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『EMIRI 3』 ~取り敢えず気になるアイツ~  作者: 亨利(ヘンリー)


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第1章 印鑑

「みのりがね、お金借りようとするからさ、困ってんのよ」

 恵美莉が自転車の後部座席で、少し大きめの声で話している。

「みのりって自宅通学じゃないか。家族に借りればいいだろ」

 その自転車を運転する春樹も、やや後ろを振り返りながら大きめの声。

「別れた元カレのせいよ」

 交通量の多い大通りに出ると、恵美莉は自転車から跳び降りた。春樹はブレーキをかけて、歩道に上り、自転車を押して歩いた。

「新しい男と付き合い始めたんじゃなかったっけ?」

「そうよ。それはそれで楽しんでるみたい」

「それでお金が要るってのか?」

「違うのよ、この前別れた彼氏がセコイ奴でさ、みのりに使ったお金、全部返したら、別れてやってもいいって言うんだって」

「無視しろよそんな奴」

「でしょ。でも、みのりには無理なんだな」

 顔がにやける恵美莉。意味深に黙った。

「なんで?」

「ふふふふ、あの子結構、その元カレにいいように奢らせてたから、すんなりいくわけないって分かってんのよ」

「自業自得だな」

「そうなんだけど、あたしに金借りに来んなっての!」

「はははは、親友でしょ。何とかしてやりな」

「無理! あたしだって今日お小遣い下ろしたら、もうないよ」


 二人は大学の手前にある銀行に着いた。春樹は自転車にチェーンロックを掛けているが、恵美莉はそれを待たずにATMコーナーへ入っていった。

 ATMの前には数人の客が並んでいる。恵美莉は「ふう」と一回ため息をついて、列の後ろに並んだ。


「・・・ドウイウ意味デスカ? オ金ノカード、作レナイ?」

 あの聞き覚えのある特徴的な声。

(ポーリーね)

 恵美莉はそう思って、店舗の奥のフロアーを覗いた。そこには緑色Tシャツ姿で、黒いリュックをお腹側にかけて、銀行員と口論するポーリーがいた。彼はまた眉を寄せて話しているが、銀行員は怒らせないように、柔和な表情で対応している。

「・・・ですからスタンプが必要です」

「スタンプハ郵便局デスカ?」

「は? スタンプはあなたのスタンプ」

「私ノスタンプハ、何ノコトデスカ?」

「あなたの名前です」

「私ハ、ポーリー、デス」

「ポーリー様のスタンプが必要です」


(ははぁん、ハンコのことね。ポーリーは、スタンプを切手のことだと思って、ちぐはぐになっちゃってるのね)

 見かねた恵美莉は二人に近づいていった。

「ハイ、ポーリー」

 するとポーリーは超高速で振り向いた。そんな彼のしぐさに恵美莉は思わず吹き出してしまった。

「マタ、アナタデスカ? エミリー」

「調子はどう?」

「トテモ、スガスガシイデス」

「うそでしょ。どう見てもトラブってるわ」

「大丈夫デス。一人デデキマス」

「行員さん困ってるじゃない。どうしたんですか?」

 恵美莉はその銀行員に尋ねた。

「ああ、口座引き落としの依頼書をお持ちなのですが、口座をお持ちでないようですので・・・」

「問題ナイ! 自分デデキマス!」

 ポーリーは恵美莉を押し退けるように、行員の前に割り込んで立った。負けじと恵美莉はポーリーを押し返した。

「私が教えるから、おとなしくして!」

「要ラナイ! 自分デヤルノ勉強ノタメ」

「今はダメだって。ポーリー、後ろを見なさい!」

 ポーリーは周囲を見回した。

「あれだけ並んでんだから、みんな忙しいのよ」

「アア、ホントウニ・・・」

 ポーリーもその状況を少し理解したようだ。そこに春樹がやって来た。

「恵美莉、何、もめてんだ?」

「もめてんの私じゃないわよ。やーねぇ」

「私ト、銀行員ノ果タシ合イデス」

「何言ってんの、出るわよ。ハンコが要るのよね?」

 そう言うと恵美莉は、ポーリーのお腹のリュックを引っ張って歩き出した。その場にいた行員は、

「何か印鑑があれば助かります。ありがとうございます」

 その様子を周囲のお客が見て失笑しているのを、ポーリーは申し訳なさそうに

「カタジケナイ。カタジケナイ」

 と頭を下げて通った。春樹も恵美莉の迫力に驚きながら、その後を追った。


 店頭の自動ドアを出たところで恵美莉は振り返り、リュックを引いた手をようやく放した。

「ポーリー、あなた引き落とし口座を作りたいのよね」

「ハイ? 銀行ノカードガ欲シイノデス」

「それじゃカードを作るには、お金を預ける口座がいるの」

「コーザ? ソレハ、ドコニイル? カード、アル?」

「お金を引き出すカードのことよね? キャッシュカード? クレジットカード?」

「American Express、ソレトVISAカードヲ、持ッテマス」

「じゃ、やっぱり銀行のキャッシュカードが欲しいの?」

「ソウデス」

「じゃ、その為にはハンコが必要」

「ハンコ持ッテマセン」

「ハンコって意味わかるの?」

「知ッテマス。Japanese seal impression(印鑑)デスカ?」

「シール・インプレッション? 何それ? あたし知らないわ。日本のハンコ文化は知ってるのね」

 ポーリーは、手でハンコを押すしぐさをして見せた。

「ああああ、それそれ! 持ってる?」

「持ッテマセン」

「じゃ、まずは、それ買いに行け!」(本当に面倒くさいやつ、普通の会話がこんなに通じないか?)

「買いに行けったって、外人のハンコなんかどこで買うんだよ」

 春樹が口を挿んだ。

「外人ノ、ハンコナイ?」

「作ればあるから」

「ハンコ屋さん紹介してやらないと、無理だよ」

 春樹がそう言うと、恵美莉は、

「面倒だけど、手伝ってやるしかないわね」

「カタジケナイ。コノゴ恩ハ、一生忘レマセン」

「・・・なんか腹立つ」


 恵美莉は自分のお小遣いを引き出すのは後回しにして、その銀行を出た。そして三人は、大学の近くにあるショッピングモールにやって来た。

「この中にハンコの会社が、文房具屋さん出してるだろ。そこで作ってもらえると思うけど」

「あたし、ハンコなんか作ったことない」

「私モ、ゴザイマセン」

「黙れ!」

「いくらぐらいかかるんだろな」

「ソレハ高イデスカ?」

「銀行印作るくらいだったら、安いでしょう」

「いや、銀行印でも結構すると思うぞ」


 店に着くとすぐに頭の禿げた店員と目が合った。その店員は、外人が一人混じる3人組をじろじろと見た。

「ジロジロ、見テマス」

「あの、この人の銀行印を作りたいんですけど・・・」

「ああ、はいはい、外国の方のお名前でですね」

 その店員は、急に笑顔になって話し始めた。

「イクラ円デスカ?」

「ええっと、文字数に寄るのですが、アクリルとかでしたら3千円くらいで・・・これです」

 店員が壁に陳列されたサンプルを指差した。

「オー、ピカピカデス」」

 ポーリーは禿げた店員を見て言った。店員は苦笑いすると、

「い、色もたくさんありまして・・・」

「ツルツル、光ッテマスネ」

 さらに追い打ちをかけるように言った。恵美莉は(もうやめろ)と思った。

「3千円? 結構しますね」

「ソレハ高イカ?」

「ハンコ一個に3千円。でも仕方ないか」

「認印ならいくらくらいですか?」

 春樹が言った。

(そうか、別に正式な銀行印でなくてもいいんだ。さすが春樹君、よく気がつくね)


「認印なら、2千円くらいからお作りできます」

「それでも2千円かぁ」

「既製品が200円ですけど、さすがに外人さんの名前は常備してないですからねぇ」

「ポーリー、2千円だって、どうする?」

「勉強シテクダサイ」

「変な日本語は、よく知ってるなぁ」

「ははは、さすがにここで簡単に作れるわけじゃないんで、製作に出さないといけませんので」

「あ、そうか、すぐにできるんじゃないんだ」

「今スグ、デキナイカ? ソレハ困リマシタ」

「今日必要なの?」

「ハイ、オカネ、今日要リマス。寮費ト共益費、今日マデデス」

「現金持ってないの? 今までどうやって生活してたの?」

「クレジットカードデ、買イ物シマシタ。でも日本ハ、カードOKノ店、少ナイダカラ、キャッシングシマス」

「じゃ、今回もそうじゃダメだったの?」

「オ金ハ有リマスカラ、銀行ニアズケル。ソコカラ自動引キオチデス」

「ああ、自動引き落としってことね。じゃそれ少し、待ってもらったら?」

「モウ、1ヵ月待ッテモラッタ」

「馬鹿か、1か月もどうしてたん?」

「共益費ノ意味知ラナイダカラ、払ッテナカッタ。寮長サン怒ッテルヨ。ダカラ自動引キオチシロト言ワレタ」

「そういうこと・・・」

「外国人用の既製品が、近くの本店にならあるかもしれません。お名前なんと仰いますか?」

「ポーリーデス」

「・・・いや、ファミリーネームのほうよ」

「ファミリーネームは、Dobbinsデス」

「え? 何て言った?」

「Dobbins」

「どびん?」

「ハイ、Pauly Dobbins(ポーリー・ドビンズ)」

「ポーリー・ドビン? そんな苗字初めて聞いたわ」

「ドビン様ですかぁ。さすがにそのお名前の既製品は無さそうですね」

「ですよねぇ」

「ナイデスカ? 探スハ?」

「ないわ!」


 そんな会話の中、春樹が気づいた。

「ちょ、ちょっと。これ。これ見て」

 恵美莉が振り返ると、春樹は認印の既製品のケースの中を凝視していた。

「これどうかな?」

「どれよ?」


「どびん・・・」


 春樹がぽつりとそう言った。

「どびん?」

「ああ! そうです。稀少姓の中に、『土瓶』さんという苗字があるんです!」

 禿げた店員も目を大きく見開いて言った。恵美莉がそのケースを覗き込むと、確かに『飛村(とびむら)』と『戸部(とべ)』の間に、『土瓶(どびん)』があった。


 その場に5秒間の沈黙が流れた。


「・・・これで、いいんじゃね?」

 春樹が言うと、

「この棚は一本500円です」

「安い。ポーリー、これにしなよ」

「Dobbins アリマスカ?」

「ううん、土瓶」


「Dobbins・・・」


「どびん・・・」


「・・・OK。同じように聞こえるな」

「コレデ大丈夫デスカ?」

「取り敢えずは、いいんじゃない?」

「ソウカ、取リ敢エズハ、大丈夫カ」

 春樹がそう言うと、ポーリーは喜んで『土瓶』を買って銀行に戻っていった。

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