王都の門
峠を越えて三日目の夕方に王都の壁が見えた。
丘の上に立ったとき、リナが小さく息をのんだ。
「大きい」
平地の果てに白い壁が横たわっていた。端が見えない。壁の上には塔が並び、そのずっと奥にひときわ高い尖塔が夕陽を受けて金色に光っている。
「あれが王宮ですか」
「たぶんね」
カイも言葉が出なかった。
領都も大きいと思っていた。けれど、その何倍もある。壁の外にまで家が広がり、煙突から無数の煙が立ち上っている。
街道には荷車や旅人が列をなしていた。
「おい。降りるぞ」
ロッドが御者台から声をかけた。門の前で馬車が止まった。
石造りの高い門の下に濃い赤の外套の兵が立っていた。王宮の衛兵だった。槍を持った兵が二人。その横に紺色の外套が一人。
「あれ」
リナがカイの袖を引いた。
「院の、人ですよね」
「うん」
カイは小さくうなずいた。
衛兵が馬車の窓を覗き込んだ。
「名と用件を」
「カイ。アルム魔獣診療所の獣医です。王前審問の証人として、参りました」
カイは局の書状を差し出した。衛兵は一読して、頷いた。
「局の方ですね。通ってください」
「お待ちを」
紺の外套の男が前に出た。胸に白い竜の紋章がついている。
「その肩にいるのは幻獣ですね」
視線がルカに向いた。ルカは「ぷる」と鳴いて、首をかしげた。
「幻獣は院への届出が必要です。ここで、手続きを」
「この子は審問の証人に随伴する個体です」
カイは書状の端を指した。
「局長ダリウス殿の署名です。魔獣管理令により、局の管理下にある者として、同行が認められています」
男は書状をじっと読んだ。それから、眉を寄せた。
「……確認します。しばらく、お待ちを」
「どのくらい、ですか」
「それは」
「お待ちしても構いません」
カイは静かに言った。
「ただ、日が暮れます。今夜は雪になりそうです。この子は寒さに弱いので」
男はちらりと空を見た。雪雲が西から張り出してきている。
「……局の書状は有効です。通りなさい」
男は不承不承、道を空けた。
馬車が門をくぐる。リナが小さく肩を落とした。
「ありがとうございます。カイさん」
「いや。ダリウス局長のおかげだ」
* * *
門の内側は別の世界だった。
石畳の大通りがまっすぐに伸びている。両側に五階建ての建物が並び、窓に灯りが点っていた。人があふれている。荷車、馬車、商人、子ども兵。
店の軒先から、肉を焼く煙の匂いが流れてくる。
「すごい」
リナが窓に張りつくようにして、外を見ていた。懐からソラが顔を出して、きょろきょろと周りを見回している。
「ソラ、静かに」
「きゃ」
「あれ」
リナがふと首をかしげた。
「カイさん。犬や猫がいませんね」
「ああ」
カイも気づいていた。
荷馬車を引く馬はたくさんいる。けれど、道端に犬がいない。屋根の上に猫がいない。魔獣を連れた者もほとんど見かけなかった。
「ここは獣がいない街なんだ」
「そんなことあるんですか」
「たぶん、院が全部管理しているんだ。幻獣は国の財産。魔獣も局の管轄。一般の人は連れ歩けないのかもしれない」
「じゃあ、病気になったら」
リナの声が小さくなった。
「誰が診るんでしょう」
カイは答えられなかった。窓の外を雪が舞い始めた。
局の王都出張所は大通りから一本入った、灰色の石の建物だった。
玄関で痩せた初老の男が待っていた。ダリウス局長だった。外套の肩に薄く雪が積もっている。
「よく来た」
「局長。わざわざ、外で」
「門からの報せが先に届いてな。待っていたら、足が冷えた」
ダリウスはいつもの淡々とした声で言った。
「入りなさい。話すことがいくつもある」
* * *
暖炉のある小さな部屋に温かいお茶が運ばれた。ガルドとグレイ、局の兵は別室で休んでいる。ルカとソラが暖炉の前で丸くなっていた。
「審問は九日後だ」
ダリウスはお茶を一口含んでから切り出した。
「場所は王宮の大広間。王前審問は二十年ぶりになる。評議会は十二名。審問長はマルクス殿に頼んだ」
「マルクスさん。領都で竜の審問を開いた」
カイは目を見開いた。
「ああ。王が直々に指名された。『あの老人が一番、書類を読む』と」
ダリウスは唇の端をわずかに上げた。
「評議会の十二名のうち、院長派は五名。中立が四名。残りの三名は王に近い。つまり、中立の四名が鍵になる」
「その四人は」
「記録と規則で動く者たちだ。感情では動かない」
ダリウスは一枚の書状を机に置いた。
「それから。これが君宛に届いている」
白い封蝋だった。白い竜の紋章。
「院長閣下からだ」
リナが息をのんだ。カイは封を切った。
『カイ殿。遠路、ご苦労でした。審問の前に一度お目にかかりたい。明日の午後、院の庭の茶室でお茶を。お連れの少女もどうぞ。アルブレヒト』
筆跡は丁寧でやさしかった。
「茶会」
「断れば、頑なだと言われる。断る理由はない」
ダリウスは言った。
「ただし、一つだけ。何も預けてはならない」
「預ける、というのは」
「聴診器。手記。何であってもだ。院長閣下は優しく頼まれる。優しく頼まれて、断れる者は少ない」
カイは胸元の聴診器にそっと手を当てた。
「分かりました」
「それから」
ダリウスは少しだけ声を落とした。
「院長閣下は悪い人ではない。そこは覚えておきなさい」
「悪い人ではない、のですか」
「ああ。だから、厄介なのだ」
窓の外で鐘の音が鳴った。
一つ、二つ。低く、深く、王都の夜に響いていく。
カイはその音をゆっくりと数えた。




