逃避行
研究所を出てから、二日が経った。
大きな道は避けた。町へ寄るのは食べ物を買うときだけにして、暗くなる前に寝られる場所を探した。
海へ向かっているはずだった。
地図にない細い道を選ぶたび、少しだけ不安になった。
「今日は、ここにしましょう」
村には、誰もいなかった。
井戸の桶は底が抜け、畑だった場所には膝より高く草が伸びている。家は何軒もあったけれど、屋根の残っているものは少なかった。
ぼくが選んだ家も、奥の部屋は空が見えた。
手前の一部屋だけなら、雨は避けられる。
裏口もあった。外には狭い庭と、隣の家との間を通る路地がある。
先に一回りしてから、お姉さんを呼んだ。
「火は、やめておきます」
「うん。お水、ここでいい?」
「お願いします」
お姉さんが鞄を下ろした。
ぼくは壁際の床を踏んだ。少し沈む。
その隣は、大丈夫だった。
「こっちに寝てください。そこ、板が腐ってます」
「ぼくくんは?」
「入口の近くに」
「一緒のところがいいなあ」
「入口を見ていたいんです」
「じゃあ、わたしも入口」
二人で入口に寝たら、出られない。
そう言いかけたとき、戸の向こうで靴が止まった。
ぼくは、お姉さんの腕を引いた。
壁際から離れる。
「火を焚かないのは、いい判断だ」
知らない声だった。
戸が、外から押された。
短い髪の男が立っていた。
土埃のついた外套。片手には、持ち手の短い金属のケース。
剣も銃も見えない。
男はぼくを見て、それからお姉さんを見た。
「ユラ」
お姉さんが、ぼくの腕から手を離した。
「……こんばんは」
男は挨拶を返さなかった。
敷居の外へケースを置き、留め金を外す。
内側に、太い線を重ねた術式が刻まれていた。
蓋の裏には紙が挟んである。
見えたのは、『前段階試験』と、その下に並んだ小さな図だけだった。
男は紙を一瞥し、蓋を開いたまま立ち上がった。
「器は処分可、か」
ぼくは、男の顔を見た。
お姉さんを見ていた。
ケースへ、視線を戻す。
人の入る大きさではない。
でも、この人は持って帰るつもりで、先に開けた。
お姉さんを殺したあと、残るものを。
「それ、使えないと思うよぉ」
お姉さんが言った。
男は返事をしなかった。
袖口を、一度だけ引いた。
ぼくは隠密魔術を使った。
ジェラーに忠告されたばかりだった。
俺以外のやつらも、相当動いてる。
男の目が、床へ下りた。
ぼくが消えた場所。
そこから、戸口までの埃。
「お姉さん、奥へ。魔力は、使わないでください」
言いながら、ぼくは横へ動いた。
お姉さんが何か言いかけた。
ぼくは男との間へ入った。
返ってこない魔力を、使わせたくなかった。
そのために、ぼくがいる。
*
男の首へ刃を入れた。
踏み込む直前まで、魔力は漏らさなかった。
男の目は、床に向いていた。
ぼくの足が埃を押し分ける。
顎が引かれた。
刃先が襟を裂く。
同時に、肩をぶつけられた。
振り切った右腕が、男の胸との間に挟まる。
腰の横に、小さな光があった。
ぼくは膝を折った。
頭の上で壁が弾けた。
鋭い音が、耳の奥へ刺さる。
男は腕を引かず、身体を寄せてきた。
ぼくは右手の刃を消す。
空いた手を抜いて、横へ逃げた。
男の肩の上で、別の光が膨らむ。
その向きを見て、さらに外へ跳んだ。
最初の光が、そこにあった。
男の腰の横にあったはずの術式。
男だけが動いて、術式は部屋の真ん中に残っていた。
跳んだ先に、足を置く板がなかった。
腐った床へ片足が沈み、身体が傾いた。
背中を熱いものが掠めた。
落ちたから、背中の皮一枚で済んだ。
足を引き抜き、そのまま床へ伏せる。
頭の上を、続けて二発が抜けた。
壁に三つの穴が並んだ。
その向こうで、隣家の瓦が落ちる。
狙撃用の魔術弾だ。
壁ごと人を撃ち抜くものを、こんな距離から。
しかも、一発では終わらない。
ぼくは床を蹴った。
四発目が、さっきまで胸のあった場所を抜いた。
男の靴が来た。
腕で受けず、足首へ刃を向ける。
男が膝を畳んだ。
ぼくの刃が空を切る。
その膝の脇に、また光。
ぼくは男の懐へ飛び込んだ。
近ければ、自分の身体が邪魔になる。
男は、撃たなかった。
左手でぼくの肩に触れた。
それだけで、消えているぼくの位置を掴む。
右の拳が引かれた。
肘の後ろに、輪ができた。
さっき弾を送り出していた術式と、よく似た形だった。
ぼくは顎を引いた。
間に合ったのは、そこまでだった。
拳が、途中から見えなくなった。
頬を掠めた衝撃で、視界が横へ飛ぶ。
背後の壁が砕けた。
男の拳が、そこまで届いていた。
弾ではなく、腕を撃ち出した。
ぼくは肩に置かれた指へ刃を返した。
男が手を離す。
その隙間から、身体を抜いた。
まっすぐ下がるのはやめた。
部屋の真ん中には、まだ術式が残っている。
男は、その光とぼくの間を空けながら歩いた。
いつ撃つのかわからない。
ぼくが横へ逃げれば、自分が追いつく。
ぼくが自分を避ければ、置いた弾の前へ出る。
男は、その位置を崩さなかった。
「ぼくくん、こっち!」
お姉さんが壁際の椅子を倒した。
ぼくと光の間に、背もたれが入る。
止められる厚さではなかった。
でも、その陰へ潜る瞬間だけ、足元の埃が見えなくなる。
隠密を深くかけ直した。
椅子の脚を蹴り、右へ転がす。
ぼくは左へ抜けた。
弾が椅子を砕く。
破片に紛れて、男の背後へ回った。
今度は、届く。
右手の刃を首へ振った。
男の足元が光った。
身体が、横へ飛んだ。
跳んだのではなかった。
踵の下に開いた術式が、男を斜め前へ射出していた。
刃は外套を裂いただけだった。
ぼくは振り切った刃を消し、床へ身を投げた。
男は着地する足の前にも、小さな輪を作った。
逆向きの光が弾ける。
滑るはずの身体が止まった。
その肩越しに、術式が三つ。
伏せたぼくの背に、木片が降った。
頭上を連射が走り、壁の埃が雨みたいに降った。
男が腕を伸ばした。
お姉さんが椅子の残骸を拾っている。
そちらへ一つ、術式を向けた。
「お姉さん、下がって!」
お姉さんが柱の外へ身をずらす。
ぼくは男の手首へ斬りつけた。
切れた。
浅くても、初めて血が出た。
男はその手を引き、反対の拳を返した。
肘の後ろが光る。
ぼくは拳より先に、上腕を押した。
発射される向きを外へずらす。
拳が、ぼくの肩の向こうを抜けた。
男の膝が腹に入った。
息が詰まった。
それでも、腕は放さなかった。
刃を消し、左手に作り直す。
その刃を隠したまま、脇へ入れた。
男が腰を引く。
また、浅い。
足元に輪ができた。
ぼくは掴んでいた腕を放した。
男が後ろへ飛ぶ。
袖を握ったままだったら、引きずられていた。
お姉さんの前へ、男が戻る。
ぼくは壁際を走った。
腐った板を踏み抜き、割れた一枚を男の足元へ跳ね上げた。
男はそれを踏まなかった。
射出の角度を変え、床の穴を低く越えた。
ぼくは踏み抜いた足を引き抜き、裏口へ転がり込んだ。
男が着地する前に、腰の横から弾が出る。
踵のすぐ後ろで、敷居が砕けた。
戸口を抜け、脇へ回る。
追ってくる首の高さへ、刃を置いた。
扉が先に飛んできた。
内側から、蝶番を撃ち抜かれていた。
蹴り出された戸板に、刃が食い込む。
押し潰される前に、戸板の端へ身を捻った。
裂け目の向こうで、光。
左の脇腹が熱くなった。
庭の土へ転がり落ちる。
ぼくが斬った位置を、そのまま撃たれた。
*
庭は狭かった。
割れた水瓶。崩れた塀。隣家へ続く路地。
ぼくは水瓶の陰へ滑り込んだ。
追ってきた男が、裏口の柱へ手を添えた。
指の間に、小さな光。
すぐに手が離れる。
覚えておかなければいけなかった。
あそこにも、残した。
男は水瓶の右へ回った。
ぼくは左へ出る。
肩の上に術式が開いた。
足が止まった。
弾は、出なかった。
男の拳が来た。
肘の後ろが光る。
ぼくは頭を下げた。
拳も、来なかった。
男の左手が、ぼくの襟を掴んだ。
身体が横へ引かれる。
裏口の柱が、男の肩越しに見えた。
あの前へ出される。
ぼくは襟を切った。
布を残し、地面へ落ちる。
柱が光った。
肩の上を弾が抜けた。
さらに、二発。
転がる先を追うように、土が続けて跳ねた。
ぼくは水瓶へ戻った。
男が、その陰へ拳を打ち込んだ。
輪が弾ける。
水瓶が砕けた。
破片ごと押され、ぼくは塀にぶつかった。
肩に痛みが走る。
お姉さんが裏口へ出てきた。
持ち出した鞄を肩に掛けている。
「ぼくくん」
ぼくは首を振った。
まだ、動ける。
近づけてはいた。傷もつけた。
次こそ、深く入れる。
お姉さんが敷居を越えるより先に、ぼくは塀から離れた。
ぼくは地面を掴んだ。
手の中に、瓦のかけら。
それを、柱へ投げた。
男の視線が動く。
ぼくは右手に刃を作った。
姿を隠し、投げた瓦と反対側へ踏み込む。
男は瓦を撃たなかった。
腰の横から、ぼくへ連射した。
一発目の向きが決まる前に、低く潜った。
二発目は、さらに低い。
跳べば、その先へ三発目が来る。
ぼくは男へぶつかった。
右腕を相手の肘に絡め、射線へ押し出す。
男が三発目を消した。
左手に、短い刃を作る。
魔力が増えるぶんまで、隠す術式に読ませる。
お姉さんに教わったとおりに。
男の目は、ぼくの右腕に向いている。
左の刃を、腹へ入れようとした。
膝で、肘を跳ね上げられた。
男は見えていなかった。
でも、ぼくがさっき左手にも刃を作ったことを、忘れていなかった。
手首が男の胸へ押しつけられる。
空いた右手が、ぼくの左肘を掴んだ。
肘を折られる前に、ぼくは男の肩へ頭を寄せた。
耳の端が裂けた。
遅れて、背後の塀が鳴った。
男の肩越しに、光が残っている。
さっき男が通り過ぎた、水瓶の上の空間だった。
あそこにも、置いていた。
頭を寄せていなければ、顔に当たっていた。
男が、その弾と逆へぼくを押す。
左腕が、変な向きに曲がりかけた。
刃を消し、身体ごと回って逃がす。
地面へ手をついた。
その手首を、靴が踏んだ。
「っ……!」
指が開いた。
靴がねじれる。
ぼくは右手の刃を、地面すれすれに伸ばした。
男が足を引く。
その踵に、射出の輪。
離れるつもりだと思った。
違った。
男は斜めに飛び、ぼくの反対側へ着地した。
水瓶の上に残っている光と、男。
その間に、ぼくがいた。
ぼくは塀へ逃げた。
石が、連続して弾けた。
頭を下げたまま走る。
前に、男が着地した。
まだ止まっていない身体に合わせ、右腕が伸びてくる。
肘の後ろで、輪が光った。
身体の射出に、拳の射出を重ねていた。
ぼくは刃を捨て、両腕を挟んだ。
衝撃で、足が浮いた。
何かが折れる音がした。
自分の腕なのか、ぶつかった塀なのか、わからなかった。
地面に落ちる。
息を吸えなかった。
男の靴が、目の前に止まった。
ぼくは右手に、もう一度刃を作った。
足首を狙う。
男は足を引きながら、ぼくの右腿を撃った。
地面まで、一緒に抉れた。
刃が消えた。
今度は、本当に身体が動かなかった。
お姉さんの声がした。
男の肩の上に、光が開く。
ぼくの頭へ向いていた。
柱の脇でも、光が傾いた。
水瓶の上に残っていた術式も。
逃げる先を、もう探していなかった。
全部が、倒れているぼくへ向いていた。
手を、上げなければ。
指先が土を掻いた。
それだけだった。
*
お姉さんが、ぼくの前へ出た。
発射音がした。
その身体が、わずかに揺れた。
でも、背中には何も抜けてこなかった。
ぼくのすぐ横で、鞄が土に落ちた。
柱の光が膨らむ。
お姉さんが手を上げた。
掌の前に、小さな術式ができた。
その縁を見たときには、もう、男の背後まで光っていた。
細い線が庭を走り、空中で枝分かれする。男の左右に、頭上に、塀の向こうに、無数の術式が一斉に閉じた。
男の足元が弾けた。
身体が後ろへ飛ぶ。
着地するはずの場所にも、光があった。
男の肩と、背後の塀の目地が、同じところで折れ曲がった。
裏口の柱が途中から横へずれる。
男が顔を引きつらせた。
外套が張り、裂けた。
浮いた両脚と上体が、別々の方向へ折れた。
塀が潰れた。
男の身体も、その間で砕けた。
飛び散った石が宙でもう一度割れ、赤いものと外套の切れ端が、噴き上がる土に呑まれた。
柱の射撃術式がひしゃげ、光を散らす。
水瓶の上にあったものも、見えなくなった。
音が、胸へぶつかった。
地面が跳ねる。
ぼくは右手で土を掴んだ。
頭ほどもある石が飛んできた。お姉さんの横で白い面にぶつかり、砕けて上へ逸れた。
その向こうでは、まだ塀が崩れていた。
男はもういない。
なのに、残った石も、下の土も、続けて抉れていく。
お姉さんが手を下ろした。
光が消えた。
砕けたものが、地面へ落ちた。
大きな音のあとに、砂を撒くような音が続いた。
庭の奥が、なくなっていた。
塀に隠れていた隣家の土台が見える。その手前には深い窪みができ、崩れた土が縁から滑り落ちていた。
男が立っていた場所を探した。
靴も、外套も、見つけられなかった。
あの人が残した術式の位置を、ぼくはずっと覚えようとしていた。
柱も、水瓶も。
もう、覚えておくものがなかった。
「ぼくくん」
お姉さんが膝をついた。
両手が、ぼくの顔へ触れた。
「ぼくくん、聞こえる?」
顔が近かった。
桃色の瞳が、ぼくの目を確かめる。指が髪を分け、耳の上から流れた血に触れた。
「……聞こえます」
お姉さんの口から、息が漏れた。
肩が、少し下がった。
「うん……」
もう一度、頬に触れた。
胸元の服に穴が開いていた。血が染みている。
その下の肌には、傷がなかった。
お姉さんの視線が、ぼくの足へ落ちる。
土が、血で黒くなっていた。
「いま治すからね」
手が離れた。
さっき、庭へ向けた手だった。
あそこから、全部繋がっていた。
ぼくには数えられない術式へ、お姉さんの魔力が流れていた。
いま、どれだけ使ったんだろう。
ぼくを助けるために、どれだけ。
右腿へ伸びてきた指に、また光が灯った。
「やめて!」
お姉さんの手首を掴んだ。
右手で、強く。
「もう、使わないでください」
「ぼくくん、足から血が出てる」
「押さえます。布で、縛れば」
左手を動かそうとした。
指が開かなかった。
お姉さんの手首を離せば、右手が使える。
離せなかった。
「ぼくくん」
「歩けますから」
足を引き寄せた。
痛みで目の前が暗くなった。
身体を起こせず、土の上に肘をつく。
「歩けないよ」
「でも」
光が、傷へ触れた。
「お姉さん!」
「ここは、止めないとだめ」
声は静かだった。
ぼくの手を振りほどかず、そのまま傷へ掌を当てた。
血が止まる。
腿の痛みが、遠ざかっていく。
ほっとしてしまった。
それが、怖かった。
ぼくの身体が楽になるあいだに、お姉さんの魔力が減っている。
さっきまで動かなかった足が動く。
それと引き換えに、この人は死ぬほうへ進んでいる。
手首を掴んだ指が震えた。
「もう、いいです」
光が消えた。
「もう、もういいですから」
「うん。いったん、おしまい」
お姉さんが手を開いて見せた。
光っていない。
それでも、離せなかった。
お姉さんは空いた手で鞄を引き寄せた。
布を出す。
「こっちは巻くね。手、少し動かせる?」
頷こうとして、うまくできなかった。
お姉さんの手を掴んだまま、腕を持ち上げる。
脇腹に布が当たった。
痛かった。
今度は、痛いままだった。
「……いまので」
声が途切れた。
お姉さんが、布の端を持って待った。
「どれくらい、減りましたか」
「ぼくくん」
「あと、どれくらいあるんですか」
知りたかった。
数字を聞いても、ぼくにはどれくらいかわからないかもしれない。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「一ヶ月後まで、行けますか」
お姉さんの指が止まった。
「さっきので、行けなくなったり、してませんか」
海の向こうの国。
地図を渡されたときは、遠いと思った。
いまは、その遠さが怖かった。
ぼくが間に合わなくしたかもしれない。
「……減ったのは、本当だよ」
お姉さんが言った。
「あと何日って、いま約束はできない」
息を吸おうとして、喉が詰まった。
お姉さんの顔を見た。
胸元の穴から見える肌にも、ぼくの頬に触れた手にも、傷は残っていない。
庭は、あんなになっていた。
でも、お姉さんを見てもわからない。
どこまで近づいたのか、何もわからなかった。
「ぼくが、先に」
男の首を狙った。
あのとき、終わらせるつもりだった。
「先に、殺せてたら」
途中からは、手が届くだけで、次はできると思った。
お姉さんが動くたびに、ぼくが先へ出た。
「ぼくのせいで」
「ぼくくん」
お姉さんが屈んだ。
「顔、見せて」
見られなかった。
掴んでいる手首へ、額を寄せた。
温かい。
いまは、温かい。
「死なないでください」
その手に向かって言った。
「ぼくを治すのに、使わないで。もう、こんなの」
続かなかった。
治してもらわなければ、血は止まらなかった。
お姉さんが前へ出なければ、頭を撃たれていた。
どちらも自分でどうにかできなかったくせに、使わないでとだけ言っていた。
お姉さんの指が、ぼくの頬に触れた。
光はなかった。
「わたし、ぼくくんを連れていきたいの」
ぼくは首を振った。
連れていってほしい。
でも、そのためにこの人がいなくなるのは嫌だ。
「……お姉さんも、一緒じゃないと」
「うん」
「一緒じゃないと、嫌です」
「うん。だから、ここを出よう」
お姉さんは、約束を足さなかった。
絶対に死なないとも、大丈夫だとも言わず、脇腹の布を結んだ。
左手首にも布を巻く。
ぼくは、そのあいだずっと、指先を見ていた。
また光るんじゃないかと思っていた。
*
立ち上がると、右足は身体を支えた。
ついさっき、撃ち抜かれた足だった。
一歩踏むたびに、治してもらったことがわかった。
お姉さんが鞄を持って立った。
その身体が、わずかに傾いた。
「お姉さん!」
支えようとして、両腕を伸ばした。
左手首に痛みが走った。
構わず、その腕を抱え込む。
お姉さんがぼくを見た。
「足、滑っちゃった」
靴の下に、小さな石があった。
それだけかもしれなかった。
本当に、それだけなのかもしれない。
ぼくは腕を離せなかった。
「ぼくくん、手首、痛いでしょ」
「右で持ちます」
言われたことにだけ答えて、持ち替えた。
庭の窪みを避け、家の脇を回った。
正面の入口には、開いたケースが残っていた。
男は、その中へ《不治》を入れて帰るつもりだった。
ぼくは見ないようにした。
お姉さんの中から何かが出てきた、そのあとのことを、いまは考えられなかった。
つないだ手を引き、村の外へ向かう。
数歩ごとに、お姉さんの顔を見た。
目が合うたび、少し笑ってくれた。
ぼくも、何か言おうとした。
大丈夫です、と言えば、さっきみたいに歩けないよと返されるだろうか。
もう歩けている。
お姉さんが、歩けるようにしてくれた。
ぼくは口を閉じた。
歩くのをやめずに、その手の温かさを何度も確かめた。




