命令
白い外套の騎馬は整然と、谷の前庭に入ってきた。
四十騎。馬も人も雪のように白い。ひづめの音が揃っている。庭の幻獣たちが、一斉に建物の陰へ逃げ込んだ。
ミカンが、ニコの腕の中へ飛び込んだ。ギンがリナの足元に、体を押しつけた。
先頭の馬から、一人の男が降りた。
六十近い年齢。銀灰色の髪を短く刈っている。顔に深い皺。頬の骨が尖っていた。白い外套の胸に金の房飾り。
手に革の筒を持っている。
「院長直属護衛隊、隊長のベルンハルトである」
男は前庭の全員を、冷たい目で見渡した。
「査察官ハイゼはどこにいる」
「ここに」
館の玄関からハイゼが、静かに歩み出た。雪を踏む足取りは、落ち着いていた。ただ、顔色はまだ青白かった。
ベルンハルトは、ハイゼの前に立った。
「報告は、受けている。保護個体の移送を、保留にしているそうだな」
「はい。移送の安全性に、疑義がありますので」
「疑義」
ベルンハルトは鼻で笑った。
「貴官の判断は、不要だ」
革の筒を、ハイゼの目の前に突き出した。
「院長閣下のご命令だ。読め」
ハイゼは、筒から巻物を取り出した。封蝋を割る。広げて目を走らせた。
その顔がみるみる強張った。
「……これは」
「声に出して、読め」
「『北のミトラ診療所の全保護個体三十頭を、即時に押収し、王都へ移送せよ。同時に、診療所責任者カイが所持する、輪の印のついた聴診器。ならびに診療所に保管される古い手記。これらをすべて押収せよ。抵抗する者は反逆の罪として拘束する』」
ハイゼの声は掠れていた。
「署名は」
「院長、アルブレヒト公」
前庭に冷たい沈黙が落ちた。
カイの全身に鳥肌が立った。
(聴診器。手記)
あの院長はすべてを知っている。谷の診療所に何があるのかを。そして、それを奪いに来た。
「カイ殿」
ベルンハルトが初めて、カイに視線を向けた。
「貴殿が、聴診器の持ち主か」
「はい」
「それを、渡してもらおう。ついでに手記も」
「お断りします」
カイは静かに答えた。
ベルンハルトの眉が、ぴくりと動いた。
「命令だ」
「この聴診器は、僕の私物です。国の財産でも、院の財産でもありません。手記はこの診療所の記録です」
「院長閣下の、ご命令だと言っている」
「規則に、基づいたものですか」
カイはハイゼを見た。
「ハイゼ殿。この命令は、幻獣保護法の、どの条項に基づくものですか」
ハイゼは巻物を、じっと見つめた。
「……条項の記載はありません」
「何」
ベルンハルトの声が低くなった。
「院長命令として直接に発せられたもの、と」
「それで十分だ」
ベルンハルトは巻物をハイゼの手からひったくった。
「貴官は、命令に従うか、従わないか。それだけを答えろ」
ハイゼは答えなかった。
雪が静かに降っていた。
背後でリナが、小さく息をのんだ。ニコがミカンを抱きしめて震えている。ミレーヌが、薬草籠の紐をぐっと握った。
ガルドとグレイが無言で一歩前に出た。
イゼルダが、静かにヴェルナーの隣に並んだ。局の兵は、六人。白い外套は、四十。勝ち目は、ない。
「ハイゼ」
ベルンハルトが、苛立った声で言った。
「答えろ」
「……ベルンハルト殿」
ハイゼはようやく、口を開いた。
「私は、院の査察官です。査察はまだ、完了していません」
「何だと」
「査察期間は、七日間と定められています。今日は五日目。あと二日、残っています。その間、現地の保護個体に関する執行は」
「そんな規則が、あったか」
「あります」
ハイゼはきっぱりと言った。
「院の内規、第四十七条。査察官は査察期間中、現地の保護個体に関する執行を、停止する権限を有する」
ベルンハルトの顔が赤くなった。
「貴様。院長閣下の命令に逆らうのか」
「逆らってはいません。内規に、従っているのです」
ハイゼの声は静かだった。けれど、その背筋はまっすぐに伸びていた。
ベルンハルトは、拳を握りしめた。しばらくハイゼを睨んでいた。それから、鼻から、長い息を吐いた。
「……いいだろう」
「ベルンハルト殿」
「査察期間の、残りの日数。猶予を与えてやる」
ベルンハルトは冷たく笑った。
「ただし明朝の日の出まで、だ。それ以上は、待たん。それまでに、全員、荷をまとめておけ」
「日の出までですか」
「残りの二日など、待てるか。内規にも緊急時の例外は、ある」
ベルンハルトは、くるりと背を向けた。
「兵を前庭に、配置しろ。誰も、出入りさせるな。夜通し見張れ」
白い外套の兵たちが、一斉に動き出した。庭を取り囲む。館の門に槍の列が並んだ。
ハイゼは唇を、きつく結んでいた。
カイは静かに彼の隣に立った。
「ハイゼ殿」
「……すみません。時間を稼ぐのが精一杯でした」
「いえ。十分です」
カイは小声で言った。
「一晩あれば、できることがあります」
「できること」
「手記を守ります」
ハイゼの目が、わずかに見開かれた。
「ただし、あなたを、巻き込むわけには」
「もう、巻き込まれています」
ハイゼはほんの少しだけ苦笑した。
「私は、決めたのです。昨夜のあなたの言葉で。診てから、決める、と」
雪の降る空を見上げる。
「私も診てから、決めます。この夜の間に」
夕暮れの光が、前庭の白い兵たちの上に冷たく降りていた。




