人殺しの手
「……ぼくくん?」
お姉さんの声が、路地に落ちた。
ぼくは返事をしなかった。
倒れた刺客の向こうで、印を解かれた人たちが、地面に座っている。お姉さんとぼくを、交互に見ていた。
手の中から魔力の刃が消える。
「その人」
お姉さんはそこで言葉を切った。
「ぼくが殺しました」
桃色の瞳が倒れた人へ向き、またぼくへ戻る。
「……そう、だよね」
怒られたほうが、わかりやすかった。
お姉さんは座り込んだ人たちの首の後ろを、一人ずつ確かめた。最初に助けた男の人が、震える手を開いたり閉じたりしている。
「もう勝手に身体は動かない?」
「はい。……何があったんですか」
「魔術で操られてたの。もう印は消したから、大丈夫だよ。救護の人を呼ぶね」
お姉さんは鞄から小さな通信具を出し、路地の場所と人数を伝えた。刺客が一人倒れていることも隠さなかった。
ぼくは自分の手を見た。
指先が震えている。
仕事で人を殺したときは、一度もこんなふうにならなかった。今日は刃を作る前から震えていた。
「ぼくくん」
顔を上げると、お姉さんが目の前にいた。
「手、震えてるよ」
「そのうち止まります」
「うん」
お姉さんは手を伸ばしかけて、止めた。
通りから救護の人たちが来る。お姉さんは座っている人たちのことを説明し、倒れた刺客のほうも示した。引き継ぎが終わると、ぼくを路地の奥へ連れていく。
まだ別の追手がいる。人通りのある場所に長く留まれない。
路地を一つ曲がったところで、お姉さんが足を止めた。
「ぼく、お姉さんが思ってたような客じゃありません」
言った途端、花屋の朝を思い出した。
あの店に行く前、研究施設で人を殺した。同じ手で鉢を運び、花の葉を取った。
「小さい頃から、組織に人を殺す仕事をさせられてます。今日の朝も、仕事をしてからお姉さんの店に行きました」
お姉さんは黙って聞いていた。
「さっきの人も、ぼくが決めて殺しました」
「うん」
「怖くないんですか。ぼくが」
「びっくりはしたよぉ」
「……ぼくが、怖かったんじゃなくて?」
「うん。ぼくくんが戦えるって、知らなかったから」
お姉さんは笑っていなかった。
「ぼくくんが急に見えなくなって、気づいたらあの人が倒れてた。わたし、何が起きたか追いつかなかったの」
「隠密魔術です」
「うん」
お姉さんが、ぼくの手を見る。
「いま聞いたこと、ちゃんと考えたいの。すぐに何て言えばいいか、わからなくて」
「……一緒に行くの、嫌になりましたか」
「ううん。それは違うよぉ」
お姉さんは、まだ震えているぼくの手を取った。
「ぼくくんを連れてきたのは、わたしだもん。手は離さないよ」
すぐに許されたわけじゃない。それでも、握られた手はあたたかかった。
ぼくたちは、追手が来ないか確かめながら路地を歩き出した。
「ぼくくん」
「はい」
「さっきの隠密魔術、すごく上手だったよぉ」
褒められるとは思わなかった。
「……人を殺すために使いました」
「うん。あの人のところまで、気づかれずに行けてたね」
お姉さんは頷いた。
聞き間違えたわけでも、何の話かわかっていないわけでもなかった。
「でもねえ。刃を作ったとき、そっちの魔力がちょっと出ちゃってたよ」
「刃も隠してました」
「できあがった刃はね。その前に集めた魔力が、一瞬だけ隠しきれてなかったの」
お姉さんが空いた手の指先を、軽く曲げた。
「身体のほうは、動いてもちゃんと隠せてるの。でも、手の中の魔力が増えたとき、隠すほうの術式が少し遅れたでしょ」
ぼくは足を止めた。
刃を作る直前の感覚を思い返す。
姿も音も消していた。刃そのものにも隠密魔術をかけた。そこは間違っていない。
けれど、震える指先に魔力を集めたとき、隠密の術式を一度、組み直している。
手元の魔力が、思ったより大きく膨らんだからだ。
「……それで、見えたんですか」
「ううん。ぼくくんの姿は見えなかったよぉ。魔力が動いたところだけ。そこにいるってわかったときには、もう終わってた」
お姉さんも立ち止まり、ぼくを見る。
「隠してから刃を作って、増えたぶんをまた隠すと、どうしても追いかけっこになっちゃうの。刃を作る術式と、隠す術式をつないでおけばいいんだよ」
「つなぐ?」
「うん。刃に送る魔力の量を、隠すほうの術式に読ませるの。その量に合わせて隠してくれたら、ぼくくんが途中でかけ直さなくていいでしょ?」
ぼくは返事をしなかった。
頭の中で、二つの術式を並べていた。
ぼくはそれぞれを別に扱い、自分で加減を合わせている。刃に送る魔力を、隠密の術式にも読み取らせれば、その手間がなくなる。
できる。
少なくとも、何を直せばいいのかは、もうわかってしまった。
「……簡単に言いますね」
「簡単じゃないよぉ。でも、ぼくくんならできると思う」
お姉さんは少し嬉しそうに笑った。
「動きながら、あれだけきれいに隠せるんだもん。こっちも一緒にできたら、もっとスマートだよぉ」
花屋で、鉢を並べたあとに褒められたことがある。
いまも同じ声だった。
「お姉さん」
「なあに?」
「それ、もっと上手く人を殺せるようになるってことですよ」
お姉さんの目が、ぼくの顔に留まった。
「うん。さっきと同じことに使ったら、そうなるね」
「……わかってて、教えてるんですか」
「だって、直せるところは直しておいたほうがいいでしょ。せっかく、あんなに上手に隠れられるんだもん」
声は変わらなかった。
ぼくはつないだ手を見た。
この人は、あの人たちを助けた。刺客を殺したぼくを見て、笑わなくなった。
それなのに、ぼくがしたことの、上手だったところと直したほうがいいところを、ちゃんと分けて話している。
「それからね。終わったあと、すぐに隠密を解いちゃったでしょ」
まだあった。
「あれは、だめ」
「……はい」
「あと二人、残ってたでしょ。あの人を倒しても、まだ終わってなかったよぉ」
炎を受けたお姉さんの背中を思い出す。
ぼくが姿を現して、お姉さんがぼくを見て、そのあとに女の術式が飛んできた。
「あの人を止めても、隠れたままでよかったの。姿を見せるのは、安全になってからでよかった」
「……お姉さんが庇ってくれなかったら、当たってましたね」
「うん。わたしもびっくりして、ぼくくんのほうを見ちゃったから。あれは、よくなかったねえ」
お姉さんは自分の焦げた服へ目を落とした。
「隠れてるあいだは見つからなかったんだもん。自分から出ていくの、もったいないよぉ」
何も言えなかった。
倒した男の向こうに、まだ刺客がいることは知っていた。仕事だったら、終わったとは思わなかった。
それでも、ぼくは姿を現した。
お姉さんに見てほしかったのだ。
助けられるばかりじゃない。ぼくだって戦える。あなたを助けることもできる。
見てもらえた。
それで、また庇われた。
「……そうですね」
「うん」
お姉さんは、それ以上は言わなかった。
叱られた感じがしない。得意になって教えている感じもしない。
ただ、どちらも正しかった。
「……怒られると思ってました」
「わたしに?」
「はい。人を殺したから。まさか、やり方を褒められて、直すところまで教わるとは思いませんでした」
お姉さんはぼくの顔を見た。
ぼくは続けた。
「……ぼくが人を殺したことは、どう思ってるんですか」
お姉さんはすぐには答えなかった。
さっきまで、あんなに迷いなく話していたのに。
「ぼくくんが止めなかったら、あの男の人が斬られてたんだよね」
「はい」
「あの人を助けてくれて、ありがとう。それは、ちゃんと言いたかった」
お姉さんの指が、ぼくの手の甲に触れる。
「でも、ぼくくんに殺してほしかったわけじゃないの」
「じゃあ、どうすればよかったんですか」
「……それを、考えてる」
お姉さんはぼくを見た。
「わたしが間に合うやり方、なかったかなあって」
ぼくの危なかったところは、もう二つも教えてくれた。
人を殺さずに済んだ方法については、まだ答えが出ないらしかった。
その順番が、妙に頭に残った。
「……お姉さん、花屋さんですよね」
「うん。お花屋さんだよぉ」
「普通の花屋さんは、あんなところまで見ないと思います」
「……そうかもねえ」
桃色の瞳が、ぼくを見る。
「でも、わたしは見ちゃうの」
お姉さんのことを、ぼくはまだ知らない。
それでも、つないだ手をほどこうとは思わなかった。
「行こうか。ここも、あんまり長くいられないねえ」
「はい」
お姉さんが路地の出口へ目を向ける。ぼくも歩き出そうとして、握った手に少しだけ力を込めた。
お姉さんの足が、ふわっと地面から離れるみたいに揺れた。
「お姉さん?」
返事を待つより先に、身体がこちらへ倒れてくる。ぼくは慌てて肩を抱きとめた。
「大丈夫ですか」
「うん。ちょっと疲れたかもー」
お姉さんはいつもの声で笑った。けれど、自分で立ち直ろうとした足元が、また少しふらつく。
「無理しないでください」
「はあい」
つないだ手は離さず、反対の腕でお姉さんの身体を支えた。ぼくたちは歩幅を合わせ、路地の出口へ向かう。
*
ぼくくんの視界に入らないよう、ユラはつないだ手とは反対の手を身体の陰へ隠した。
指先に魔力を発現させる。淡い光が灯り、かすかに揺れた。
ぼくくんには聞こえないほど小さな声で、ユラはひとりごとをこぼす。
「……ちょっと、やりすぎたなぁ」




