胸に秘密があるのかな
馬車が揺れるたび、お姉さんの腕に力がこもった。
「ごめんね、ぼくくん」
「もう聞きました」
「でも、巻き込んじゃったから」
花屋が燃えてから、まだ半日も経っていない。
お姉さんが向かった先は、となり町にいく馬車の停留所だった。
馬車は、ぼくたちの他にも数人の客を乗せて町を離れた。
向かいには、買い物帰りらしい女性がうとうとしている。窓の外では畑が続いていた。
「ぼくくん、怖かったよね」
「……少し」
怖かったのは、男の魔術じゃない。お姉さんが死んだと思ったときだ。
ぼくはまだ、殺し屋だと話していない。男の背後に回り、魔力の刃を作ったことも。
「お姉さんのせいじゃありません」
「わたしを追ってきた人だから、わたしのせいだよぉ」
お姉さんはぼくの腕を離さなかった。
窓に映るぼくの袖には、煤と小さな焦げ穴がある。隣のお姉さんには煤ひとつついていない。あの魔術は壁ごとお姉さんを吹き飛ばしたのに、戻ってきたときには無傷だった。
お姉さん、何者?
花屋さん。変なお姉さん。胸が大きい。いつも重たいと言っている。
男が狙ったのは、ちょうど胸のあたりだった。心臓がある場所だ。
最強の防御の秘密は、この胸にあるのだろうか。
……そんなわけない。
でも、ぼくが見たのは、直撃した魔術と無傷のお姉さんだけだった。
お姉さんがぼくの頭をつつく。
「ぼくくん、どこ見つめてるの?」
「考えごとをしてるだけです」
「ここを見ながら?」
「見ていません」
「ずーっと見てたよぉ」
ぼくは窓の外へ顔を向けた。
こんな非常時に、やましい気持ちで見るわけがない。
なんとなく、ちらっと見る。
……でかい。
「耳まで赤いよ?」
「馬車が暑いんです」
「窓、開けようか?」
「寒くなるので大丈夫です」
「暑いの? 寒いの?」
「普通です」
お姉さんが笑った。店を失ったばかりとは思えない声だった。でも、ぼくの腕を抱く指には、まだ力が入っている。
「お店の花、だめになりましたね」
「うん」
「今日届いたばかりだったのに」
「ぼくくんが、葉っぱ取ってくれたのにねえ」
朝の作業台を思い出した。桶に入れた花も、アーチの下に並べた鉢も、もうない。
「また、お店出せますかね」
「作れるかなあ」
「お姉さんならできます。ぼくもたくさん手伝います」
「うれしいなぁ」
「なんでもしますから」
「やさしすぎるよー」
お姉さんは少し笑って、ぼくの腕に頬を寄せた。
しばらくして、ぼくの手を両手で包む。
「あの人に顔を見られちゃった。わたしと一緒にいるところを。たぶんもう、他の人にもぼくくんがいたこと知られてるかも」
「はい」
「もう、ぼくくんを一人で帰せないの。ほんとは、おうちに帰りたいよね。おとうさんとおかあさんにも会いたいよね」
「会いたいです」
お姉さんの顔が曇った。
「ごめんね……わたしが、なんとかするから」
「いいえ、会いたくてももう会えないので」
「え?」
「ごめんなさい、返事のしかたを間違えました。……とっくに死んでますから」
お姉さんの手が止まった。
家族の顔も声も知らない。殺されたとき、ぼくは隠密魔術で隠れていたらしい。組織の人から聞いた話だけだ。
ぼくの家族は、魔力生命体という化物に殺されたらしい。
魔力から生まれ、生態も思考も人間とはまるで違う怪物。
……もし一度だけでも会えるなら、ぼくがどんな子だったか聞いてみたい。
「……知らなかった」
「話してませんから」
お姉さんは謝り直さず、手も離さなかった。
ぼくも、お姉さんを一人にしたくない。
組織へは、研究施設での仕事が終わったと報告していない。次の指示を受けるつもりもなかった。追手が増えるとわかっていても、もう戻りたくなかった。
お姉さんのそばにいるために、服を替えて、髪型も変える。お姉さんには帽子をかぶってもらう。見つかりそうなら隠密魔術で隠れ、別の町へ行けばいい。
町はたくさんある。全部の花屋を探すのは大変だろう。
これなら、なんとかなる。
たぶんぼくは、計画を立てる才能がすごくあるんだろうな。
ぜったいバレなさそうだもん。
ぼくが黙って計画を立てているあいだ、馬車は次の町へ着いた。
*
お姉さんとカフェに入り、焼いたパンを頼んだ。
店先で朝ごはんのことを聞かれてから、何も食べていない。お姉さんも同じだった。
「次はどこへ行くんですか」
「馬車で行けるところまで。そこから考えるよぉ」
「まだ決めてないんですか」
「うん」
追われているのに、行き先が決まっていない。
やっぱり、ぼくが考えておいてよかった。
お姉さんはパンをちぎりながら、人の往来へ目を向けていた。店で花を選んでいたときとは、目の動きが違う。
「ねえ、お姉さん。花屋に来た男が呼んでいた、不――」
椅子が鳴った。
お姉さんが立ち上がり、両手でぼくの口を塞ぐ。
「だーめ。人前で言ったらだめ!」
ぼくが頷くと、手を離した。
「気になります」
「だよねえ。人がいなくなってから、ちゃんと教えてあげるね」
お姉さんは椅子へ座り直し、ちぎりかけだったパンを手に取った。
「ほら、いまは食べよぉ。お腹が空いたままだと、逃げるのも大変だからねえ」
「逃げるなら、ぼくに計画があります」
「計画?」
「はい。さっき馬車の中で考えました」
ぼくはパンを一口食べてから、お姉さんへ身体を寄せた。
大きな声で話すようなことではない。
「まず、二人とも服を替えます。ぼくは髪型も変えます。お姉さんは髪を隠せる帽子をかぶってください」
「うんうん」
「そうすれば、花屋に来た人と会っても、ぼくたちだと気づかれません」
「帽子だけで?」
「服も替えます」
「あ、そっかあ」
「それから、いままでと違う町の花屋で働きます」
「また花屋さんするの?」
「お姉さんは花屋さんですから」
「そっかあ」
「もし見つかりそうになったら、お店の裏口から逃げます。人がたくさんいるところへ行けば、たぶん見失います」
「うん」
「それでも見つかったら、また馬車に乗って別の町へ行きます」
「うんうん」
「町はたくさんあります。花屋もたくさんあります。追いかけてくる人たちが、全部の町の花屋をひとつずつ探していたら、すごく時間がかかるはずです」
お姉さんはパンを持ったまま、口元を緩めた。
「ぼくも帽子を深くかぶります。顔が見えなければ、別の子供だと思われます」
「なるほどぉ」
「お姉さんも、黙っていれば普通の花屋さんに見えます」
「黙ってたほうがいいの?」
「変なことを言うからです」
「変なこと言ってたかなあ」
「胸が重たいとか」
「重たいよぉ」
「そういうところです」
お姉さんはついに堪えきれなくなったように、くすくす笑いだした。
ぼくは、まだ説明の途中だった。
「お金は、また花を売れば手に入ります。寝るところは、それから探します。馬車に乗るお金が足りなくなったら――」
「かわいいねっ!」
お姉さんが、嬉しそうに言った。
ぼくはパンを持ったまま、お姉さんの顔を見た。
いまの話のどこに、かわいいところがあったんだろう。
たぶん、わからないという顔になっていた。
お姉さんはぼくの顔を見て、またくすくす笑った。
「なんでもないよぉ。続き、聞かせて」
「もうほとんど終わりです」
「そっかあ。すごい計画だったねえ」
「はい。これなら、ぜったいに見つかりません」
「うんうん」
お姉さんは笑ったまま、赤いジャムを塗ったパンをかじった。
ぼくも残っていたパンを食べる。
びっくりするような計画を披露したのに、なぜかお姉さんはずっと笑っていた。
「次の町にも花屋はありますかね」
「あるんじゃないかなあ」
「なかったら、ぼくたちで作りましょう」
「お店を?」
「はい。ぼくが重い箱を運びます」
「胸は?」
「持ちません」
「そこは計画に入ってないんだぁ」
「入れません」
話をしながら食べているうちに、皿の上のパンは残り一切れになった。
お姉さんはぼくの飲み物が減っているのを見て、水差しを手に取った。
「お水、いる?」
「お願いします」
「はーい」
水がコップへ注がれる。
その細い音だけが、妙にはっきり聞こえた。
ふと、ぼくは顔を上げた。
なにかがおかしい。
さっきまで聞こえていた話し声も、食器の触れ合う音も、店員が歩き回る足音も消えている。
窓の外から聞こえていた馬車の車輪や、人の往来まで途絶えていた。
「……お姉さん」
「うん」
「静かすぎませんか」
お姉さんは水差しを置き、ゆっくり周囲を見た。
さっきまで皿を運んでいた店員が、通路の真ん中で立っている。
窓際の客も、パンを持ったままこちらを見ていた。
ほかの席にいる人たちも、誰一人として食事を続けていない。
全員が、ぼくたちを見つめていた。
窓の外の人まで足を止め、同じ顔でこちらを向いている。
いつから見られていたのか、わからない。
なにか、あからさまにまずい。
ぼくは隠密魔術を展開し、お姉さんの腕を掴んだ。
その前に、身体が浮く。
「頭、下げててね」
お姉さんに抱えられたまま、カフェの窓を突き破った。
お姉さんの行動にびっくりして、術式を解いてしまった。
硝子が砕け、破片が地面にぶつかる。
お姉さんが歩道へ着地すると、背後でいくつもの術式が開いた。
店員も、客も、外で立っていた人たちも、同時に魔術を放つ。
光が馬車を横倒しにし、炎が向かいの家の壁を焼いた。露店の店主が身を伏せ、逃げようとした人が転ぶ。
「町の人が!」
お姉さんは走りながら片手を上げた。
淡い光が指先から飛び、転んだ人や店主の身体を包む。看板の破片と露店の木片が降りかかったが、光に触れた人たちは、瓦礫が直撃しても血の一滴も流さなかった。
「これはー……厄介な魔術だねぇ」
お姉さんがそう言った直後、炎が背中に当たった。
「お姉さん!」
「だいじょうぶ!」
服が焼けている。なのに走る速さは変わらない。砕けた石が降ると、お姉さんはぼくを覆い、自分の肩で受けた。
「降ろしてください。ぼくも走れます」
「今はこのほうが速いよぉ」
路地へ曲がり、追手の足音を背後に聞きながら、お姉さんは言った。
「さっきの名前、教えてあげる」
「今ですか」
「居場所、ばれちゃったしねえ。不治のユラは、わたしのあだ名だよぉ」
「不治……」
「治療がいらないから、不治なのー」
なんだか違和感がある。
不治は、治せないという意味じゃなかったかな。
なんだか変。だけどお姉さんは、いっつもふわふわした物言いで、誤魔化してるのか本気なのか分かりづらい。
お姉さんはぼくを抱えたまま、路地の突き当たりを蹴った。高い塀を一息に越え、反対側へ降りる。
「わたし、頑丈っ!」
自慢げな顔だった。焼けた服の下に、傷はひとつもない。
頑丈なのはわかった。でも、花屋に来た男は、本当にそういう意味でお姉さんを呼んだのだろうか。
追手の足音が、塀の向こうから近づいてくる。
お姉さんはぼくを抱え直し、また走り出した。




