魔力生命体
施設の外周を確かめた。
ぼくは隠密魔術を使い、昔逃げた道も見てきた。新しい足跡も、こちらを見張る人影も見つからなかった。
入口へ戻ると、お姉さんは崩れた壁を見上げていた。
「ここから入ったんです」
「そっか。じゃあ、ここを開けよっか」
大きな壁のかけらに手を掛け、ひょいっと持ち上げた。
「えっ」
「こっちに置くねえ」
ぼくのいないほうへ放る。重い音がして、地面が揺れた。
昨日、立ち上がるだけでも時間がかかっていた人だ。
「お姉さん、ぼくも手伝います」
「これは持てるよぉ。上の石が落ちるかもしれないから、少し離れててね」
折れた柱を動かし、石を脇へ寄せる。
人が通れる隙間が開くと、お姉さんは手を止めた。
「はい、どうぞ!」
「……ありがとうございます」
壁のかけらは、地面へ深くめり込んでいた。
あれを投げる力はあるのに、呼んでもなかなか目を開けない。
疲れている人に休んでもらう。それだけのことのはずなのに、お姉さんの場合、何を見ればいいのかわからない。
中は暗かった。天井の照明は落ち、靴の下で細かな硝子が鳴った。
「やっぱり、何も残ってないかなあ」
「回収役が資料を持っていったはずです。あるとしても、見落とされたものくらいだと思います」
「じゃあ、それを探そっか」
研究室まで案内した。
焦げた机の脚が残っていた。
ここで人を殺した。顔は覚えている。名前は知らない。
「ぼくくん?」
「資料は、この部屋にありました」
お姉さんはそれ以上聞かなかった。
倒れた棚の下を覗き込んでいたとき、隣の部屋で物音がした。
「お姉さん?」
「これ、見て。毛みたい!」
戻ってきた手には、黒く焦げた束があった。
「いなくなる前に言ってください」
「隣にいたよぉ」
「その、隣に行く前にです」
「はあい」
束を光にかざす。細い繊維が何本も重なり、根元だけ一つに固まっていた。
「動物の毛ですか?」
「焼けてて、わかんないねえ」
次に見つけたのは、欠けた札だった。術式らしい細い線が重なっている。
お姉さんは裏返し、透かして見てから首を振った。
「ここだけじゃ、何に使うかわかんないなあ」
ぼくは、その札が落ちていた棚の奥を調べた。
蓋の開いた金属箱があった。中は空だったが、側面の塗装が少し残っている。
青い線が三本。
「これ、見たことがあります」
お姉さんが覗き込んだ。
「どこで?」
「ぼくが暮らしてた建物です。回収役が、こういう箱を奥へ運んでました」
指で煤を払った。線の下に、小さな管理番号がある。
「同じ箱だって、わかる?」
「そこまでは。番号を見たことはありません」
「じゃあ、これは控えようね」
お姉さんが鞄から紙と鉛筆を出す。
ぼくは番号を書き写した。塗装の位置も描いて、紙を自分の上着のポケットへ入れた。
あの人たちは資料を回収していた。でも、ぼくに中身を見せたことはない。
いままで、壊した場所と自分の部屋が、つながっているように感じたことはなかった。
「次のお部屋、見るねえ」
今度はちゃんと言った。
「ぼくも行きます」
後を追うと、倒れた棚の向こうでお姉さんが声を上げた。
「あっ。これは知ってる!」
生き物の模型だった。
四本の太い脚。首の後ろに硬そうな突起。身体の半分が欠け、内部に細い線が引かれている。
「グルーガだよぉ。魔力生命体なの。軍なんかが戦闘用に飼い慣らしてる子!」
【挿絵】
https://kakuyomu.jp/users/retroiro_unu/news/11054822663994722222
ぼくは顔をしかめた。
お姉さんは、すぐに模型を後ろへ隠した。
「……グルーガ、嫌い?」
「グルーガのことは知りません。でも、魔力生命体は……」
家族の顔も、声も、覚えていない。
覚えているのは、教わった話だけだ。
「ジェラーから聞いたんです。ぼくの家族は、魔力生命体に殺されたって」
お姉さんは何も言わなかった。
「ぼくだけ隠密魔術で隠れていたそうです。小さすぎて、覚えてませんけど」
自分では一度も見ていない。
それでも、その名前を聞くだけで胸の奥が濁った。
「魔力生命体、嫌い……?」
小さな声だった。
さっきも聞かれた。嫌そうにしたから、隠したんじゃないのか。
「嫌いです!」
声が壊れた部屋に響いた。
「ぼくを孤児にした魔力生命体です。家族が殺されなきゃ、ぼくは殺し屋になんてなってない!」
言い終えてから、お姉さんを見た。
模型を後ろに隠したまま、動いていない。
「……ごめんなさい」
返事がなかった。
「お姉さんに怒ってるわけじゃありません。何度も聞かれたから、つい……」
違う。
さっき、研究室で自分が殺した人を思い出した。ぼくにも、そうなる理由があったと言いたかった。
お姉さんは、そんなことを責めていないのに。
「お姉さんは何も悪くないです。ごめんなさい」
近づこうとして、足が止まった。
お姉さんが模型を棚に置く。
ぼくを見る。
桃色の瞳から、涙が一筋、頬へ流れた。
お姉さんは何も言わなかった。




