死なさねえよ
「準備って、何のですか」
お姉さんも、ジェラーの顔を覗き込んだ。
「何をするつもりなの?」
「順番に話す。まず、こいつがわかってねえことからだぁ」
ジェラーが、ぼくを見た。
「おめえ、俺を二度殺したって言ったなぁ」
手のひらに、血の感触が戻ってきた。
「……はい」
「俺は、そのどっちも覚えてねえ」
「でも、ぼくが言う前から、わかってたでしょう」
「おめえ、どんな顔してたと思ってんだぁ」
自分の首を指で叩く。
「刃を持って、ここばっか見てやがる。さっきまで俺がいたらしい床もなぁ。仕掛けておいた術式が動いたんだと、それでわかった」
「見ただけで?」
「何を仕掛けたかは、俺が知ってる。二度ってのは、おめえから聞いたから知ってるだけだ」
お姉さんが、傷のない首へ目を向けた。
「……あれ、治したんじゃないんだね」
「ああ。俺自身の時間を、逆行させた」
天井から砂粒が落ちた。
床へ当たるまで、ぼくはそれを見ていた。
「ここの時間を、全部ですか」
「そんな広く戻せるかぁ。俺だけだ。おめえらも、ここも、そのままだ」
床には、ぼくの刃がつけた傷が残っている。
あれをつけたときの姿勢も、覚えていた。
「首が切れる前まで戻るから、切られた記憶もないんですね」
「そういうことだぁ」
「死んでからじゃ、自分で使えないでしょう」
「先に仕掛けるんだよ。致命傷を食らったら、勝手に戻るようになぁ」
切ったあとでは、遅かったのだ。
ぼくが刃を作るより前から、ジェラーは殺されたあとのことまで決めていた。
「身体から離れた血も?」
「起点にした俺の一部だからな。服も、場所も含めて戻した。戻す対象は、仕掛けるときに決めてある」
何を見て、どう戻ったか。
ようやく、少しわかった。
わかった途端に、別のことへ気づいた。
「……それを、お姉さんに?」
「ああ」
隣で、お姉さんが顔を上げた。
「わたしに?」
「そのために準備してたんだよぉ」
お姉さんは、ジェラーを見たまま動かなかった。
「そんなこと、してたの?」
「言ってねえから、知らねえだろうなぁ」
ぼくは続きを待ちきれなかった。
「不治を取り込む前まで戻せるんですか」
「昔のこいつを、いまから取り戻せるわけじゃねえ。戻る起点は、術を仕掛けるときに用意する」
期待しかけたものが、途中で止まった。
「いまのユラを起点にする。魔力が減ったら、その前まで戻す」
「でも、回復できないんですよね」
「回復できる身体にはしねえ。《不治》を抱えて、回復できねえまま、まだ魔力が残ってた時点へ戻すんだ」
お姉さんが、自分の手首へ触れた。
「中の不治ごと、わたしを戻すの?」
「ああ。取り出して扱う気はねえよ。おめえに封じられてる状態ごと、起点にする」
「それなら、お姉さんは死ななくなる?」
「ようやく話が通じたなぁ」
ジェラーが笑った。
息が、少しだけ楽になった。
ぼくにはどうしようもないと思っていたことを、この人はどうにかできると言っている。
お姉さんは、手首から指を離した。
「治るわけじゃ、ないんだね」
「治す必要がねえところへ、戻し続けるんだよ」
「ずっと、ジェラーが?」
「俺が一生張りついてられるかぁ。そのための装置を作らせたんだ」
「どこにあるんですか」
「組織の目の届かねえ場所だ」
ぼくは眉を寄せた。
「どこですか、それ」
「回収させた資料も、ずいぶん役に立ったぜぇ」
答えになっていない。
入ってはいけない部屋は、入っていい部屋より多かった。
奥へ運ばれていった箱。何に使われるかも知らず、ぼくが持ち帰らせた資料。
そこに、お姉さんを生かすものがある。
「術を繰り返すのは装置だ。そっちの世話は俺らがする」
ジェラーの指が、お姉さんへ向いた。
「おめえは、何もしなくていい」
お姉さんは、その指を見ていた。
「少し進んだら戻す。また進んだら、また戻す。ほかの時間は進む。おめえだけ、同じところへ戻す」
「その間、お姉さんは?」
「眠ったところを起点にすりゃいい」
「起きたら、どうするんですか」
「起きる前に戻す」
ぼくは口を閉じた。
ジェラーは続けた。
「枯渇するまで弱っていくこともねえ。死ぬのを怖がりながら待つこともねえ。苦しまねえんだよ」
お姉さんが、ゆっくり頷いた。
「……うん」
「《不治》も外へ出ねえ。おめえが抱えたまま、その状態でいられる」
ぼくは、お姉さんの袖を掴んだ。
「いつ、終わるんですか」
「終わらせねえよ」
「ずっと、装置を使うんですか」
「止めたら、また魔力が減り始めるだろうがぁ」
袖を握る指に、力が入った。
「ぼくが会いに行ったら?」
「会いてえなら、見に行きゃいい」
「話は、できないんですか」
「起こして話して、また戻すか?」
ぼくは答えかけた。
「俺が殺されたことを覚えてねえのと同じだぞ。戻したこいつは、おめえと話したことも覚えてねえ」
開いた口から、声が出なかった。
「それとも、話すたびに起点を先へずらすかぁ。それじゃ、少しずつ魔力が減ってくだけだ。行き着く先は変わらねえ」
お姉さんに会える。
何度話しても、次に会うお姉さんは、その話を知らない。
「休めば戻る疲れじゃねえんだよ」
「わかってます」
「だったら――」
「わかってます!」
声が壊れた部屋に響いた。
お姉さんの肩が、少し動く。
また、大きな声を出してしまった。
袖を離そうとすると、お姉さんの指が近づいてきた。
触れる前に、止まる。
さっきも、そうだった。
ぼくは袖から手を離し、その指を掴んだ。
「……お姉さん」
「うん」
知っている手だった。
花の葉を取っていた。パンを分けてくれた。
ぼくを叩き潰した手でもある。
「手、引っ込めないでください」
「でも、ぼくくん――」
「魔力生命体だって、聞きました」
「……うん」
「聞いた上で、掴んでます」
桃色の瞳が、ぼくへ戻った。
「勝手に、嫌われたことにしないでください」
お姉さんの唇が少し開いた。
何も言わずに、ぼくの指を握り返す。
嬉しかった。
嬉しいと思った途端、装置の中でも、この手は温かいんだろうかと考えた。
握ってくれることがあっても、握ったことまで、なくなってしまう。
「ジェラー。これ、お姉さんを助ける話なんですか」
「ほかに何があんだよ」
「ずっと、閉じ込めるんですよね」
「死なせねえためになぁ」
「出してあげられないんですよね」
「出した先で何が起きるか、おめえも知ってんだろ」
どれも、答えだった。
聞いたことには答えている。でも、お姉さんがここからいなくなることだけが、何度聞いても変わらなかった。
「こいつは死なねえ。誰も巻き添えにならねえ。本人も苦しまねえ」
ジェラーが指を折った。
「何が足りねえんだよぉ」
足りないものを言おうとすると、全部、ぼくの話になった。
ぼくが、会いたい。
ぼくが、話したい。
ぼくが、一緒にいたい。
それを我慢すれば、お姉さんは苦しまない。
ジェラーは、そういう方法を作ってきた。
ぼくが次の仕事を待っていた、あの建物で。
「……ジェラー」
お姉さんが呼んだ。
「それ、ずっと考えてくれてたの?」
「思いついてすぐ出来上がるもんじゃねえよ」
「そっかぁ」
つないだ手を見ている。
指は、ほどかなかった。
「ユラ。来い。ここで減らしてる場合じゃねえ」
お姉さんの唇が動いた。
「待ってください」
ぼくは手を強く握り直した。
「まだ何かあんのかぁ」
ある。
あるはずだった。
装置のこと。時間逆行のこと。ほかの方法を、まだ探せるんじゃないかとか。
でも、ぼくはお姉さんを見上げていた。
「まだ、お姉さんに聞きたいことがあります」
「うん」
「花屋を始めたときのことも。ぼくが初めて来た日のことも」
そんなことを言うつもりじゃなかった。
いま聞かなきゃいけないのは、もっと別のことなのに。
「お姉さんは、ぼくが来ない日、何をしてたんですか」
お姉さんが瞬きをした。
「お店にいたよぉ」
「それは、知ってます」
「お水を替えたり。鉢を動かしたり」
「……はい」
「ぼくくん、このお花好きかなって、考えたり」
喉が詰まった。
お姉さんは、困ったように笑った。
「次に来たら見せようと思って、取っておいたのもあったよ」
ぼくは、その花を知らない。
店は、もう燃えてしまった。
何色だったのかも、名前も知らない。
聞けば、お姉さんは教えてくれる。
ぼくが好きだと言ったら、きっと覚えてくれる。似た花を見つけたら、また見せようと思ってくれる。
「そういうのを」
声がうまく出なかった。
「これからも、聞きたいんです」
ジェラーは何も言わなかった。
お姉さんが、ぼくの手を両手で包んだ。
「うん」
頷いて、それからジェラーへ顔を向けた。
「まだ、返事はしてないよ」
静かな声だった。
ジェラーが口を閉じる。
「ぼくくんと、少しお話してもいい?」
ぼくは、その手を握っていた。
少し。
お姉さんは、少しと言った。




