おはよう!
最後に聞こえたのは、ジェラーの声だった。
「はああああ!?」
そこで、ぼくの記憶は途切れている。
目を開けると、木の葉が見えた。
知らない森だ。
鳥が鳴いている。枝の向こうの空が、誰かの顔で半分隠れていた。
「あ、ぼくくん、おはよー」
お姉さんだった。
ぼくは膝の上に寝かされていたらしい。起き上がろうとして、覗き込んでいたお姉さんと額がぶつかった。
「あいた」
「……すみません」
謝ってから、膝の上を転がり降りた。
「ぼくくん?」
死んだ。
あのとき、ぼくは死んだはずだ。
お姉さんが両手を振り下ろした。痛みが走って、身体が潰れた。目を閉じる暇もなかった。
なのに今、額をぶつけて謝っている。
自分の手を見る。指が五本。反対も五本。腕も足も動く。
「ぼく、死にましたよね」
「ううん、生きてるよ」
せめて、そこは肯定してほしかった。
だって、潰れたんだもん。
「さっきの話です」
「さっきもだよぉ。ほんのちょっとだけ、死にかけただけ」
「生き死にに、ちょっとだけってあるんですか」
「ぼくくんは、あったよぉ」
花屋の裏へ在庫を取りに行ったときも、これくらい気軽な調子だった。
「潰れた瞬間に、わたしの光で治したの。死んじゃうより先にねえ」
胸に手を当てた。心臓が動いている。
両手が振り下ろされるところまでは覚えていた。光のことは、何も覚えていない。
「どうやって、こんなに元どおりに……」
「こう、ぐちゃってなったところを、すぐに」
お姉さんが地面へ両手を広げる。
ぼくは口を閉じた。
お姉さんも手を止める。
「……ごめんね。怖い言い方だった」
怖い言い方、というか。
さっき、自分の指が五本あることを確認した。今度は本当に自分の指なのか、もう一度見たくなった。
「ちゃんと、全部ぼくくんだよ」
爪の先を押す。痛い。指を開く。思ったとおりに動く。
服は裂け、血と土で汚れていた。足りないところには、お姉さんの鞄にあったらしい布が巻かれている。
身体以外は、あのときのままだ。
「追跡の魔術も、壊したよ!」
「ぼくと一緒に?」
「うん」
得意そうに頷かれても、困る。
「首の印みたいに、そこだけ取れなかったんですか」
「ぼくくんに付いてるの、見つけられなかったの。すごく上手に隠してあったから」
「だから、全部?」
「うん。ぼくくんの身体だけ治せば、付いてたものは壊れたままでしょ?」
「それで、追えなくなるんですか」
「あの追跡魔術ではねえ」
ぼくは、もう一度腹を押さえた。
傷はなかった。術式が消えたかどうかは、最初から見つけられなかったぼくにはわからない。
「ジェラーは?」
「置いてきたよぉ。ぼくくんを見て、びっくりしてたから」
最後の叫び声を思い出す。
あの人があんな声を出すところは、初めて聞いた。
「あとね、去り際にジェラーの顔をぶんなぐったよ!」
お姉さんが拳を握った。
「すっごくいい音した!」
「……殺さなかったんですか」
「うん。気になることがあったの」
拳がゆっくり開く。
「ぼくくんに追跡魔術の話をする前、通信機を踏んで壊したでしょ」
「そうでしたね」
「わざわざ味方に聞こえなくしてから、あの話をしたんだよ。何を隠したかったのかなあって」
お姉さんは、木の間へ目を向けた。
「味方に内緒のことがあるんだねえ。わたしたちには聞かせたのに」
「聞くために、生かしたんですか」
「うん。あのときは、ぼくくんを連れて離れるほうを先にしたけど」
「また襲ってきたら?」
「そのときは、止めるよ」
簡単そうに言った。
ぼくは立ち上がろうとした。膝が折れ、落ち葉の上へ座り直す。
「急に動かないでね」
肩へ手が伸びてきた。
身体が勝手に縮んだ。
お姉さんの手が止まる。
あの両手が、振り下ろされるところを覚えている。
追跡魔術を壊すためだった。ジェラーから逃げられた。ぼくは生きている。
それでも、次に「ちょっぴり我慢してね」と言われたら、きっと逃げる。
「先に説明してほしかったです」
「うん」
「説明されたら、嫌だって言いましたけど」
「……うん」
お姉さんは手を膝へ戻した。
「ちゃんと治せるから、大丈夫だと思ったの」
お姉さんは、ぼくの腹へ目を落とした。
「……ごめんね、ぼくくん」
お姉さんは、ぼくを助けるためにぼくを叩き潰した。
ぼくの腹には傷がない。お姉さんの言うとおり、ちゃんと治っている。
なのに、押さえている手を離せなかった。
「もう一回やるときは、先に言ってください」
「もう一回はやらないよぉ!」
「別の追跡魔術を付けられたら?」
「別の方法を考える!」
即答だった。
必死な顔だった。
ぼくは、少しだけ安心した。
しばらくして、今度はぼくの前へ、手のひらを上にして差し出した。
取れとは言わなかった。
ぼくはその手を見た。
指を一本、重ねてみる。お姉さんは待っている。
残りの指も重ねると、ようやく、ゆっくり握り返してきた。
「歩ける?」
「たぶん」
立ち上がる。足の裏に、落ち葉の感触があった。
町の音は聞こえない。花屋も、ぼくの部屋も、ここからは遠い。
握った手を確かめながら、まだ聞いていないことを思い出した。
「お姉さん」
「うん?」
「ジェラーが返せって言ってたもの、何ですか」
お姉さんは、すぐには答えなかった。
森の奥で、鳥が一羽鳴いた。




