うーん、ないしょっ!
お姉さんが、ぼくを振り返った。
「ぼくくん、ホントに聞く?」
「聞きたいです」
「聞いたあと、知らなかったことにはできないよぉ」
手はつないだままだった。
足に力が入りきらず、ぼくは木の根を避けて立ち止まる。
「お姉さんは、何者なんですか」
「花屋さん」
「それは知ってます」
「いまはお店、ないけどねえ」
笑いかけた口元が、すぐに戻った。
「昔、ジェラーたちのところで働いてたのも本当だよ」
「どうして逃げたんですか」
「盗んだの」
「なにを?」
「不治」
ぼくは、お姉さんの顔を見た。
首の印を握りつぶして、傷だけ消した。ぼくの身体まで元に戻した。ジェラーは返せと言いながら、死にたくないと声を震わせていた。
あれが、盗めるものなのか。
「不治って、なんなんですか」
「昼間に言ったでしょー。治療がいらない力だよぉ」
「それも変です」
「どこが?」
「治療が不要だから『不治』って。不治はもともと、治らないって意味の言葉でしょう」
「うん」
「大人が付けた肩書きですよね? そんなセンスのない造語みたいな名前にしますかね」
お姉さんが吹き出した。
「センスない?」
「ないです」
「あははっ。ぼくくん、そこ気になっちゃったんだぁ」
「意味が逆じゃないですか」
お姉さんは笑ったまま、ぼくの手を握り直した。
ぼくは笑えなかった。
「それに、治療がいらないだけなら、ジェラーがあんなふうに怖がる理由がありません」
お姉さんの笑い声が止まる。
唇に指を当てた。
「うーん、ないしょっ!」
「……なんでですか!」
声に驚いた鳥が、頭の上で羽ばたいた。
お姉さんはつないだ手を見て、それからぼくの顔を見た。
「ぼくくん。いま、わたしのこと怖い?」
「怖くないです」
考えるより先に答えていた。
お姉さんは、つないだ手を少し引いた。いつものように、自分のほうへ寄せようとしたのだと思う。
身体が、びくりと震えた。
足が地面に張りつく。空いていた腕が、勝手に胸の前へ上がった。
お姉さんの動きが止まる。
「……違います。いまのは」
腕を下ろした。
何が違うのかは、言えなかった。
お姉さんから離れたいわけじゃない。だけど、あの手に急に引かれると、身体が先に逃げようとする。
「いま、わたしのこともっと聞いたら、ますます怖くなっちゃうと思う」
「それは、聞いてみないとわかりません」
「うん。そうかもしれないねえ」
否定はしなかった。けれど、お姉さんはさっきぼくが上げた腕を見ている。
「お姉さんのことだから、知りたいんです」
桃色の瞳が、ぼくへ戻った。
「花屋さんも、エージェントも、ぼくを治した人も。同じお姉さんでしょう?」
「……うん」
「ぼく、その人が大好きです」
言ってから、顔が熱くなった。
店に行く日は、仕事が早く終わればいいと思っていた。お姉さんが奥にいれば、出てくるまで待った。
店がなくなったからって、その人までいなくなっていいわけじゃない。
お姉さんは、からかわなかった。
握る力を少し緩め、ぼくから半歩下がった。
「タイミングも、大切だよっ!」
「……それで、内緒なんですか」
「うん。今日は内緒」
「明日は?」
「明日は、明日になってから考えるねえ」
離れた距離は、一歩もない。
ぼくの身体が震えたから、お姉さんはそこへ下がった。
「待つって、約束はしません」
「うん」
「また聞きます。明日も、その次の日も」
「毎日?」
「答えてくれるまで」
お姉さんが少し笑った。
「じゃあ、毎日聞いてねえ」
「それ、答える気ありますか」
「あるよぉ」
ぼくは、お姉さんへ踏み出した。
自分からなら、近づけた。
その身体へ腕を回す。
抱きついた途端、指先から肩まで震えた。止めようとしても、止まらない。
お姉さんは動かなかった。
ぼくも、腕をほどかなかった。
「ほら、怖がってないです」
声まで少し震えていた。
お姉さんは、しばらく黙っていた。いつもみたいに頭を撫でたり、抱き寄せたりはしない。
「そっかぁ。ありがとね」
ぼくは、お姉さんの服を握った。
知らないことは、まだ全部そのままだった。
もう少しだけ、こうしていたかった。




