お姉さんを、泣かせてしまった
お姉さんを、泣かせてしまった。
怒鳴ったからだ。
お姉さんは、見つけたものをぼくに持ってきただけだった。
毛みたいな束も、欠けた札も、グルーガの模型も。
何も残っていないと思っていた施設の中で、一緒に見られるものを探していた。
見つけるたびに、ぼくへ見せに来てくれた。
それなのにぼくは、自分の過去をぶつけた。
自分でも覚えていない家族のこと。ジェラーから聞いただけの、魔力生命体のこと。
お姉さんは何も悪くない。
ぼくが、自分の事情で怒鳴った。
謝れば、また笑ってくれるだろうか。
「お姉さん、ほんとうにごめんなさい」
もう一度謝った。
お姉さんは顔を伏せたまま、返事をしない。
頬を流れた涙が顎から離れ、床へ落ちた。
どうすればいいのか、わからなくなった。
いつもなら、お姉さんがぼくの頭を撫でる。
ぼくが困っていれば、手を握ってくれる。怖がっていれば、すぐそばにいてくれる。
でも、泣いているお姉さんに何をすればいいのか、ぼくは知らない。
抱き締めればいいのかな。
頭を撫でればいいのかな。
ぼくに触られたくないかもしれない。
棚に置かれたグルーガの模型を持った。
四本の太い脚。首の後ろに並んだ硬そうな突起。大きく開いた口。
やっぱり、気味が悪い。
これと同じ魔力生命体が、ぼくの家族を殺したわけではない。それはわかっている。
それでも、胸の奥にある嫌悪感は消えなかった。
模型をゆっくり回してみる。
太い脚は、よく見ると少し短い。
身体を支えるためなんだろうけど、四本とも同じように並んでいるところには、少しだけ愛嬌があるような気もした。
首の突起も、怪物の棘だと思わずに見れば、格好いいと言えなくもない。
大きく開いた口は――。
見る角度を変えた。
笑っているように見えなくもない。
そう思おうとすれば。
「この子、脚が太いですね」
お姉さんに聞こえるように言った。
「ちゃんと立てるようになってるんだと思います。首のところも、少し格好いいです」
自分でも、何を言っているのかわからない。
でも、お姉さんが嬉しそうに持ってきたものだ。
嫌いだと言ったままにしたくなかった。
「口も……」
「ぼくくん」
お姉さんが、ぽつりと呟いた。
ぼくは模型から顔を上げた。
お姉さんはまだ俯いている。
「やっぱりね」
涙の残った声だった。
「わたしのことを知ったら、ぼくくんはわたしを嫌うと思うの」
どうして、そうなるんだろう。
ぼくは魔力生命体のことを話した。
お姉さんのことを嫌いだなんて、一度も言っていない。
「どうして、そうなるんですか」
お姉さんは答えなかった。
ぼくには、まだお姉さんの知らないところがたくさんある。
盗んだ不治のことも。
ジェラーたちと働いていた頃のことも。
どうして魔力生命体の模型を見つけて、あんなに嬉しそうにしたのかも。
何も知らない。
知ってからでなければ、嫌うかどうかなんてわからない。
――違う。
わからなくない。
ぼくは、お姉さんが好きだ。
花屋にいたお姉さんも、人を空へ投げ飛ばしたお姉さんも、ぼくを叩き潰して治したお姉さんも。
好きだった。
それだけは、何を知ってもぜったいに変わらない。
はずだ。
「ぼくは――」
施設の外から、大勢の足音が聞こえた。
ぼくは口を閉じる。
瓦礫を踏む音。
いくつも、いくつも重なっている。
お姉さんが顔を上げた。涙を拭くより先に、崩れた入口へ目を向ける。
ぼくは模型を棚へ戻した。
足音は施設へ近づいてきた。
けれど、近づくほど数が減っていく。
一人分が外壁の前で止まる。
また一人分が、建物の脇へ回る。
別の足音は、ぼくたちが入ってきた入口とは反対側へ消えた。
施設を囲んでいる。
廊下へ入ってきた足音は、ひとつだけだった。
「やあやあ」
聞き覚えのある声が、暗い廊下に響く。
「よお、よぉ」
ゆっくりとした足音が近づいてくる。
「おれだぁ」
崩れた扉の向こうから、よれたスーツの男が姿を現した。
施設の外には、大勢いる。
ぼくたちの目の前に現れたのは、ジェラーひとりだけだった。
◆
「やっと追いついたぜ、てめぇら」
ジェラーが、崩れた扉の向こうで口元を歪めた。
「やっとだぁ」
ぼくは即座に隠密魔術を展開した。
足音を消す。息遣いを消す。気配を消す。
ジェラーの視界から外れ、一息で背後へ回り込んだ。
手の中に魔力の刃を作り、その首へ振り下ろす。
刃は、あっけないほど普通に食い込んだ。
「ぐっ……ぐげぇっ」
裂けた首から、血が溢れ出した。
ジェラーは口からも血を吐き、膝をつく。
ぼくは魔力の刃を引き抜いた。
温かい血が手にかかる。
倒れていく背中を見下ろし、もう一撃を加えようとした。
刃が、床を叩いた。
「……え?」
そこにいたはずの身体がない。
ぼくは刃を構えたまま、足元を見た。
自分の靴。
割れた床。
刃がつけた、新しい傷。
飛び散った血も、手にかかった血も消えていた。
温かさだけが、まだ残っている気がした。
背後で、靴音がした。
「よお、よぉ」
振り向いた。
ジェラーが、廊下の奥から歩いてきた。
首に傷はない。
よれた襟元にも、血はついていなかった。
ぼくは刃を引きつけ、横へ跳んだ。
距離を取り、お姉さんの隣まで戻る。ジェラーと向かい合ってから、隠密を解いた。
首が、元に戻っている。
首を見た。
顔を見た。
もう一度、首を見た。
ジェラーの目が、ぼくの顔から手元へ下りる。
魔力の刃。
それを握るぼくの手。
ぼくがさっきまで立っていた、傷のついた床。
視線が動いたのは、ほんの一瞬だった。
「ご挨拶じゃねえかぁ」
口元が歪む。
さっき、確かに切った。
肉を裂いた感触もあった。
膝をつき、倒れるところまで見た。
なのに、ジェラーは廊下の奥から現れた。
何事もなかったように。
「ぼくくん」
お姉さんが呼んだ。
ぼくではなく、ジェラーの首を見ていた。
「いまの……」
お姉さんにも見えていた。
ぼくだけがおかしなものを見たわけじゃない。
何かの術だ。
そうに決まっている。
ぼくは再び隠密魔術を展開した。
今度は、倒れるまで待たない。
ジェラーの横を抜け、背後へ回る。
首へ、魔力の刃を振り抜いた。
肉を断つ。
骨を断つ。
ジェラーの首が、身体から離れた。
見た。
今度は、最後まで見ていた。
落ちていく首が、床に触れる。
その音を聞いた直後、首も身体も、ぼくの目の前から消えた。
刃を握る手に、力が入った。
ぼくは同じ場所に立っている。隠密魔術も、そのまま続いていた。
踏み込んだ足も、振り抜いた腕も、そのままだった。
お姉さんも動いていない。
頬に涙の跡を残したまま、ぼくの足元を見つめている。
廊下で、靴音がした。
「やあやあ」
ぼくは、その声のするほうへ顔を向けた。
隠れたまま、お姉さんの隣へ戻った。
模型を置いた棚を背にして、刃を構える。位置を決めてから、もう一度姿を現した。
ジェラーがいた。
さっきまでと同じ顔。
同じ服。
首は、繋がっている。
「よお、よぉ」
ジェラーは歩きながら、ぼくへ目を向けた。
刃の先を、ジェラーの喉へ向けていた。
踏み出すことは、できなかった。
また切ればいいのか。
首で駄目なら、どこを。
ぼくの視線を受け止めたまま、ジェラーが目を細める。
「そろそろ諦めな。ガキがぁ」
笑っていた。
ぼくが何も言わなくても、もうわかっている。
首から顔へ視線を戻しただけで、何かを教えてしまった気がした。
ぼくは棚に背が触れるところまで、半歩下がった。
お姉さんが、ぼくの腕へ手を伸ばしかけた。
その指は、触れる前に止まった。
ぼくは魔力の刃を消した。
すぐ作り直せるように魔力を残し、空いた手で、棚に置いた模型を取る。
お姉さんへ見せていた途中だった。
まだ、話は終わっていない。
お姉さんがまた俯きかけたので、その視界へ模型を持ち上げた。ジェラーからは目を離さなかった。
「外には、何人いるんですか」
「いねえよぉ」
ジェラーは親指で、自分の胸を指した。
「おれしかいねぇ」
「でも、大勢の足音がしました」
「足音?」
ジェラーが耳へ手を当てる。
「ああ。ありゃフェイクだぜぇ」
「フェイク……」
「おめえらが俺に手ぇ出さねえように、威嚇のつもりで流したんだがよぉ」
ジェラーは、刃を握っていたぼくの手へ目を落とした。
「意味なかったなぁ。おめえ、馬鹿だから」
「じゃあ、さっきのは何なんですか」
「さっき?」
「ぼくは、あなたを二度殺しました」
「そうかい」
ジェラーは笑ったままだった。
「だったら、もう十分だろうがぁ」
模型を持つ手に、力が入った。
お姉さんが、静かに口を開いた。
「ジェラー。わたしも見てたよ」
「ああ」
「首、落ちたよね」
ジェラーは自分の首へ指を当てた。
確かめるというより、ぼくたちに見せるような仕草だった。
「ちゃんとついてるぜぇ」
「それを聞いてるんじゃありません」
ぼくは、その指を睨んだ。
「どうして、あなたはまた奥から出てくるんですか」
「おめえ、手の内明かす馬鹿がいるかぁ?」
ジェラーは答えなかった。
ぼくを見て、笑っている。
殺すことなら、できた。
二度とも、ぼくの刃は届いた。
それなのに、ジェラーはここにいる。
ぼくが次に何をすればいいのかわからなくなっていることまで、見抜かれている気がした。
ジェラーの視線が、ぼくから外れた。
お姉さんへ向く。
頬に残った涙の跡で、少しだけ止まった。
「なあ」
その声から、ふざけた調子が少しだけ消えた。
「話をしようぜ、ユラ」




