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不治のユラ~花屋のゆるふわ殺し屋お姉さんとの逃避行~  作者: 硝子玉の宇宙


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6/15

それ、返せや

 お姉さんの手を握り、路地裏を進んだ。


 町では建物が壊され、大勢の人が操られていた。騒ぎが広まらないはずがない。ぼくたちは人目を避けながら、町の外へ向かっていた。


 路地の先から声がした。


「おーい、もういい。もういいぞ」


 よれたスーツの男が、こちらへ歩いてくる。


 襟は曲がり、髪には寝癖がついていた。散歩の途中にでも見える足取りだった。


 でも、ぼくはその声を知っている。


 男の向こうでは、首に印が残ったままの人たちが、こちらへ向かってきていた。


 声を聞いても止まらない。


 よれたスーツの男が耳に手を当てる。


「もういいっつってんだらぁ!!」


 怒鳴り声が路地に響いた。


 次の瞬間、向かってきていた人たちが一斉に倒れた。


「お姉さん!」


「うん」


 お姉さんが指を振る。


 ふわりと飛んだ光が、倒れる人たちを地面に触れる前に受け止めた。誰も頭を打たず、眠ったように横たわる。


 男はそれを見ても驚かなかった。


「ったく。止めろっつったら、すぐ止めろよ」


 耳のあたりに向かって吐き捨てる。返事は、ぼくには聞こえない。


 あの人たちを操っていた魔術師が、どこか別の場所にいる。


 この男は、その魔術師に命令しているんだ。


 男がお姉さんのほうを向いた。


 ぼくは息を止める。


 あの人だ。


 いつもぼくに仕事を与えてきた、ジェラー。


 仕事の場所も、相手の顔も、終わったあとの報告先も、全部あの人から知らされていた。


 組織を抜けると決めたばかりなのに、もう見つかった。


 それより、どうしてジェラーはお姉さんを見ているんだろう。


「おひさ」


 お姉さんが片手を上げた。


 いつもの、お客さんに挨拶するときみたいな声だった。


「おひさ、じゃないよ!」


 思わず言うと、お姉さんはぼくの手を握り直した。


 ジェラーはぼくの声に反応しない。


 お姉さんだけを見て、口の端を歪めている。


「ようやく見つけたぞ、ユラ」


「見つかっちゃったねぇ」


「花屋とはな。笑わせんなよ」


「お花、きれいだったでしょ?」


「おめぇが切り花の水を替えてるとこなんざ、想像したくもねえ」


「ちゃんと毎日替えてたよぉ」


 お姉さんは本当のことを言っている。ぼくも手伝ったことがある。


 ジェラーは笑わなかった。


「組織から逃げ出して、あんな店に隠れてたってわけか」


「隠れてないよぉ、毎日接客してたもん」


「そうかよ。こっちは何年も探したんだぞ」


 お姉さんが、組織から逃げた。


 ぼくがさっきまで逃げる計画を立てていたのと同じ、あの組織から。


 頭の中で、花屋のお姉さんと、ジェラーの言うユラがうまく重ならない。


「お姉さん、知り合いなんですか」


「うん。昔、同じところで働いてたの」


「働いてた、で済ますな」


 ジェラーの声が低くなる。


「おめぇはうちのエージェントだった。最後まで誰も止められなかった、いちばん強えやつだ」


 ぼくはお姉さんの横顔を見た。


 刺客を空へ投げ飛ばした腕。炎を受けても傷つかなかった背中。操られた人たちを、一人ずつ助けていた指先。


 ジェラーの言葉を疑う理由が、ひとつもなかった。


「今は花屋さんだよぉ」


「もう店じまいしてやっただろうが」


 お姉さんの手に、少しだけ力がこもった。


 焼けた花屋を思い出したんだと思う。あの木の棚も、店先の鉢植えも、もうない。


 ジェラーはお姉さんを見つめたまま、続けた。


「最初に店へ送ったやつは、おめぇに何もできなかった。ここで集めた連中も、空の向こうまで飛ばされたそうじゃねえか」


「ちゃんと光、つけたもん」


「ああ、そうだな。そういうやつだったよ、おめぇは」


 知っているみたいな言い方だった。


 お姉さんも、ジェラーから目を逸らさない。


「起きたら全部終わってると思ってよぉ、おれぁ飲みながらいい気分に浸ってたんだよぉ」


 ぼくの知らない時間が、二人の間にある。


 ぼくはお姉さんの手を握ったまま、一歩だけ前へ出た。けれど、ジェラーの視線はぼくを通り越し、お姉さんへ向いている。


「おめぇ、それ返せや」


 何を、と聞きそうになった。


 お姉さんがぼくの手を引き、隣に戻す。


「ジェラー」


「おめぇのそれよお、いつまで制御できんだよお」


 ジェラーの声には、さっきまでの嫌味がなかった。


 お姉さんは答えない。


「さっさと返せや、殺すぞ。俺たちも死にたくねえんだよぉ」


 最後の声が、かすかに震えた。


 ジェラーはお姉さんを脅している。


 なのに、怖がっているのはジェラーのほうに見えた。


 それ、って何だろう。


 返したら、お姉さんはどうなるんだろう。


「返すつもりはないよぉ」


 お姉さんは静かに言った。


 桃色の瞳は、ジェラーをまっすぐ見ている。


「ここで力ずくか?」


「やめてください」


 ぼくは思わず口を挟んだ。


 さっきから無視されているみたいで、むかついてきたのもある。


 でも何より、目の前でお姉さんにひどいことばかり言うジェラーを許せなかった。


「すっこんでろてめぇはよお、お花屋さんでさんざんこいつにデレデレしやがっててめぇ」


 お姉さんは、その発言が引っかかったみたいだった。


 ぼくと同じことを考えているのかな。


 ジェラー……なんで知ってるの?


 いや、デレデレはしてないはず。


 ……そんなに分かりやすく振る舞ってないはずだ。


「ジェラー、どうしてぼくくんのこと知ってるの? ぼくくんに何か、した?」


 ぼくにしたこと。


 ジェラーが、ようやくぼくへ視線を向けた。


 けれど、すぐには答えなかった。


 耳につけていた小さな通信機を外し、足元へ落とす。


 靴底で踏むと、硬いものが割れる音がした。ジェラーはもう一度踏みつけてから、ぼくを見た。


「ああ。お前、知らなかっただろ?」


「何をですか」


「追跡魔術だよ。お前に付けてある」


 ぼくは自分の腕を見た。


 何も見えない。


 魔力の流れを探っても、何も感じない。


「気付けるわけねえよな」


 ジェラーはぼくの顔を見て笑った。


「びっくりしたよ、マジでよぉ。お前が花屋に足しげく通ってくれたおかげで、見つけられたんだからな」


「駒の私生活なんて覗く趣味はねえが、おまえさん、毎度毎度同じ店に通うから、ちょっと様子見したらよお、これがビンゴだったわけだわぁ」


 笑ったまま、視線をお姉さんへ戻す。


「ユラよぉ」


 ぼくの部屋には、お姉さんの店で買った植物がたくさんある。


 仕事が終わるたびに通った。忙しい日にも、少しだけ顔を見に行った。


 そのたびに、居場所を教えていた。


 花屋を見つけたのは、ぼくだ。


 あの朝、お姉さんの店が襲われたのも。


「ぼくが……」


「ぼくくん」


 お姉さんが手を引く。


 顔を上げると、すぐ近くにお姉さんの瞳があった。


「知らなかったんでしょ? わたしも知らなかった」


「でも」


「なら、ぼくくんのせいじゃないよぉ」


 そんなふうに言われても、すぐには頷けなかった。


 ジェラーは肩をすくめた。


「逃げても同じだ。そいつが一緒にいる限り、おめぇの居場所はわかる」


 お姉さんがぼくの手を離す。


 ジェラーのほうではなく、ぼくのほうへ向き直った。


「ぼくくん、ちょっぴり我慢してね」


「え?」


 お姉さんは両手を振り上げた。


「えい!」


 ぼくを叩き潰した。



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