規則と猶予
五日後の昼過ぎ。
村の入口に、黒塗りの馬車が止まった。扉が開き、まず、鎧を着た兵が二人、降り立つ。
続いて黒い外套の男が、静かに地面に足を下ろした。四十代半ば。痩せて背が高く、背筋が定規のようにまっすぐだ。
鋭い目が、村の様子をゆっくりと見渡す。家々の戸がそっと閉まった。子供たちが母親の後ろに隠れる。
領都の人間が来る。それだけで村は息を潜めた。
「魔獣管理官のヴェルナーだ。村長はいるか」
「わしが村長じゃ」
杖をついた老人が一歩進み出た。
「遠路、ご苦労さまじゃ。何もない村じゃが」
「挨拶は結構。診療所とやらに案内を」
ヴェルナーは無駄のない動作で歩き出した。村人たちが遠巻きに、その背中を見つめていた。
* * *
診療所の前で、カイはヴェルナーを迎えた。
「カイと申します。ここで、魔獣を診ています」
「ヴェルナーだ。……魔獣を診る、か」
ヴェルナーは小屋の看板代わりの、木の札を一瞥した。
「魔獣管理令では魔獣の診療は認められていない。そもそもそのような職業は存在しない」
「はい。承知しています」
「届出もない」
「はい」
「まず、隔離しているという魔獣を見せてもらおうか」
カイはうなずいて、裏の納屋へ案内した。道すがら、ヴェルナーの視線が、診療所の中をさっと走るのが分かった。
作業台。並べられた道具。壁に掛けられた、記録の板。足元で尻尾を振る、青い毛並みの魔獣。
「あれは?」
「ソラです。脚の骨折が、治ったところです」
「ほう」
ヴェルナーはそれ以上、何も言わなかった。けれど、記録の板をしばらく眺めていた。
納屋の中には六つの小さな寝床が並んでいた。
ミストフォックスが二頭。リバーサラマンダーが四頭。この五日の間に、川辺で、もう一頭のミストフォックスが保護されていた。
どの子もぐったりと横たわっている。時折、ふらふらと頭をもたげてはまた倒れる。ヴェルナーは無言で、納屋の中を見渡した。
出入りの扉。
入口の手洗い場の、灰汁と蒸留酒。壁にかけられた、専用のエプロン。煮沸された道具の置き場。
「ふむ」
ヴェルナーは小さくうなった。
「動線を分けているな。手洗いと、道具の消毒。これは考えてやったことか」
「はい。感染症の可能性を考えていたので」
「理屈としては正しい」
ヴェルナーは冷たい目をカイに向けた。
「だが、規則は別だ」
診療所の本館に戻ると、ヴェルナーは作業台の前に立った。
「単刀直入に言おう。病気の疑いのある魔獣は発見次第処分する。これが、魔獣管理令の定めだ」
「……」
「理由は単純だ。魔獣の病は群れに広がり、人の暮らしを脅かす。疑わしい個体を集めて手当てをする。それは危険を一か所に集中させる行為だ」
「隔離しています」
「隔離が、完全である保証は?」
「それは……」
カイは言葉を選んだ。
「完全とは言えません。ただ、これだけはお伝えします」
「聞こう」
「まず、熱がありません。感染症なら、普通、熱が出ます」
「感染症にもよる。熱が出ないものもある」
「その通りです。ですが次の点は?」
カイは指を折った。
「最初の一頭を診察した日、診療所には回復中のソラも同じ部屋にいました。それから、十日以上経ちますが、ソラは何ともありません」
ヴェルナーの視線が、足元のソラにちらりと動いた。
「納屋で世話をしたリナも僕も何ともありません」
「それは偶然かもしれない」
「次に、見つかった場所です」
カイは板に、炭で描いた簡単な地図を見せた。
「発症した子が、すべて、川の近くで見つかっています。これが、偶然とは思えないんです」
ヴェルナーは地図をじっと見た。しばらくして静かに言った。
「推測に過ぎないな」
「はい。だから、確かめたいんです」
「確かめる前に、被害が広がる可能性がある」
村長が前に出た。
「ヴェルナー殿。この者はこの一か月、村の者を何人も助けておる。牛の難産、畑を荒らしたボアの件、わしらは見てきた」
「村長。あなたの信頼は理解します。しかし、私は感情で判断することはできない」
ヴェルナーの声は冷たく、でも揺れなかった。
「私の仕事は被害を未然に防ぐことだ。疑わしきは処分する。それが、最も確実な方法だ」
「……十日、ください」
カイが言った。
「十日?」
「十日あれば、原因を突き止めてみせます。それまで、処分を待ってください」
ヴェルナーは眉をひそめた。
「根拠は?」
「ありません。ですが、僕にはできるだけのことをする責任があります」
「責任、か」
ヴェルナーは黙って、カイの目を見つめていた。
重い沈黙。
外で風が鳴っていた。やがてヴェルナーは小さく息を吐いた。
「……いいだろう。十日だ」
「ありがとうございます」
「ただし条件がある」
ヴェルナーの目が鋭く光った。
「十日の間に、原因と、それが人や他の魔獣に広がらないという証拠を示せ。示せなければ、規則通り、隔離中の魔獣をすべて処分する。そして、この診療所を閉鎖する」
「分かりました」
カイは頭を下げた。
「それと、私はこの村に滞在する。診療所の様子は毎日、確認させてもらう」
「構いません」
ヴェルナーは外套の裾を翻して扉に向かった。その手が扉の取っ手の前でふと止まった。
「……ひとつ、言っておく」
背を向けたまま、静かに言った。
「私は病を持つ魔獣を放置した村が、滅びた跡を見たことがある」
「……!」
「規則はそのためにある」
それだけ言って、ヴェルナーは扉を開けて出ていった。
* * *
リナがそっと口を開いた。
「カイさん……十日、って」
「うん。厳しいね」
カイは作業台に手をついた。
「でもやるしかない」
その時、扉ががらりと開いた。
「話は聞いた」
大きな影が入口を塞いだ。
ガルドだった。
背後に、グレイがおとなしくついてきている。傷はだいぶ、癒えていた。
「俺にも手伝わせてくれ」
「ガルドさん」
「原因を探すんだろう。森なら、俺が慣れている。足にも自信がある」
「ありがとうございます」
カイが言うと、リナがぱっと手を挙げた。
「あの、わたし考えたんですけど」
「うん?」
「発症した子たちが、どこで見つかったのか、地図にしてみませんか。一頭ずつ、場所を全部」
カイは目を見開いた。
「地図……」
「はい。そうすれば何か共通点が、見つかるかもしれません」
(そうだ。疫学調査だ。前世でも同じことをした)
カイはふっと笑った。
「いい考えだよ、リナ。やってみよう」
窓の外で夕日が、村を赤く染めていた。
十日。
その時間の中で、見つけなければならない。




