。
それは違うと思った。
昨日、モカは言っていた。
ここから早く離れて全部忘れたい、と。
だけど。
ここはモカの故郷だ。
全部忘れてしまうなんて、あまりにも寂しい。
「何とかできないかな……」
走りながら空を見上げる。
そして自然とシトロンさんのことを考えた。
最近、ずっと思っていることがある。
シトロンさんは本当はモカを誰より大切に思っていたんじゃないか。
そうじゃなきゃ。
あんな迷いのない顔で崖へ飛び込めるはずがない。
「せめて何か証拠でもあればな……」
その時だった。
ふと、一つの考えが浮かぶ。
「よし、行ってみるか!」
ぼくは足を止めた。
モカの家だ。
猿たちに壊されたあの家。
そこに何か残っているかもしれない。
シトロンさんの気持ちが分かる何かが。
「やるだけやってみよう」
そう呟くと、ぼくはモカの家へ向かって走り出した。
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