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伊勢平定戦
美濃攻略戦とは別に動く部隊がいた
滝川一益を総大将とする伊勢攻略を任とする攻撃隊
信長は東の背中の三河を押さえ
北に斉藤家に侵攻、更に西の腹背の敵、北畠に神戸家も
滅亡させる事も重要な事だった
北の斉藤家への攻撃のみと油断させて速攻が効果をあげ
員弁に桑名の二郡は勢力下に入れた、しかも、さすが滝川である
高松城を力攻めで神戸氏の宿老、山路弾正を討ち取った
のち美濃が織田家に落ちた報を聞くと以前より準備していた
神戸具盛との和議をすすめ、三男(信孝)を養子に
北畠家に、次男(信雄)を養子に入れ伊勢は織田信長に平定された
力を使わず計略による養子取り組み作戦は信長本人の知恵ではあるが
時期を早めた同意見を進言した長秀、和希の姿が清洲城のある夜に
あったのは信長と長秀、和希に、これを見てる読者だけしか
知らないのは言うまでもない。
伊勢平定は美濃攻略作戦と同時期に開始し同11月末に終結している。




