第2章 ゴキブリ
キャンパスをみのりが徘徊している。キョロキョロと辺りを気にしながら、小走りに動く理由は、恵美莉を探しているのだ。
そんな中、恵美莉が迂闊にも、みのりの前方を横切った。
「恵美莉ーーー!」
みのりはまっしぐらに近づいてくる。それに気づいた恵美莉は、逃げようかと考えたが、大声で追いかけられるとカッコ悪いので、踏みとどまった。
「恵美莉! ハアハアハア、今一瞬逃げようとしたでしょ」
「ええ! そんなことしてないよ。みのりこそ昼休みどこ行ってたのよ?」
「お願い、頼みがあるの。お金貸して」
「もーう! 血相変えて・・・先週もそれ言ってたじゃない」
恵美莉は歩き出した。
「毎週1万円ずつ必要なのよ。返済に」
「返済? 元カレに取られてるんでしょ」
「返さないと別れてくれないんだよぅ」
「もう、放っときなよ」
「新しい彼にバレたら嫌だもんんんn・・・」
「何がよ?」
「まだ元カレ引きずってるって知られたら、捨てられそうじゃない」
「まだそんな程度の付き合いなの?」
「う~ん、実はぁ、別れる前にぃ、付き合い始めたからぁ」
みのりはシナを作って巻き舌で言った。
「相手には付き合ってる人いないから、って言ったんだね」
「そう。解るぅ?」
「じゃ自業自得! 自分で何とかせよ!」
恵美莉は歩くスピードを速めた。
「待って、お願い! 5千円でいいから」
「無理! あたしのバイト代、月に3万くらいしかないから」
恵美莉は1年生の時から、大学構内にある『学生相談室』の受付のバイトを続けている。以前は実家のパン屋の手伝いもしていたが、週末は春樹と会うために、最近はサボりがち。
「もう、お悩み相談室のバイト変えれば?」
「いやよ、なんであんたのために! 桧垣先生と一緒の仕事、楽しいもん」
「あんた、桧垣先生とちょっと怪しいんじゃない?」
「桧垣先生だーい好き!」
「ほらほら、否定しない。菅生君(春樹)に言っちゃうぞー」
「別にいいよ。あたしらそんなことぐらいで、別れたりしないもーん」
実際には、恵美莉は桧垣助教授との間には秘密があった。でもこれは誰にも内緒である。
「エミリー」
この声は・・・
「あ、ポーリー。元気?」
「ハツラツデス。モウ昼ゴハン食ベマシタカ?」
嬉しそうに近づいてくるポーリー。今日は赤いTシャツを着ている。
「もう昼休みは終わるよ」
するとみのりが驚いた顔して、
「あの? ポーリーさん。私覚えてる?」
「誰デスカ?」
「みのり、ポーリー知ってるの?」
「うん、剣道部。体験入部に来てたでしょ?」
「アア、剣道部ノ女サムライ!」
「面かぶってるから顔覚えてないか」
「全然、眼中ニナイデス」
「・・・ころすぞ」
「我慢我慢。ポーリー、時々日本語おかしいから」
「昼ゴハン食ベテマセン」
「あたしは食べたわよ。お腹空かないの?」
「誘ってくれてんじゃないの?」みのりが可笑しそうに笑うと、
「武士ハ食ワネド、高楊枝」
「これよ。これが言いたかっただけみたい」
恵美莉はポーリーを指差して説明した。
「高楊枝ト、爪楊枝ハ、何ガ違イマスカ?」
「両方爪楊枝のことよ。エラそうに見栄を張る態度を高楊枝って言うの」
「ソウデスカ。武士ハ偉イデスネ」
「面倒なことばっか、訊いてくるな。貴様」
「私ハ偉クナイノデ、貴様デハアリマセン」
「はいはい」
「チョウドヨカッタ。質問ガアリマス。剣道ノ人ハ、取リ敢エズ、日本刀持ッテマスカ?」
「日本刀? 本物は持ってないわよねぇ、みのり」
「持ってるわけないじゃん。竹刀だけだよ」
「私、オ土産ニ、買イタイデス」
「無理でしょ。どこに売ってんのか知らないわよ」
「ソウデスカ、探シマスカ?」
「いやよ、ハンコみたいに」
「オウ! 先日ハ付キ合ッタノ、ウレシカッタ」
「あんたら、付き合ってんの?」
みのりがちょっと引いた。
「そんなわけないじゃない! ポーリー、ちゃんと説明しないと誤解するでしょ」
「ハンコ買ウ、付キ合イデシタ」
「そうそう。で、ちゃんと口座作れた?」
「万事ヌカリナク」
「難しい日本語選んで使ってんなぁ?」
「でも、恵美莉はポーリーさんと、どうやって知り合ったの?」
「へ? 知り合ったていうか。なんとなく目に入ってきただけよ、コイツ」
「“コイツ”デハナク、正シクハ、“コヤツ”デスネ」
「コイツでもコヤツでも同じ意味よ」
「同ジ意味デスカ? 違イハナイデスカ?」
「まったく同じ意味」
「ジャナゼ、2コノ言葉アリマスカ? 不必要ジャナイデスカ?」
「知らないわよ。そんなことまで」
「日本人ナノニ、日本語知ラナイカ?」
「やっぱ腹立つ」
「ソレハソウト、聞イテクダサイ」
「何よ。また変な騒動巻き起こした?」
「サクジツノ夜、私ハ、寮ノ部屋デ、クツロギマシタ」
「・・・うん、それで?」
「スルト、ドウデショウ。テーブルノ向コウノハジニ、黒イ毛ガ、見エルデハアリマセンカ」
「黒い毛?」
「ソレハナント、ソヨソヨト、動イテイマシタ」
「毛がそよそよ? なんか怪しい空気を感じる」
恵美莉とみのりは、身を乗り出して聞いた。
「スルト、アヤツハ、テーブルノ上ニ、ソノ顔ヲ見セタノデス」
「ふふ、アヤツだって」みのりが笑いを堪えられず噴き出した。
「ソレハナント、ゴキブリデシタ」
「げっ!」みのりの笑いは一変、嫌悪の表情になった。
「黒クテ大キナ、ゴキブリダッタノデス」
「なんの話」
「ソレハソレハ、恐ロシクテ、シクシク泣キマシタ」
「・・・・・・」
「日本語ドウデスカ?」
「え?えええ、まあ、ま、普通かな?」
「そ、そうね。普通の日本語でしたよ。テーマは異常だけど」
「ヤッタ。少シズツ、上達デキマシタ」
「それだけ?」
「オワリデス。話ヲ聞イテ下サリ、深クオン礼申シ上ゲマス」
「ゴキブリはどうしたの?」
「私ハ部屋ヲ出タノデ、ドッカ行ッタ」
「ええ? 退治してないの!?」
みのりが大声で言うと
「殺生ハセヌ! 武士ノ情ケ」
そう言うと、ポーリーは小走りに去っていった。
「何あの人?」
みのりがそう言って、ポーリーの後姿を見送っていると、その隙に恵美莉もその場を去っていた。
「ああ! 恵美莉、お金貸してって!」




