不治の病
「何が違うんですか」
ぼくは、お姉さんに聞いた。
「不治って、なんなんですか」
お姉さんは、ジェラーに掴まれた手首を見ていた。
「治療がいらないから、不治なんじゃないんですか」
「んなわけあるかぁ」
答えたのはジェラーだった。
「こいつの中にいる化け物の名前だ。神性存在《不治》。俺らが、人を殺すために作ったもんだよぉ」
お姉さんの指が、少し動いた。
「人間の生命活動を止める権能だ。息も心臓も、身体の中で動いてるもんを、片っ端から止めちまう」
「そんなものを、作ったんですか」
「ああ。出来上がったそいつは、誰の言うことも聞かなかった。外へ出た途端、星じゅうの人間を殺しかけやがった」
「ジェラー、もういいよぉ」
「よくねえ」
「ぼくくんには、関係ないから」
「巻き込んどいて、いまさら何言ってやがる」
お姉さんが黙る。
「こいつが、自分の中へ取り込んだんだ。《不治》が人間を殺して回る前になぁ」
「だって、みんな死んじゃいそうだったからぁ」
困ったように笑った。
町で、転んだ人へ光を飛ばしていた指を見る。
「でも、お姉さんは死ななかったんですよね」
「人間じゃねえからなぁ」
ジェラーは言った。
「こいつは、魔力生命体だ」
手の中の模型が、急に重くなった。
魔力生命体は嫌いです。
ぼくを孤児にした魔力生命体です。
お姉さんは、まだ手首を見ていた。
ぼくのほうへは、顔を向けなかった。
「人間の息を止めるやり方じゃ、こいつは殺せなかった。だから《不治》は、魔力を回復できなくした」
ジェラーの声が続く。
「魔力生命体は、生きてるだけで魔力を使う。使った分が戻らなきゃ、いつか空になる」
「でも、どんな攻撃を受けても……」
「《不治》がこいつを殺してる途中だからだぁ。魔力が尽きる以外の死に方を、こいつは失ってる」
お姉さんの手首から、ジェラーの指が離れた。
「傷をつけても、そのままにはならねえ。《不治》に殺されるまで生きていられる身体へ戻っちまう。首を落とそうが、吹っ飛ばそうがな」
炎の向こうに立っていたお姉さんを思い出した。
あのときから、死ぬ途中だった。
「町の人を守った光も、そうなんですか」
「こいつの魔力にも、その性質が染みついてる。光が残ってる間は、包まれたやつも死なねえ。壊れた身体も、生きられる形に戻る」
「ぼくの追跡魔術は、戻りませんでした」
「身体じゃねえからなぁ。外から付けた術式まで直してくれるもんじゃねえよ」
お姉さんは、ぼくを治すために魔力を使った。
知らない人にも、襲ってきた刺客にも、同じ光をつけた。
返ってこないものを、あんなふうに配っていた。
「お姉さんが死んだら、不治はどうなるんですか」
「外へ出る。前と同じように、人間を殺し始めるかもしれねえ」
ぼくは模型を持ち直した。
嫌いだと言ったものが、目の前にいる。
この人がいなければ、死んでいた人がたくさんいる。
口を開いたが、お姉さんに何を言えばいいのか、まだまとまらなかった。
模型を棚へ置き、上着のポケットから紙を出した。
書き写した番号を見た。意味はまだわからない。けれど、これはぼくが自分で見つけたものだ。
「この箱、知ってますか」
ジェラーが紙へ目を落とす。
「……まだ残ってたのか」
「これと同じ印の箱が、ぼくの暮らしてた場所にもありました。回収役が運んでた資料は、全部あそこへ?」
「ああ。おめえの帰る建物だよぉ」
「どうして、そこへ?」
「俺が運ばせたからだ」
紙を握る指に力が入った。
「ぼくが壊してた施設は、誰のものだったんですか」
「うちの組織の施設だぁ」
ぼくは顔を上げた。
「組織が、自分の研究所を?」
「違えよ。壊させてたのは俺だ。上の連中には黙ってなぁ」
「……裏切ってたんですか」
「懲りなかったからな」
ジェラーが、焼けた机の残骸を靴で押した。
「星ひとつ殺しかけても、次は制御できると言い張る。場所を変えて、研究員を集めて、また作る。だから、進む前に潰した」
「殺しても殺しても、湧いてくるって……」
「同じ組織の連中のことだよぉ」
ぼくは紙の番号を見た。
資料が運ばれてくるところを、何度も見ていた。
「組織は、ぼくがやったと知ってるんですか」
「おめえがいることすら知らねえ」
「小さい頃から、あそこで暮らしてたのに?」
「俺が外に作った拠点だ。おめえを教えてた連中も、回収役も、俺が選んだ。組織の名簿にゃ載せてねえ」
「じゃあ、ぼくは組織の人間じゃ……」
「俺が隠して使ってた駒だぁ。正規のエージェントを動かせば記録が残る。おめえなら、最初からいねえ」
ジェラーは、何でもないことのように言った。
寝る場所も、食事も、仕事もあった。
名前が記録されていなくても、不便に思ったことはなかった。
「お姉さんも?」
「ユラは違う。正式なエージェントだ。名前も仕事も、全部記録にある」
お姉さんへ目を向ける。
「殺しも潜入も護衛も、何やらせても失敗しねえ。組織が抱えてた中じゃ、一番だった」
「抱えてたって言わないでよぉ。人なんだからぁ」
「おめえ、人じゃねえだろうが」
「そういう意味じゃないもん」
お姉さんは頬を膨らませた。
ぼくは笑えなかった。
「ぼくが殺した人たちは、全員、不治みたいなものを作ってたんですか」
ジェラーの目が戻ってくる。
「研究所を動かしてた連中だ」
「一人ずつ、何をしてたか知ってるんですか」
「担当の資料はある。おめえが読みてえなら見せる」
「見ます。回収したものも、残ってる分は全部」
「いま、そんなもんを読んでる暇はねえぞ」
「いまじゃなくても。約束してください」
ジェラーはしばらくぼくを見てから、顎を引いた。
「ああ。好きに読め。読んだって、やったことは変わらねえがなぁ」
ぼくは紙をしまった。
まだ、聞くことがある。
「組織を止めたかったのに、どうして花屋へ刺客を送ったんですか」
「組織は《不治》を取り戻したがってる。あの店だとわかりゃ、次は捕まえろって話になるだろうがぁ」
「見つけたことを、隠せなかったんですか」
「俺ひとりで捜してたと思ってんのかぁ。見逃したふりをしたところで、別のやつが来るだけだ」
ジェラーは片耳を掻いた。
「だから、俺が引き受けた。送り込む人数も術式も、こっちで選べるようになぁ」
「町の人まで操って?」
「操るやつは組織の人間だ。追ってるふりだけで帰せるかよ。動かす範囲を絞って、俺が出るところまでだと決めておいた」
「お姉さんが庇うことは、わかってたんですよね」
「ああ?」
ジェラーの眉が寄った。
「わかってたら、あんなやつは使わねえよ」
「でも、町の人を操わせたのは――」
「俺だ。ユラなら、操ってる術者を潰して終わりだと思ってた」
お姉さんへ目を向ける。
「それが、一人ずつ光つけて、襲ってくるやつまで拾いやがる。何してんだ、てめえは」
「だって、怪我しちゃうでしょ」
「おめえが、そんなもん気にしてたかよ」
お姉さんは、少し首を傾けた。
「いまは、気になるよぉ」
ジェラーの口が止まった。
ぼくは、二人を見た。
ジェラーは、お姉さんを知っている。
花屋にいたお姉さんのことは、知らないのかもしれなかった。
「……途中で、止められなかったんですか」
「止めたろうが。あの馬鹿が、一度で聞かなかったんだよ」
すぐには止まらなかった魔術師。
二度目の命令は、怒鳴り声だった。
「それでも、お姉さんは魔力を使いました」
「わかってる」
「戻らないんですよね」
「わかってるっつってんだろ」
声が強くなった。
ぼくは黙らなかった。
「お姉さんが前と同じだったら、それでよかったんですか」
ジェラーの目が、ぼくへ戻った。
「町の人がどうなっても?」
「……おめえに許してもらいに来たんじゃねえ」
答えにはなっていなかった。
ジェラーは、お姉さんを見た。
「てめえもなぁ。話の途中で俺の顔をぶん殴って、ガキ抱えて逃げやがって」
「痛かった?」
「痛えよ」
「そっかぁ」
お姉さんが、ほんの少し笑った。
謝りはしなかった。
「通信機は、壊してくれたんだよねえ」
「聞かせたくねえ話があったからだ」
「ぼくくんのこと?」
「それもだ。順番に話そうとしてたら、おめえが全部ひっくり返したんだろうがぁ」
「だって、殺すって言うんだもん」
「組織の連中の前で、無事でいてくれって頼めるかよ」
お姉さんは自分の手首を見た。
「心配は、してくれたの?」
「そいつが死んだら、次は星丸ごと《不治》だろうがよぉ。俺まで巻き添えじゃねえか」
「うん。そうだねえ」
お姉さんの声が、少し戻った。
ぼくは、ジェラーから目を離さなかった。
あの襲撃は、何もかも芝居だったわけじゃない。
店は燃えた。町の人は傷ついた。お姉さんが使った魔力も、返ってこない。
ジェラーの考えていた通りには、ならなかった。
でも、あの人たちを送り込んだのはジェラーだ。
「そもそも、どうやってここへ来たんですか。追跡魔術は壊したはずです」
「壊されたよ。おかげで、来そうなところを一つずつ回る羽目になった」
ジェラーは外壁のほうを指した。
「おめえが知ってる施設は、俺が教えた場所だ。道から見てたら、入口の瓦礫が動いた。やっと当たりだぁ」
ぼくが確かめたのは建物の周りだった。丘を越えた道の先まで、ずっと見ていたわけじゃない。
「組織の人は?」
「連れてきてねえ。ここも知らせてねえよ」
ぼくは、お姉さんのそばへ寄った。
「不治を返せって、言ってたじゃないですか」
「組織の連中の前でなぁ」
「返してもらいに来たんじゃないんですか」
「組織が欲しがってんのは《不治》だ。俺まで同じもん欲しがってると思うなよ」
お姉さんが、ジェラーを見た。
「じゃあ、何をしに来たの?」
「おめえ、そのままにしときゃ死ぬだろうが」
ぼくは、お姉さんの手首へ目を落とした。
さっき、ジェラーが触れていたところ。
「どうにかできるんですか」
ジェラーは、ぼくには答えなかった。
「ユラ。いつまで逃げてるつもりだ」
「捕まるの、嫌だもん」
「組織に渡す話はしてねえよ」
お姉さんの顔から、笑みが消えた。
「ジェラー……わたし、全然意味がわからないよぉ」
ジェラーは、ようやく言えることを口にするように笑った。
「こっちも準備が整ったんだよぉ」




