第20話 しゃべる猿 中編
「キキ?!」
中猿の顔に初めて驚きが浮かんだ。
ぼくは構わず踏み込む。
こいつは危険だ。
絶対にここで止めないといけない。
周りがゆっくり流れる世界の中で、ぼくは木刀を振り続けた。
「うおおおおっ!!」
バシッ!
肩に当たる。
バシッ!
今度は腕だ。
次々と攻撃が決まる。
中猿は後ろへ下がりながら目を見開いていた。
「オ…マエ…ツヨイ…ツ…ヨイ」
そして突然、手を叩きながら喜び始める。
まるで遊園地に来た子供みたいだった。
気味が悪い。
ぼくはさらに距離を詰めた。
今だ。
今なら倒せる。
そう思った。
バシッ!
また一撃が決まる。
今までと同じだ。
ゾーンに入った僕に勝てる奴なんていなかった。
攻撃は見えている。
体も動く。
このまま押し切れる。
そう思った時だった。
ぞわっ――。
背中に嫌な感覚が走る。
なんだ?
中猿は攻撃を受け続けている。
なのに。
全然苦しそうじゃない。
「キキ♪ キキ♪」
むしろ楽しそうに笑っている。
倒れる気配がまるでない。
ぼくは再び飛び出した。
世界は相変わらずゆっくりだ。
中猿の肩が動く。
腕が振り上げられる。
全部見えている。
だから避けられる。
今までならそうだった。
なのに――。
ブンッ!
木刀を振る。
中猿の顔に当たるはずだった。
だが中猿は首をかしげるようにして避けた。
「なっ……!?」
ゆっくり見えている世界の中で。
中猿だけが少しずつ追いついてくる。
まるで。
ぼくの見ている景色を同じように見ているみたいに。
ぞわりと背筋が冷えた。
「うおおおっ!!」
焦って木刀を振る。
一回。
二回。
三回。
全部見切られる。
避けられる。
止められる。
中猿の笑みがどんどん大きくなる。
「デキ…タ……デキ…タ……」
嬉しそうに手を叩く。
そして――。
中猿の右腕が動いた。
見えている。
見えているのに。
体が反応できない。
いや、違う。
ぼくが避ける場所を読まれているんだ。
ぼくが左へ逃げる。
その先に拳が来る。
右へ逃げる。
そこにも拳が来る。
まるで未来を知っているみたいに。
「うそだろ……」
次の瞬間。
ドゴォッ!!
「ぐぁぁっ!!」
視界がひっくり返った。
壁に叩きつけられる。
息ができない。
そして視界の先で――。
中猿が満面の笑みを浮かべていた。
「ワカ…ッタ……ワカッタ……」
その言葉を聞いた瞬間。
ぼくは初めて理解した。
こいつは戦いながら強くなっている。
しかも。
ものすごい速さで。
「くそっ……なんだこいつ?」
壁に手をつきながら立ち上がる。
ゾーンに入っているおかげか、恐怖はない。
でも焦りだけはどんどん大きくなっていく。
目の前の中猿は強い。
強すぎる。
ぼくは再び地面を蹴った。
バシッ!
木刀が中猿の肩を打つ。
だが次の瞬間――
ドゴッ!
中猿の拳がぼくのわき腹にめり込む。
「ぐっ!」
吹き飛ばされそうになる体を無理やり立て直す。
また踏み込む。
また殴られる。
攻撃を防がれれば、中猿の攻撃を避ける。
攻撃が当たれば、向こうの攻撃も当たる。
まるで終わりのない打ち合いだった。
「くそっ! くそっ!」
思うように戦えない。
焦れば焦るほど攻撃が雑になる。
それでも止まれない。
一方の中猿は楽しそうだった。
「タ……ノシ……イ……タ……ノシイ」
笑いながら拳を振るう。
そして――
ドゴォッ!!
「がはっ!」
またしても拳が決まる。
ぼくの体は洞窟の床を転がった。
立ち上がろうとしたその時だった。
ぐにゃり――。
世界がゆがんだ。
ゆっくりだった景色が元の速さに戻っていく。
耳の奥で響いていた静寂も消えた。
「まずい……」
ゾーンが切れた。
その瞬間。
「ゲホッ! ゲホッ!」
激しく咳き込む。
息が吸えない。
全身の筋肉が悲鳴を上げる。
指一本動かせなかった。
「こうた! 深呼吸だ!」
遠くかららいがの声が聞こえる。
中猿は不思議そうな顔でぼくを見ていた。
「苦しい……息が……」
頭ははっきりしている。
でも体が動かない。
動け。
動け!
こいつはここで倒さないと。
せいかが危ないんだ。
必死に命令する。
なのに体はぴくりとも動かなかった。
「ハァー……」
中猿が大きくため息をつく。
そしてゆっくりこちらへ歩いてきた。
「何をするつもりだ!」
らいがが叫ぶ。
中猿は無視した。
「アホ猿! 次は俺が相手だ! こっちに来い!!」
らいがが必死に叫ぶ。
それでも中猿は止まらない。
ぼくの目の前まで来ると、片手でぼくを持ち上げた。
まるで荷物でも持つみたいに。
そして反対の腕を大きく振り上げる。
「オマエ……コ……ワレタ……モウ……タノシ……ク……ナイ」
どこか悲しそうな声だった。
次の瞬間――
ゴンッ!!
「ぐはっ……!」
ぼくの体は吹き飛んだ。
洞窟の壁に激突する。
「こうたーーー!!」
らいがの叫び声が響いた。
全身が痛い。
どこが痛いのかも分からないくらい痛い。
だけど頭だけは妙に冷静だった。
ぼんやりと天井を見上げながら思う。
ああ――。
僕、こいつに負けたんだ……。
僕はこいつに食われるんだ……。
不思議なくらい冷静だった。
息は少しずつ整ってきている。
でも体は動かない。
全身が鉛みたいに重い。
木刀を握る力も残っていない。
とてもじゃないけど反撃なんてできそうになかった。
中猿がゆっくり近づいてくる。
残念そうな顔を浮かべながら。
「ごめんね……せいか……」
思わず言葉がこぼれた。
その瞬間だった。
「ウォーーーー!!」
らいがが立ち上がった。
傷だらけの体で中猿に飛びかかる。
「キー……」
中猿はめんどくさそうに顔をしかめた。
そして軽く体を動かすだけで攻撃を避ける。
らいがは何度も飛びかかる。
でも当たらない。
全部見切られていた。
「逃げろ……頼む……逃げてくれ……」
僕は力を振り絞って呟いた。
その時だった。
キラッ。
洞窟の端で何かが光った。
「あっ……」
むねゆきが置いていった回復薬だ。
まだ残っている。
あれを飲めば――。
もしかしたら。
僕は必死に腕を伸ばした。
這うように前へ進む。
でも全然進めない。
「急げ……急げ……」
後ろでは鈍い音が響く。
らいがのうめき声も聞こえる。
らいがが傷ついている。
わかっているけど振り向く余裕なんてなかった。
今は回復薬だ。
それだけを目指して進む。
すると。
「キャーーー!!」
悲鳴が響いた。
入口を見る。
らいねだった。
目の前の光景に固まっている。
「こうたさん!」
すぐに駆け寄ってきた。
「回復薬がそこに……取って……」
「これですね!」
らいねは回復薬を拾い上げた。
その時。
「オ……マエ……ナニ……シテ……ル」
中猿が気付いた。
ゆっくりこちらへ向かってくる。
「口に……入れて……」
僕は口を開いた。
らいねが急いで回復薬を流し込む。
半分くらいはこぼれた。
でも確かに飲めた。
濃くて甘い味が口いっぱいに広がる。
そして熱が体中を駆け巡った。
中猿がらいねへ拳を振り下ろす。
「さ…せるか!」
僕は何とか立ち上がった。
近くの木刀を拾い、受け止める。
腕がしびれる。
正直、立てるようになっただけだ。
万全には程遠い。
それでもやるしかない。
中猿は一度距離を取った。
その隙にらいがを見る。
血を流しながら倒れている。
体がぴくぴくと震えていた。
胸が締め付けられる。
「らいね!」
僕は叫んだ。
「僕の頭に乗って!!」
「え!?」
らいねが目を丸くする。
「早く!!」
もう一度叫ぶ。
らいねは慌てて僕の頭の上へ飛び乗った。
「らいねの力をめいっぱい僕に流して!!」
「そんなことしたら……!」
らいねの声が震える。
危険だと分かっているんだ。
でも――。
「頼む!!」
僕は叫んだ。
前にらいがとやった合体技。
今度はらいねとやる。
成功する保証なんてない。
でも。
今、この場で中猿を止める方法は――
もうそれしか残っていなかった。
「いきます!」
らいねがぼくの頭の上で叫んだ。
次の瞬間。
じわっ――。
足のあたりが温かくなる。
回復薬で少し動けるようになった体に、さらに力が流れ込んでくる。
「よし……!」
思わず笑みが浮かぶ。
らいがと試した時と同じだ。
これならいける。
そう思った。
だが。
「あれ……?」
足だけじゃない。
熱がどんどん上へ登ってくる。
ふくらはぎ。
太もも。
お腹。
胸。
腕。
まるで体の中に熱い川が流れ込んでいるみたいだった。
らいがの時はこんなことはなかった。
「らいね……?」
頭の上を見上げる。
するとらいねは目を閉じたまま呟いていた。
「もっと……もっと……」
らいねの声が震えていた。
まるで必死に何かを守ろうとしているみたいに。
さらに力を送り込んでいる。
「お、おい! そんなに――」
言い終わる前だった。
バリッ!!
青白い火花が腕から飛び散った。
「えっ!?」
さらに。
バリバリッ!!
今度は肩から。
背中から。
全身から電気があふれ出す。
洞窟の空気が震えた。
木刀の先からも雷が走る。
「な、なんだこれ……!」
自分でも驚く。
だが不思議と怖くない。
むしろ体が軽い。
さっきまでの痛みが遠くへ消えていく。
バリバリバリッ!!
そのうち雷はぼくの周りをぐるぐる回り始めた。
まるで雷そのものを身にまとっているみたいだった。
中猿も見とれていた。
「オッ……オッ……」
ぽかんと口を開けている。
さっきまで余裕たっぷりだった顔が消えていた。
ぼくは木刀を握り直す。
体の奥から力があふれてくる。
なんでなのか分からない。
でも確信だけはあった。
闘える。
まだ闘える。
「よし!」
ぼくは中猿を見た。
「らいね、いくぞ!」
「はい!」
頭の上から元気な返事が返ってくる。
その瞬間。
中猿も笑った。
さっきまでの不気味な笑顔じゃない。
強い相手を見つけた時の笑顔だった。
「キキッ!!」
中猿が地面を蹴る。
ぼくも同時に飛び出した。
洞窟の床が砕ける。
青白い雷が尾を引く。
拳と木刀。
中猿とぼく。
洞窟の中で――。
ついに本当の最終決戦が始まった。
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