第3章 片足の鳩
「もう、何とかしてほしいわ」
退屈な大講堂での授業中、恵美莉は春樹と一緒に出席していた。
「みのりのことか。相当困ってるみたいだな」
「みのり? じゃなくって、ポーリーのこと」
「あの外人、また問題起こしてるの?」
「そうじゃなくって、私を見つける度に、変な日本語の練習しに来るのよ」
「どんな?」
「昨日は青いTシャツで近寄ってきて、『美味しい煎餅を見つけました』って」
「ただの世間話じゃん」
「それがそう簡単にいかないのよ」
恵美莉はポーリーのしぐさと表情を真似ながら、わざとたどたどしく
「ソレハ、トテモ美味シー、オ煎餅デスノデ、日頃ヨリ、オ世話ニナッテイル、高田先生ニ、1枚、アゲタッタ。って」
「ハハハハハ、あげたった!?」
「そのニュアンスの違いを訊いてくるのよ。面倒臭いことに」
「おもろいペットができたじゃん」
「みのりに押し付けたいわ」
「みのりも面倒だな。お金無いなら無いで、返済待ってもらえばいいのに」
「そんなことしたら、大学まで取り立てに来られたら困るんだって」
「・・・新しい彼氏にバレるから?」
「そうみたいよ。でも新しい相手が誰か、まだ教えてくれないのよ」
「恵美莉にも言えない相手って誰だ? ひょっとして先生とか?」
恵美莉はその言葉にギクッとした。自分も桧垣助教授との間に秘密を抱えているからだ。それを知られるはずはないのだが。
「そ、そうじゃないでしょう。・・・さすがに」
「まさか、佐々木じゃないだろうな」
「え? 佐々木先輩?」
佐々木は春樹の友達で、みのりの剣道部の先輩の小峠主将とも仲がいい相手だ。
「うん。あいつ最近彼女と別れたはずなんだけど、また忙しそうにしてっからな。小峠とは(絶対怪しい)って噂してたんんだ」
「みのりと佐々木先輩なら、私たちに内緒にしそうよね」
「そうだな。それ当たってんじゃねえか?」
「そういえば、返済してること、春樹君には内緒にしてって言われてたんだった」
「そんな約束、守ってないじゃないか」
「へへ、忘れてた。きっと佐々木さんに伝わったら困るからよ」
「間違いないな」
「それに初めてカラオケ合コンした日、みのりは佐々木さん狙いだったし」
「へえ? そうだったの?」
「あたしは春樹君目当てだったけど♡」
恵美莉が春樹の腕に抱きつくと、春樹は少しニヤけた。
「探ってみようか。みのり最近、授業の合間に行方不明になるのよ」
「まさか、佐々木のマンションに行ってるんじゃないか? 正門のすぐ前だし」
「二人とも同時に消えたらビンゴね。へへへへへ」
恵美莉はみのりの受講する教科の時間割を、おおよそ把握している。春樹は同じく佐々木の時間割を知っていた。その二人が同時に空き時間となるタイミングを探し出すのは、意外に簡単だった。
「今日じゃん。二人とも授業がないのは3時限目だ」
「さっき、みのりと昼休み一緒に食べたら、あたしは春樹君のとこに来たでしょ。でもその後みのりは、一人でカフェテリアにいるんだと思ってたけど、どこ行ってんでしょうねぇ~」
二人は顔を見合わせて笑った。
「俺、3時限後に正門辺りで見張ってようか」
「うん」
恵美莉はこういうことが大好きな女子なのだ。
昼からの講義が一つ終わると、桧垣助教授が担当する学生相談室が開錠される。恵美莉はその受付のバイトの準備をしないといけないが、それまでには30分も時間があった。
最近はこの時間潰しを、自販機の前のテーブルではしていない。ポーリーがドリンクを買いに来ると面倒だからだ。そこから少し離れた、中庭のベンチに一人座っていると、
(あ、いた。あんなところに・・・)
反対側の花壇の縁に、ポーリーが座っているのが見えた。
(やっぱりリアルゴールドの紙コップを持ってるな)
ポーリーが、お腹に担いだリュックから、何やら取り出した。
(またあの格好? 変なリュックの担ぎ方。それに今日はピンク色のTシャツ?)
彼の前には鳩が数羽歩いている。
(はは~ん。鳩にエサをやるつもりね)
ポーリーは、リュックから出したスナック菓子を細かく砕いて撒き始めた。
(餌付けする気?)
そうしていると次から次に、鳩が飛んで集まってきた。
(なんだありゃ、鳩使いか?)
そのうちにとんでもない数の鳩が集まり、周囲に学生たちも集まってきた。
(何やってんだか)
恵美莉はそれを遠くから眺めていたのだが、ふとポーリーが恵美莉に気がついた。
(あ、見つかった。知らんふりしよう)
ポーリーが軽く手を振った。
(知らんぷり、知らんぷり)
恵美莉が反応しないので、ポーリーは鳩を脅かさないように、ゆっくりと大きく手を振った。
(やめてよ、周りの人がこっち見てるじゃない)
それでも気づかないふりをする恵美莉。でもその態度は白々しく見える。今これだけ注目を集めるポーリーに、気づかない学生などいるはずがない。
(ああ、やめろよ本当に)
ついにポーリーが立ち上がった。紙コップを口に付け、リアルゴールドを飲み干すと、右手の人差し指を一本立てて、左の下腹部に当て、そこから勢いよく腕を振り上げた。
「行ケーーーーーーーー!!」
と大声で叫び、まっすぐに恵美莉を指差すと、鳩の大群は驚いて飛び立って、一斉に恵美莉の方向に飛んできたのだ。
(な、ん、な、な? 何すんじゃい!!)
その群れの後をポーリーも走ってくる。鳩の大群が恵美莉のベンチの上を、バサバサと通過していく。
「きゃーーーー!」
その間、恵美莉は肩をすくめ、両足を浮かして、ベンチにお尻で浮かぶように座って、その恐怖をやり過ごした。
「エミリー! 何ヲシテマスカ?」
タタタタタと、ポーリーは眉を寄せて走ってきた。
「貴様こそ、何してくれとんじゃい!」
中庭は大きな笑いに包まれた。しかしポーリーには、そんな周囲の様子は見えていないらしい。さも当然のように恵美莉の横に座り、またいつものように真顔で、
「聞イテクダサイ。私ハ、ハトガ好キナノデス。家デハ、タクサン飼ッテイマス」
「はぁ? 鳩なんか飼ってんの?」
「ハイ、ハトハ、トテモ賢イ生キ物デス、知ッテマシタカ?」
ポーリーはまた、地面にスナック菓子を撒き始めた。
「まあ、伝書バトに使われるくらいだからね」
「デンショ? 鳩レースノコトカ?」
「ええ、レースもできるのよね」
「ソウデス。千キロノ遠クカラ帰ッテキマス」
「千キロも!?」
「デモ、時々、帰ッテコナイ時、有リマス」
「ふーん。逃げちゃうのか」
「違イマス! ハトハ家ニ、帰リタイノデス!」
突然、険しい表情になるポーリー。
「何よ怒らないでよ」
また周囲の地面に鳩が下りてきた。
「家ニ帰ル途中デ、イーグル(鷹)ニ、狙ワレルノデス」
「ええ? 食べられちゃうの?」
「ソウナノデス」
「可哀そう」
「トテモ可哀ソウで、涙ガ、チギレマス」
「・・・いや、涙は千切れない」
「チギレルデショ?」
「そんな表現はない」
「アレ~? 確カ、涙ガチギレル?・・・チチギレル?」
「ちょちょぎれる?」
「ソウデス。悲シクテ、涙ガ、チョチョギレマス」
(面倒だから聞き流そう)
ポーリーはスナック菓子を全部撒いて、袋を空にした。
「野鳥にエサやったらダメなんだよ」
「ヤチョウ?」
「自然の鳥のこと」
「ドウシテデスカ?」
「自然の状態じゃなくなるからじゃない?」
「街ノ中デハ、自然ガ足リマセン。人ガ世話スルハ、イイコトデス」
「そうじゃないんだ。糞をしたり。鳴き声がうるさかったり・・・」
「ソレクライ平気デス」
「でも、日本じゃダメなのよ」
納得がいかない様子のポーリー。撒いたスナックをついばむ鳩たちをじっと見ている。
(生き物との接し方は、自然豊かなカナダとの違いなのかしら。ポーリー、案外いいやつなのかもね)
恵美莉も文化の違いを実感し、外国人に日本人のモラルを押し付けることに疑問を感じたのだった。しばらく沈黙が続き、二人は鳩の食事を見続けた。するとその中に、変な歩き方をする一羽がいることに気づいた。
「あれ? その子、片足がないわ」
「ソウデス」
「どうしたのかしら? 鷹に襲われたのかな」
「自然ニハ、危険ガ、イッパイアリマス」
「歩きにくそうだし、痛そうね」
「キット痛カッタ。足ヲ切ルナンテ」
「・・・かわいそう」
「!!! ナンデ、カワイソウ!!?」
突然、ポーリーの声の調子が変わった。
「え?」
「何ガ、カワイソウデスカ!!?」
ものすごい剣幕で、顔を真っ赤にして怒るポーリーに、恵美莉は圧倒された。
「だ、だって足が無くなったのよ!」
「デモ、ガンバッテル!
一生懸命ガンバッテル!!
ナノニ、カワイソウハ失礼!!!」
「・・・・・・(ポーリー・・・)」
「エミリー、応援シテアゲテクダサイ」
この後、恵美莉はポーリーから目を逸らすことができなかった。真剣に怒る理由を二次的にではあるが理解して、そんなポーリーに対する印象が180度変化したのだった。




