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不治のユラ~花屋のゆるふわ殺し屋お姉さんとの逃避行~  作者: 硝子玉の宇宙


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2/16

不治のユラ

「水に浸かるところの葉っぱは取ってね。残っていると、水が傷みやすいから」


 お姉さんが一本を手に取り、見本を見せた。


 ぼくも渡された花の下の葉を外す。力を入れすぎないように指を動かすと、葉は思ったより簡単に取れた。


「上手」


「これだけですよ」


「最初は、花びらまで握っちゃう人もいるの」


 お姉さんは作業台の上に、葉を取った花を並べた。


 次は桶の準備だった。洗って乾かしてある桶にぼくが水を張り、お姉さんが茎の先を切り直して、花を一本ずつ入れていく。


「青いシールの箱は、予約のお花。涼しいほうへ置いてね」


「はい」


 箱を運び終えると、今度は鉢植えを店先に並べた。


 お姉さんは札を見て数を確かめ、葉の裏を覗き込み、鉢の向きを少しずつ変える。


「この鉢も外に出しますか」


「その子は直射日光が苦手だから、アーチの下にお願い」


 言われた場所へ置くと、お姉さんが隣の鉢との間を空けた。


「風が通るようにね」


「覚えることが多いですね」


「うん。わたしも毎日おべんきょう!」


 お姉さんは花を見ているとき、いつも楽しそうだ。


 さっきまで会計台に突っ伏していた人が、一本一本の様子を確かめている。ぼくが鉢を一つ運ぶあいだに、お姉さんは何度も店先と裏手を行き来した。


「お姉さん、ちゃんと働いてますね」


「ちゃんとってなあに?」


「褒めてるんです」


「ほんとかなあ」


 お姉さんが隣に来る。肩が触れそうなくらい近い。


 どんな花よりも、お姉さんはいい香りがする。


 ぼくは、お姉さんが好きだ。


 どういう種類の好きなのか、自分でもわからない。一緒にいると落ち着くし、帰ったあとも、またここへ来たいと思う。


 ずっと一緒にいたい、と考えたこともある。


 たまにうざいけど。


「ぼくくん、それ、さっき運んだ鉢だよ」


 見下ろすと、同じ鉢をまた持ち上げていた。


「置く場所を考えていました」


「さっき一緒に決めたよぉ」


「……確認です」


 お姉さんが笑う。


 その声に重なって、入口のベルが鳴った。


 店に入ってきた男は、花を見なかった。


 灰色の上着。片手は袖の中に隠している。視線が店先の鉢を通り過ぎ、会計台と裏口の位置を確かめた。


 なによりも、殺意が隠せていない。


 ぼくは息を浅くする。


 隠密魔術を発動した。


 お姉さんのすぐ横に立っているのに、男の視線はぼくを素通りする。お姉さんも、入口のほうへ顔を向けた。


「いらっしゃいませ。お花をお探しですか?」


 男は答えなかった。


 ぼくは棚の陰へ移る。足音も気配も、男には拾えないはずだ。


「……不治のユラ」


 男がそう呼んだ。


 お姉さんのことを見ている。


 不治のユラ。


 聞いたことのない名前だった。


「はい?」


 お姉さんが首を傾げる。


「ユラ、ですよね。ずいぶん捜しました」


「そうなんだぁ。大変だったねえ」


 いつもの、宙に浮くような声。


 ぼくが鉢の置き場所を間違えたときと、ほとんど同じ調子だった。


 男は笑わない。


「こちらへ戻っていただきます」


「いま、お店があるから」


「あなたに店を続ける権利はありません」


「えー……お花、まだ水に入れたばっかりなのに」


 お姉さんは桶を振り返った。


 その一瞬、男の指が袖の中で動く。


 ぼくは棚を離れ、男の背後へ回った。


 今なら殺せる。


 男はお姉さんに意識を向けている。首筋は無防備だ。


 でも、男はまだ攻撃していない。


 ここでぼくが殺したら、お姉さんはどう思うだろう。


 花を選びに来たはずのぼくが、目の前で。

 

 まだなにもしていない人を殺したら。


「ユラ」


 男の声が低くなる。


「次は、頼みません」


 袖口から術式が広がった。


 待て。


 ぼくは魔力を刃に変える。


 お姉さんに向けてそれが放たれる前に、男の首を――。


 そこまで考えたときには、もう遅かった。


 あまりにも早すぎる術式の構築。


 そこから放たれた光が、お姉さんを呑み込んだ。


 耳を裂くような音がした。


 お姉さんの背後の壁が吹き飛ぶ。鉢が砕け、ガラスが降り、棚に置かれた包装紙へ火が移った。


 お姉さんの姿が見えない。


 ぼくは男の首筋へ、魔力の刃を滑り込ませた。


「見えていたぞ」


 男に手首を掴まれた。


 振り返りもせず、ぼくの腕を止めている。反対の手には、次の術式。


 ぼくが隠れていることを知っていたのか。


 そんなことは、どうでもよかった。


 お姉さんが死んじゃった。


 よくわからない男が来て、よくわからない名前で呼んで。ぼくが迷っているあいだに、お姉さんが吹き飛ばされた。


 もっと早く判断すべきだった。


 お姉さんを引っ張って逃げればよかった。


 ぼくのせい?


 男の手元に光が集まる。


 ぼくは目を閉じた。


 掴まれた腕の力を抜く。


 お姉さんにもう会えないなら、もういいかな。


 けれど、何も起きなかった。


 男の手が、ぼくの手首から離れる。


 目を開ける。


 目の前に立っている男には、首から上がなかった。


 身体が傾き、燃え始めた床へ倒れる。術式の光も消えた。


 ぼくは動けないまま、吹き飛んだ壁のほうを見た。


 炎の向こうに、お姉さんが立っていた。


 栗色の長い髪も、桃色の瞳も、さっきまでと同じだ。何が起きたのかわからないくらい、いつもの雰囲気のまま、ぼくを見ている。


「ぼくくん」


 お姉さんは足元の火を避けて、こちらへ来た。


 ぼくの顔を覗き込む。


「……お姉さん?」


「うん」


「生きてるんですか」


「生きてるよぉ」


 お姉さんはぼくの手を取った。


 あたたかい。


 ぼくが掴み返すと、お姉さんは少しだけ目を丸くした。


「ごめんね。怖かったよね」


 お姉さんはぼくの手を引き、そのまま抱き締めた。


 顔が、大きな胸に押しつけられる。


「……っ」


 柔らかい。あたたかい。近すぎる。


 ぼくは何か言おうとして、声が出なかった。


 ついさっきまで、この人はもう死んだと思っていた。目を開けたら、もう一度いなくなっているかもしれない。そんな考えが頭から離れず、ぼくはお姉さんの服を掴んだ。


「ぼくくん?」


「……息が、できません」


「あっ、ごめんねえ」


 お姉さんが慌てて腕を緩める。


 顔を上げると、桃色の瞳がぼくを見つめていた。いつものように笑おうとしているのに、少しだけ眉が下がっている。


「大丈夫?」


「はい」


「ほんとに?」


「お姉さんこそ」


「わたしは平気だよぉ」


 平気だと言う人の背後で、店の棚が焼け落ちた。


 ぼくはその音に肩を揺らす。お姉さんは振り返り、朝から二人で並べた花を見た。


「……あのお花、今日届いたばっかりだったのになあ」


 さっきまで、お姉さんの手の中にあった花だ。


 ぼくが葉を取って、お姉さんが水に入れた。


「また、仕入れられます」


「うん」


「お店の片づけも、ぼくが手伝います。箱も鉢も運べますから」


 お姉さんがこちらを向いた。


 何か言いかけて、やめたように見えた。


「ぼくくん、力持ちだもんねえ」


「お姉さんが運ばせたんでしょう」


「そうだった」


 お姉さんは笑った。


 ぼくは店の奥を見た。火はもう、作業台のほうまで広がっている。


「元どおりにするのは大変そうですけど」


「うん」


「ぼく、また手伝いに来ますよ」


 お姉さんは答えず、棚に残っていた小さな鞄を取った。


 それから、さっきと同じ調子でぼくに笑いかける。


「逃げよっか」


 お姉さんがぼくの手を引いた。


 ぼくはもう一度、燃える店を振り返った。


 朝、二人で運んだ鉢が見えた。あれをどこに置くか、ようやく覚えたところだった。


 お姉さんに引かれて、ぼくは裏口へ走った。



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