幻獣院の飼育棟
ハイゼは三日目の朝に王都へ着いた。
肩に灰色の鳥を乗せて、局の出張所の玄関に立った。ライヒの左の翼には温かい布が巻いてある。
「お待たせしました」
「ハイゼ殿。お疲れでしょう」
「いいえ」
ハイゼは細い体をきちんと折って一礼した。
「それよりもお願いがあります。今日の午後、院の飼育棟を査察します。同行していただけませんか」
「院の、ですか」
カイは目を見張った。
「内規、第三十二条です。査察官は院内の飼育施設を随時、点検できる。審問に備えて、移送された個体の現状を確かめたいのです」
ハイゼの声は穏やかだった。けれど、その目はしっかりしていた。
「院長閣下の許可は」
「許可は必要ありません。通知だけで足ります」
「それは、助かります」
隣で聞いていたリナがぱっと顔を上げた。
「わたしも行っていいですか」
「ええ。診察の補助として、同行を認めます」
ハイゼはリナに向かって、うなずいた。
「ただし、私の随員の扱いです。院の者の前では記録をとる役に」
「はい。分かりました」
* * *
飼育棟は院の敷地の奥にあった。
細長い石造りの建物で、窓は壁の高い位置に小さく並んでいた。扉の前で飼育長が待っていた。四十代の、背筋の硬い男だった。
「査察官殿。ご通知は拝見しました」
「ありがとうございます。早速、拝見します」
扉が開いた。中は広い廊下だった。両側に檻の列が並んでいる。
「静かですね」
リナが小声で言った。
廊下は掃き清められていた。床に藁くずひとつない。檻の中で幻獣たちがそれぞれの場所に座っている。月光鹿。銀の狐。小型の風羽鳥。どの子も毛艶がよく、目が澄んでいた。
けれど、誰も鳴かない。
ハイゼの顔色がすっと白くなった。カイはその横顔に目を向けた。
「ハイゼ殿」
「……はい」
「診ます。まず、僕に診せてください」
「お願いします」
ハイゼの声が硬かった。あの雪の裏庭で自分が口にした言葉が耳に残っているようだった。
カイは手前の檻の前に膝をついた。月光鹿が一頭、こちらを見ていた。
目を見る。瞳孔は光に反応して、きゅっと縮んだ。
「瞳孔の反応は正常です」
次に耳。脚。呼吸の数を数える。鼻先に自分の手を近づけて、息の匂いを嗅いだ。
「眠り蔓の匂いはしません」
「では」
「薬ではありません」
カイは静かに言った。ハイゼの肩がわずかに下がった。
「薬ではない。けれど」
「けれど?」
「静かすぎます」
カイは立ち上がって、廊下を見渡した。
「この子たちは何もしていない」
* * *
ヨイと呼ばれる雪梟に会ったのは廊下の突き当たりだった。
白い羽に灰色の斑。大きな黄色い目。ずんぐりした体が檻の隅の止まり木にじっと座っていた。
けれど、胸の羽がごっそりとなくなっていた。
ピンク色の皮膚がむき出しになっている。小さな羽毛が檻の床にまとまって落ちていた。
「あ」
リナが息をのんだ。
「この子、自分で」
雪梟がくちばしを胸に突っ込んでぶちりと羽を引き抜いた。それを床に落として、また、ぶちり。
「羽毛むしり」
カイが小声で言った。
「飼育長殿。この個体はいつから」
「え。ああ」
飼育長は少し言葉に詰まった。
「三か月ほど、前からです。移送されてきて、半月ほどで」
「診察は受けましたか」
「院の幻獣医が診ました。『寄生虫の疑い』として、駆虫の薬を。効果はありませんでした」
「リナ」
「はい」
「診て、くれるかい」
リナはごくりと唾を飲んだ。それから、板と炭を持って、檻の前に立った。
「見ます」
長い間、雪梟を見つめていた。むき出しの胸。足の付け根。それから、背中。
「むしっているのは胸と脚の付け根だけです。背中の羽はきれいです」
「うん」
「自分で届く場所だけ、むしっている」
リナは顔を上げた。
「寄生虫なら、背中にもいるはずです。それに皮膚が赤くなってない。かゆがってる様子もありません」
「他には」
「檻に止まり木が一本しかありません。隠れる場所もない。窓が高くて、日が当たらない」
リナの声がだんだん速くなった。
「えさは器に入っているだけ。探す必要もない。一日中、何もすることがないんです」
「つまり」
「退屈、だと思います。それと、怖いんだと思います。逃げる場所がないから」
飼育長が眉を寄せた。
「それは、素人の、推測では」
「いえ」
ハイゼが静かに口を挟んだ。
「記録します。診察の所見として」
その手が紙に筆を走らせていた。
「リナ殿。続けてください。この子のために何を変えればいいですか」
「え、あ、はい」
リナは慌てて、頭を整理した。
「止まり木を増やして、高さを変えてあげてください。箱を一つ入れて、隠れ場所を。窓の下に日が当たる場所を作ります。それから、餌を器じゃなくて、藁の中に隠して。探して、食べるように」
「藁の中に」
「雪梟は本当は夜に狩りをします。夜は暗くして、昼は日に当ててあげてください」
リナは一気に言い切った。それから、ふうっと息をついた。
「……以上です」
カイは横で見ていた。聴診器を使うことも診察の手も全て、リナの言葉だった。
(僕が言うことがない)
ハイゼは筆を置いて、リナに向き直った。
「確かに承りました。報告書に書き加えます」
「お願いします」
飼育長は言葉を失っていた。その後ろで一人の若い女性が胸の前で手を握りしめていた。
二十代前半に見えた。茶色の髪を後ろで結んで顔が青かった。手には飼料の桶を持っている。
「あの」
その女性が小さく言った。
「この子の、名前。ヨイと言います」
「ヨイ」
「私が勝手につけました。番号で呼ぶのが決まりなんですが」
「あなたは」
「エルゼです。この棟の、飼育係です」
エルゼは震える声で言った。
「あの。ヨイは夜になるといつも窓の方を見るんです。外を見たいんだと思います」
リナはエルゼを見た。それから、ゆっくりとうなずいた。
「ヨイ、って呼んでいいですか」
「はい」
「ヨイ。窓、見たいよね」
リナは檻の前にしゃがんだ。雪梟が首をくるりと回して、リナを見た。大きな黄色い目だった。
ハイゼが静かに言った。
「……四年前、伯爵の館で私はこれと同じ静けさを見ました」
「ハイゼ殿」
「何も見えていなかった」
低い声だった。
「今日は見えます」
廊下の向こうでライヒが小さく鳴いた。




