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不治のユラ~花屋のゆるふわ殺し屋お姉さんとの逃避行~  作者: 硝子玉の宇宙


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4/15

ぼくくん……?

 走っても走っても、追手は現れた。


 お姉さんは塀を越え、裏通りを二つ抜けた。ぼくたちを見失ったはずの人影が、次の角にはもういる。


 カフェの店員は、注文を書きつける紙片を握ったまま術式を展開した。買い物袋を提げた人も、仕事帰りらしい人も、ぼくたちを見るなり同じように手を上げる。


「この町に来るってわかってて、待ち伏せされてたんでしょうか」


「たぶん、そうじゃないよぉ。あの人たち、精神支配の魔術にかかってる」


 追手の一人が炎を放った。お姉さんはぼくを庇って曲がり角を抜ける。逃げ遅れた人には、指先から淡い光を飛ばした。


「町の人を、あんなにたくさん?」


「うん。魔術まで使わせてる。相手は高位の魔術師だよ」


「それなら、ぼくたちを直接操えばいいのに」


「できない条件があるんだと思う。でも、この人たちをどうやって動かしてるかは、見てみないとねえ」


 路地の奥に人影が現れた。引き返そうとすると、入ってきたほうからも足音がする。


 お姉さんはぼくを降ろし、脇にある背の高いゴミ箱の蓋を開けた。


「わたし、見てくるねー。動かされてる人を近くで調べれば、何かわかるかも」


「ぼくも行きます」


「ここで隠れててね。すぐ戻るよぉ」


 返事をする前に、ぼくはゴミ箱へ押し込まれた。蓋が閉まる。


 暗い。それに、臭い。


「お姉さん!」


「だいじょうぶ。安全だよ、たぶんね」


「たぶんで汚いところに押し込めないで!」


 軽い足音が遠ざかる。蓋を少し持ち上げると、お姉さんが追手へ向かって歩いていた。相手の手元で術式が光る。壁が弾け、煙がお姉さんを隠した。


 ぼくは飛び出しかけた。けれど煙の向こうから栗色の髪が現れる。お姉さんは歩みを止めず、追手の脇を抜けて角の向こうへ消えた。


 助けに行くつもりで、ぼくは花屋を飛び出した。今はゴミ箱の中で、あの人が戻るのを待っている。


 何も見えないままでは、助けが必要になってもわからない。


 それでも、ぼくまで姿を見せれば、お姉さんの動きを妨げるかもしれなかった。ぼくは蓋を閉じ、隠密魔術を使う。ゴミ箱まで見つからないように。


 遠くで魔術の音がした。蓋へ手をかけるたび、「隠れててね」という声を思い出す。


「ぼくくーん。戻ったよぉ」


 今度こそ蓋を押し上げた。


 お姉さんが、男を一人連れていた。首に腕を回して抱え込み、踏ん張る男をずるずる引きずってくる。


「条件はやっぱみただけじゃわかんないやぁ。この人を近くで調べてみるね」


 男の手元に術式が開いた。


「危ない!」


 炎がお姉さんの肩に当たる。服は焦げたのに、腕は緩まなかった。次の衝撃が間近で弾けても、「熱いねえ」と言っただけだ。


 男の顔には怒りも恐怖もない。攻撃をやめられないまま、どこか眠そうな目をしている。


「この人、ずっと止まらないの。ちょっと調べさせてもらうね」


 お姉さんは男の手を押さえ、術式がぼくへ向かないようにした。袖をめくり、襟元を確かめる。


 ぼくも男の身体を流れる魔力を探った。本人の魔力とは違う細い流れが、首の後ろに集まっている。


「お姉さん、そこ」


 お姉さんが男の髪を分けた。肌の上に、小さな印がある。丸い線が幾重にも重なり、男が術式を作るたび、かすかに光った。


「これだねぇ」


 お姉さんが、印へ指を伸ばす。


 男が初めて身をよじった。眠そうだった目にはっきりと怯えが浮かぶ。男自身が怖がったのか。それとも、この印の向こうにいる誰かが。


 お姉さんの指が、男の首の後ろで止まった。


 小さな印の中心に、魔力が集まっている。


「これ、壊せばいいんですか」


「うん。印だけ、きれいに剥がせないみたい」


 お姉さんは男の手を押さえ、首の後ろへ指を添えた。


「ちょっと痛いよ。ごめんね」


 男の手元に術式が生まれ、お姉さんの頬に衝撃が当たる。男は自分の手を止めようとしているように見えたが、指は勝手に次の術式を組んだ。


 お姉さんの指が、印のある首元を掴む。


「えいっ」


 握りつぶした。


 ぼくは息を呑んだ。印が皮膚ごと潰れ、そこから伸びていた魔力の線が途切れる。


 男の身体から力が抜けた。


 お姉さんが手を開くと、首の後ろに淡い光が灯った。潰れた場所がぱっと再生し、傷ひとつない肌に戻る。印だけは消えていた。


「……俺、いま、首を」


「無理に立たないで。もう身体、動く?」


 男は震える手を開いたり閉じたりして、頷いた。


 路地の入口に、数人が現れる。首の後ろから、さっきの男と同じ魔力が伸びていた。


 お姉さんはぼくの前へ出る。


「また操られた人たちですか」


「うん。あの人たちは、助けないとね」


 先頭の人が光を放った。


 お姉さんは正面から受け、そのまま走り出す。


 速い。


 跳ぶたびに長い髪が流れ、胸元も大きく弾む。着地するより早く次の一歩を踏み出している。


 お姉さんは攻撃してきた人の腕を掴み、くるりと身体を入れ替えた。術式が壁へ逸れる。


 その首筋を掴み、印を握りつぶした。


 光が走る。首元はすぐに再生し、印だけが消えた。


 二人目が背後から近づく。


 お姉さんは振り返らずにその手を取り、肩越しに前へ回した。地面へ落とす寸前、淡い光で身体を包んでから、そっと座らせる。


 お姉さんは座らせた人の背後に回り、また印を握りつぶす。潰れた首元がぱっと再生した。


 ぼくは隠密魔術をかけ、路地の端へ移る。


 三人目が来た。


 首に印がない。


 その男はお姉さんの正面へ行かず、助けられた人たちの背後へ回った。路地の反対側では、買い物袋を持っていた女が袋を捨て、手元に術式を開く。


 さらに、カフェから逃げてきた客のふりをしていた男が刃を抜いた。


 三人とも印がない。


 それに、操られている人たちにはない、明確すぎる殺気を感じる。


 操られた町の人たちに、刺客が紛れていた。


「お姉さん、後ろ!」


 刃を持った男がお姉さんへ踏み込む。お姉さんが身をひねると、刃は袖だけを裂いた。


 その隙に、助けられた人たちの背後へ回った男が魔力の刃を作る。


「そっちは、だめ」


 お姉さんの指先から光が飛んだ。座っている人たちを包む。


 男は刃を向け直した。光に守られた人ではなく、少し離れて立つ、最初に印を消された男へ。


 お姉さんは刃を持った刺客と、その男の間にいる。片方へ跳べば、もう片方が動く。


 ぼくは隠密魔術の奥へ潜った。


 足音を消す。呼吸を消す。


 誰の視線にも入らず、男の背後へ回る。


 手の中に魔力の刃を作った。仕事のときと同じ長さ。同じ形。


 でも、今日は手が震える。


 お姉さんに見られたら、どう思われるだろう。


 男が、助けられた人へ刃を振った。


 ぼくは首筋へ、自分の刃を滑り込ませた。


 男が倒れる。振り下ろされた刃は、相手に届かなかった。


 ぼくは隠密魔術を解いた。


 お姉さんがぼくを見た。倒れた男を見て、またぼくを見る。


 桃色の瞳が大きく開いた。


 ぼくを抱えて逃げていたお姉さんは、ぼくが戦えると知らなかった。


 本当はぼく、強いんだ。


 そんなことを思ってしまった自分に、少し驚いた。人を殺したばかりなのに。


「お姉さん!」


 女の攻撃魔術が飛んだ。


 お姉さんは振り向いて、ぼくと座り込んだ人たちの前に立つ。炎が背中に当たり、服が焦げた。


 刃を持つ男が、その背後から斬りかかる。


 お姉さんは避けなかった。


「えいっ!」


 胸を突き出す。


 振り下ろされた刃が、お姉さんの胸の間で挟まった。


 男が柄を引いても動かない。


 お姉さんは胸で白刃取りをしていた。


「ふざけんなよお前!」


「は?」


 男とぼくの声が、ほとんど同時に出た。


 お姉さんの指先から淡い光が出て、男を包む。


 次に腕を掴み、足を踏み替え、腰をひねった。


 男の身体が路地から消える。


 上を見る。屋根を越え、雲の下を一直線に飛んでいった。悲鳴だけが遠くに残る。


「……投げた?」


「うん」


 お姉さんは、花の鉢を置く場所でも答えるみたいに頷いた。


 女が次の術式を組む。


 その光がお姉さんの手元へ届くより早く、お姉さんが女の目の前にいた。


 胸と髪が大きく揺れ、遅れて服の裾が跳ねる。


 お姉さんは女の手首を掴み、淡い光で包んだ。


「あの人と同じところだよぉ」


 女も空へ飛んだ。先に投げた男を追うように、屋根の向こうへ遠ざかっていく。


「着地する頃には、わたしの魔術、解けてるからねー! 自分で着地しないと、落としたトマトみたいになっちゃうよぉ!」


 聞こえているかどうかは、わからない。


「それ、怪我をしないようにする魔術じゃないんですか」


「飛んでるあいだはね」


「着地まで守ってあげてくださいよ」


「魔力は節約しないとねー。 二人とも魔術師だし、ちゃんと降りられるって」


 お姉さんは笑った。


 さっき、ぼくは自分も強いと思った。


 あの人が驚くほどの隠密魔術を使い、刺客が動くより先に殺せた。


 そのお姉さんは、ぼくが倒した相手と同じレベルの刺客を、二人まとめて空の向こうへ放り出している。


 ぼくの知っていた花屋さんではなかった。いや、花屋さんであることも、本当なのだと思う。


 お姉さんがこちらを向いた。


 笑みが消える。


 ぼくの手。倒れた男。また、ぼくの手。


 さっきは戦いが続いていて、何も聞けなかったのだとわかった。


「……ぼくくん?」

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