海の向こう
次に向かった場所は、港だった。
廃村を出た夜は、林の中で過ごした。
お姉さんが服の穴を縫っているあいだ、ぼくは道を見ていた。針を持つ指まで何度も確かめていたら、とうとう手を振られた。
「縫ってるだけだよぉ」
「……はい」
翌朝も、左手首は腫れていた。
脇腹の布を取り替えてもらい、上から服を下ろす。立つと痛んだけれど、歩けないほどではなかった。
お姉さんは、鞄を渡してくれなかった。
*
海へ近づくにつれて、道を行く荷車が増えた。
ぼくたちは道端の林を歩いた。車輪の音が近づけば木の陰へ寄り、通り過ぎるのを待つ。
どこに組織の人間がいるか、わからない。
廃村に来た男も、武器を持っていなかった。あのケースを開かなければ、ただの旅人に見えたかもしれない。
「港に着いても、船の窓口には行きません」
「切符、買わないの?」
「名前も、行き先も聞かれます。顔も見られます」
「そっかぁ」
「隠れて乗ります。お姉さんも、ぼくの隠密で」
お姉さんが、布を巻いたぼくの手首へ目を落とした。
「二人ぶん、平気?」
「船に乗って、隠れる場所を見つけるまでなら」
「見つからなかったら?」
すぐには答えられなかった。
お姉さんは、ぼくが続きを考えるのを待っていた。
「……いったん下ります。乗ったまま、無理はしません」
「うん。それなら、一緒に探そっか」
頷いて、道の先を見た。
戦わずに済む道を選びたい。
ぼくが勝てるかどうかを考えるのは、もう嫌だった。
荷車が一台、木々の向こうを通り過ぎた。
幌の後ろから、木箱の角が見えている。
廃村の入口に置かれた、金属のケースを思い出した。
「お姉さん」
「なあに」
「組織は、不治を何に使うつもりだったんですか」
「何に?」
「人を殺すため、っていうのは聞きました。でも、殺し屋はいたでしょう。お姉さんも、ジェラーも」
あの男もいた。
人ひとりを殺すのに困るような組織ではないはずだった。
「どうして、神性存在まで作ったんですか」
「戦争のためだよ」
さらっと言った。
ぼくは、お姉さんの横顔を見た。
「……戦争?」
「うん」
「どこと?」
お姉さんが、こちらを向いた。
「ぼくくん、この国のこと、どれくらい知ってる?」
国のこと。
町の名前なら、いくつか知っている。
仕事で行った場所。施設までの道。検問のある橋と、そこを避けて渡れる川。
それ以外を探した。
「……あまり」
「そっかぁ」
「戦争してるんですか、いまも」
「大きな軍隊同士では、戦ってないよ。でも、仲直りもしてないの」
お姉さんが、前へ向き直った。
「この国ね、よその国へ攻め込んで、土地をたくさん取ってきたんだよ」
ぼくは足元の枝を跨いだ。
「取った土地は、どうするんですか」
「そこに住んでる人ごと、こっちの国が治めるの。植民地って聞いたことある?」
「言葉だけなら」
「そういう場所が、たくさんあるんだよ。だから、恨まれてる」
町の広場にあった像を思い出した。
剣を持った男が馬に乗っていた。台座には何か書いてあったけれど、待ち合わせの目印にしただけで、読んだことはない。
「あっちからも、攻めてくるんですか」
「来るよ。取られた土地を返してほしい国も、次は自分たちの番だと思った国もあるから」
「一つずつ?」
「最初はね。そのうち、一緒に戦おうって国が集まったの。それが連合」
荷車の音がした。
ぼくたちは足を止めた。
道を見て、お姉さんもぼくの隣へ寄る。
御者が、隣に座った男と話していた。
聞こえたのは魚の値段だった。
二人の声が遠くなってから、また歩き出した。
「……そんなこと、知りませんでした」
「教わらなかった?」
「施設へ入る方法は、教わりました」
お姉さんは黙った。
「ぼくが壊していた研究所は、全部この国の中です。国境を越えたこともありません。仕事は、渡された地図で足りましたから」
行って、帰ってくる。
地図の外がどうなっているか、聞く必要もなかった。
「連合って、強いんですか」
「うん。八年前にね、魔力生命体を量産する技術を手に入れたの」
足が止まりかけた。
「量産」
「同じような性質の子を、たくさん生み出せるようになった。その子たちを、この国へ送り込んだんだよ」
「……人を、襲わせたんですか」
「うん」
お姉さんが歩く速さを緩めた。
ぼくは、ついていった。
木の根を避けるために足元を見たまま、聞いた。
「ぼくの家族を殺したのも?」
少し、間が空いた。
「連合が放った子じゃないかな」
靴の先についた泥が、歩くたびに落ちた。
「……知ってたんですか」
「ぼくくんの家族のことは知らないよ。どこで、どの子に襲われたかも。だから、いまのは、わたしがそう思っただけ」
お姉さんは、はっきり言った。
「勝手に決めて話しちゃ、だめだね。ごめんね」
「いえ」
ぼくは首を振った。
「その頃、たくさんあったんですか。そういうこと」
「……うん。あったよ」
ジェラーは、魔力生命体に殺されたと言った。
ぼくは、その言葉の先を聞かなかった。
どうして家族のいる場所へ来たのか。どこから来たのか。誰かが来させたのか。
そんなことは、考えもしなかった。
「もし、そうだったら」
言いかけて、お姉さんを見た。
「殺すために作られて、ぼくの家に来たんですね」
「その可能性は、あると思う」
「ぼくが、研究所へ行ってたみたいに」
お姉さんの唇が、少し開いた。
返事はなかった。
ぼくも、それ以上は言わなかった。
同じなのかどうか、わからない。
その魔力生命体が何を考えていたのかも、家族がどうやって死んだのかも。
ただ、ジェラーに会ったら聞くことが増えた。
「八年前の記録って、残ってるでしょうか」
「残ってると思うよ。町の記録も、襲われた人の記録も」
「……探したいです」
「うん」
お姉さんが、ぼくの右手へ指を添えた。
ぼくは、その手を取った。
*
木々の間から、海が見えた。
思っていたより広かった。
地図には向こう側の陸地が描いてあったのに、ここからは何も見えない。
低い丘の下に、建物が並んでいる。
その先に、何隻も船が泊まっていた。
「いまは、その連合と戦ってないんですよね」
「大きな戦争にはなってないね。お互い、次に始めたらどうなるか、わかってるから」
「それなら、終わりにすればいいのに」
「取った土地を返すとか。軍隊を引くとか。そういう話が、まとまらないんだよ」
「まとまらないまま、武器を作ってるんですか」
「うん。相手より強いものを持とうとしてる。冷戦っていう状態だね」
ぼくは、海を見た。
「アルバデラも、連合なんですか」
「ううん。あそこは入ってないよ」
お姉さんが、鞄を肩に掛け直した。
「小さな国だけど、この国とも行き来してる。いま、周りで冷戦の相手になってないのは、あそこくらい」
「だから、ジェラーはあそこへ?」
「拠点を置いた理由までは聞いてないけど、行き先には選びやすいと思う」
上着の内側に触れた。
地図は、ちゃんと入っている。
一ヶ月後。
まずは、そこへ行かなければいけない。
「不治も、そのためですか」
お姉さんの視線が戻った。
「連合より強い武器を持つために、作ったんですか」
「……うん」
「使われたら困るから、攻めてこないように?」
「それだけじゃないよ」
港のほうで、汽笛が鳴った。
お姉さんは、音が止むのを待った。
「敵の国の人を、全員殺すため」
ぼくは、握っていた手を見た。
「兵隊を?」
「兵隊も。それ以外の人も」
「全員って……」
「全員だよ、ぼくくん」
お姉さんの声は、いつもと同じ大きさだった。
「戦わない人も。逃げた人も。まだ何も知らない子も。敵の国にいるっていうだけで、誰も残さない。そのための権能が欲しかったの」
「生き物だけを殺せば、土地も施設も、全部無事なまま奪えると思ったんだよ」
丘の下を、屋根のない荷車が通っていた。
荷台の端に子供が座って、両足を揺らしている。
あれくらいの子も、ということだ。
「降参しても?」
「そういうのを、聞くためのものじゃなかったから」
「……土地が欲しいから、そこにいる人を全部殺すんですか」
「うん。そのつもりだったんだよ」
お姉さんは頷いた。
「それに、出来上がった不治は、敵の国だけなんて選んでくれなかった」
人間の生命活動を止める権能。
ジェラーから聞いていた。
星じゅうの人間を殺しかけたことも、お姉さんが取り込んだことも。
ぼくは、それを失敗した研究だと思っていた。
成功したら、何をするつもりだったのか。
そこまで考えていなかった。
「それで、まだ取り戻したいんですか」
「今度は扱えると思ってるんだろうねえ」
廃村に来た男のケース。
蓋の裏の紙。
前段階試験。
あの中へ入れて持ち帰った先に、また研究所がある。
お姉さんがいなくなったあとも、そこで続きをするつもりだった。
「……渡したくないです」
「うん。わたしも」
お姉さんが、つないだ手を少し持ち上げた。
「だから、逃げようね」
ぼくは頷いた。
*
港町へ入る前に、隠密魔術をかけた。
自分だけでなく、お姉さんの輪郭まで術式を広げる。
鞄も、揺れる髪の先も。その中へ収めてから、道へ出た。
市場の前を通った。
魚を並べる人と、値段を聞く人。空いた木箱の中で、猫が丸くなっている。
誰も、ぼくたちを見なかった。
でも、ぶつかればわかる。
足跡も残る。
荷物を運ぶ人の進む先を見て、道の端へ寄った。お姉さんも、ぼくと一緒に止まる。
港には、制服を着た人がいた。
船から降りた男の書類を受け取り、顔と紙を見比べている。
その横を通ろうとは思わなかった。
建物の陰から、岸壁を見た。
行き先の書かれた札が並んでいる。
一枚ずつ目で追って、知っている国名を探した。
アルバデラ。
あった。
札の向こうに、黒い船腹が見える。
太い綱で岸へ繋がれ、横腹に渡された板を、人が行き来していた。
ぼくは、お姉さんの手を引きかけた。
左手首が疼いた。
あの男に、最初の刃が届きかけたときも、行けると思った。
足を止め、船をもう一度見た。
渡り板のそばに立っている男は、運ばれてくる箱を数えている。甲板の上にも一人。降りてくる人のために、道を空けている。
その先は、ここからでは見えなかった。
ぼくは、お姉さんへ口を寄せた。
「先に、隠れられる場所を確かめます」
「うん」
「だめなら、下ります」
「一緒にね」
お姉さんが囁いた。
ぼくは頷いて、荷物の列が途切れるのを待った。




