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異世界で獣医を開業しました ~魔獣は処分するものだと言われても、治せるなら治します~  作者: おはぎだんご


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前夜

「きつい」


ガルドが借り物の礼服の袖をぎゅうっと引っぱっていた。


局の出張所の、広い一室だった。長卓の上に診察記録の板がびっしりと並べられている。その横でガルドが灰色の礼服を着て、難しい顔で立っていた。


「肩が入らん」


「ガルドさん。それ以上、腕を上げないでください」


リナが慌てて言った。


「縫い目が」


ぴりっ、と小さな音がした。ガルドはそのままの姿勢で固まった。


「……もう、遅いな」


「ぐる」


床でグレイが小さく鳴いた。笑っているように聞こえた。


「笑うな」


「ぷる」


「お前もか」


ルカが卓の端で首をかしげた。カイは思わず吹き出した。ヴェルナーが書類の影で口元を押さえて肩を震わせている。


「ヴェルナー殿」


「失礼」


「見えていましたよ」


イゼルダが帳簿の写しを整えながら、さらりと言った。部屋の空気がふっと緩んだ。


審問は明日だった。


長卓の中央にダリウスが座っていた。その前に書類の束がいくつも積まれている。


「最終確認をする」


ダリウスの声が静かに響いた。


「審問の順はこうだ。罪状の読み上げ。院長側の主張。我々の主張。証人の尋問。そして、評議会の採決」


「院の罪状は三つ、でしたね」


ハイゼが手元の紙に目を落とした。


「ハイゼ殿の、命令違反。カイ殿の、無許可の診療。そして、押収命令への不服従」


「ええ」


「それから」


ダリウスは一枚の紙を取り上げた。


「昨日、院の法務官から、追加の申立てが届いた」


「追加」


「聴診器だ。法務官ガイスラーはこう主張している」


ダリウスは淡々と読み上げた。


『輪の印を持つ銀の円盤は王宮の宝物庫の品と同種のものである。ゆえに国の財産と推定される。所持者カイ殿はこれを国に返還する義務がある』


「国の財産」


カイは胸元の聴診器に手を当てた。


「そんな」


「理屈としては通らなくもない。同じものが宝物庫にある。ならば、同じ出所だろう、と」


ヴェルナーが低く言った。


「出所を証明できなければ、押し切られる恐れがある」


「証明、は」


「難しいな」


ダリウスは静かに首を振った。


「だが、一つだけ、方法がある」


「何ですか」


「出所が同じかどうかは重要ではない。『誰が使っているか』を示すのだ」


ダリウスはカイの目を見た。


「宝物庫で誰も耳に当てたことのない品とあなたの首にあるそれは違う。そう、証言で示す」


「証言」


「診察の記録と診察の実績。この聴診器が道具として、何をしてきたか。それが最大の証拠になる」


カイはうなずいた。


「分かりました」


* * *


夜は更けていった。


人々が一人ずつ、部屋を出ていった。ガルドは「着替えてくる」と言い残して、首をぐるぐる回しながら去った。イゼルダとヴェルナーは別室で書類の最終確認をしている。


大きな部屋にはカイとリナだけが残った。


リナは長卓の端で膝を抱えていた。目の前に自分の記録板が一枚。何度も読み返しているのだろう、角が少し丸くなっている。


「リナ」


「はい」


「緊張してる?」


「……はい」


リナは素直に答えた。


「明日、わたし、法務官の人に聞かれるって、局長さんが言ってました」


「うん」


「ちゃんと答えられるか、分かりません」


「何を聞かれると思う」


「わたしが子どもだってこと。見習いの記録に根拠がありますかって」


リナの声が小さくなった。


「そう言われたら、何て言えばいいのか」


カイは少し考えた。それから、隣の椅子に座った。


「リナ。聞いてもいいかな」


「はい」


「馬のブランを診たとき。脈が六十八まで上がったとき、君はどうした」


「呼びました。カイさんを」


「どうして」


「分からなかったから。迷ったから、です」


「それをそのまま、言えばいい」


リナは顔を上げた。


「記録は立派なものじゃなくていい。見たことを見たとおりに。迷ったところは迷ったと。分からないことは分からないと」


「でも」


「それが診察の記録の、一番大事な部分なんだ」


カイは静かに言った。


「僕は前の世界で一人で全部を抱えようとして、倒れた。迷っても呼ばなかった。誰かに聞くことが弱いことだと思っていた」


リナは息をのんだ。


「でも、君は呼べた。それは、強さだ。明日、法務官の人にそれをそのまま、言えばいい」


「……はい」


リナは目を閉じた。ゆっくりと息を吸って、吐いた。


「カイさん」


「うん」


「カイさんは怖くないですか」


「怖いよ」


カイは正直に答えた。


「とても。胃がぎゅっとなってる」


「そうなんですか」


「うん。でも、一人じゃないから」


リナは小さく笑った。それから、板をそっと胸に抱いた。


「わたしも一人じゃないです」


「そうだね」


「ソラもルカもガルドさんもグレイも。ミレーヌさんもニコ君も」


「うん」


「それと、カイさんも」


「……ありがとう」


リナは卓に頬をつけた。眠気がようやく来たらしい。


「少しだけ、休んでいいですか」


「いいよ。僕が見てる」


「はい」


リナがすう、と寝息を立てた。膝の上に乗ったソラが丸くなる。


カイはリナの肩に外套をかけた。それから、立ち上がって、窓辺へ行った。


王都の夜は雪明かりでぼんやりと白かった。通りの向こうに王宮の尖塔が黒く切り立っている。その手前に院の白い壁。


ルカが肩に降りてきた。


「くう」


「また、あの壁かい」


ルカは金色の目をじっと院の方角に向けていた。


(あの壁の向こうに何がいるのか)


エルゼの話した、重い息の音。審問のあとに見せる、と院長が言った庭。


鐘が鳴った。


深く、低く、王都の夜に響いていく。カイは数えた。一つ。二つ。三つ。


胸の聴診器を握りしめた。冷たい銀が掌の中で少しずつ、ぬるんでいく。


(診てから、決める)


(明日、全部、話す)


雪が静かに降り続いていた。


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