輸送の可否
その夜から、診療所の広間は記録の工房になった。
大きな卓に板が、山のように積まれている。ランプが、四つ。ミレーヌ、レンデル、リナ、ニコ。トバが薬草茶を運んでくる。
「まず、全頭の現在の体重を測り直します」
カイは板に炭で表を書いた。
「保護時、現在、標準。その差。それから、輸送に耐えられるかの目安を一頭ずつ書き込む」
「基準は」
レンデルが真剣な顔で聞いた。
「体重が標準の八割以上。感染の兆候なし。採食が、安定している。そして、寒さに耐える体力」
「それを、満たしている個体は」
「たぶん、半分以下です」
カイは板を見つめた。
「まず、ユエから行きます」
ユエは広間の隅で娘のツキと並んで、横になっていた。大きな体が、ゆっくりと上下している。
「ユエ。月光鹿。雌。推定九歳。保護時、標準の六割。肝臓の腫れ。乳房炎の治療は完了。現在、標準の八割弱」
カイは聴診器を、ユエの胸に当てた。
とく、とく、とく。
「心音は、安定している。でも」
ユエの脇腹に手を当てる。
「右の肋骨の下。まだ、張りがある。肝臓は、回復の途中だ」
「寒さに耐えられるかですね」
ミレーヌが横から言った。
「馬車で十日の旅。この季節は夜、凍る。毛布を重ねても揺れと寒さで、体力を削られる。肝臓の弱った体にはきついよ」
「はい。ですから」
カイは板に書き込んだ。
『ユエ。移送不可。最低、春まで』
「根拠を、きちんと書いておく。体重、肝臓の状態、予想される移送の負荷。ミレーヌさんにも署名を」
「いいよ。わしの名前なんぞで役に立つなら」
次は、ツキ。
「ツキ。月光鹿。雌。推定一歳。鎖の跡の傷は、治癒。体重、標準の八割半。歩行は、良好」
「この子は、いけるかも」
リナが期待を込めて言った。カイは首を横に振った。
「母親と、引き離すことになる。ユエを置いていくなら、ツキはストレスで、鎮静薬の離脱が、再発する可能性がある。それに」
カイは、ツキの目をのぞき込んだ。
「この子はようやく、母親に会えたばかりだ」
「あ」
リナははっと息をのんだ。
「……そう、でした」
「ツキ。移送不可。母子の分離は診断上不利益が大きい」
次は鱗猿のミカン。
「ミカンは、環境の変化に弱い。夜間に自分の腕を噛む癖がある。ストレスの徴候だ」
ニコが、心配そうにミカンを見た。
「馬車に乗せたら、悪くなっちゃう?」
「たぶん、そうだと思う。ミカンはここに来てから、少しずつ、癖が減ってきた。環境を、変えない方がいい」
こうして、一頭ずつ記録を作っていった。
銀狐のギン。風羽鳥のセナ。影猫のハク。月光鹿のミオ。
深夜まで、ランプの灯りが広間を照らしていた。
「全頭、終わりました」
リナがふうっと息をついて、最後の板を置いた。
「何頭が、移送可能と判断した」
「三十頭中、三頭だけです。それも春先なら、という条件つきで」
「十分だ」
カイは板の山を見渡した。
「これをまとめて、ハイゼ査察官に提出する。ただし、記録だけじゃ足りない」
「何が、足りないんですか」
「規則の、根拠だ」
カイは胸元から、一枚の紙を取り出した。折りたたんだ書状の写し。
『処分の前に、診察を経ること』
局が採択した、付記の写しだった。
「この付記は魔獣に対して、採択されたものだ。でも、考え方は同じだと思う。移送も命に関わる処分と、同じ重さがある。だったら」
「移送の前にも、診察を経ること」
リナが言った。カイはうなずいた。
「それを提案する」
* * *
翌朝、カイは記録を携えてハイゼの客間を訪ねた。
ハイゼは窓辺の机で、朝食を取っていた。扉を叩くとすぐに「どうぞ」と声がかかった。
「早いですね」
「七日、と言われましたので」
カイは板の束を、机の上に置いた。ハイゼはパンを置いて、板を手に取った。
「拝見します」
一枚、また一枚と、ゆっくりと目を通す。表情は変わらなかった。時折、小さく、うなずく。
「ユエ。移送不可。最低春まで。ツキ。母子の分離は診断上不利益が大きい」
声に出して読み上げた。
「根拠は」
「体重、肝臓の状態、移送の負荷。ミレーヌ薬草師の、署名もあります」
「ふむ」
ハイゼは板を置いた。それから、カイの目をまっすぐに見た。
「確かに、整っています。三十頭中、移送可能は三頭。残りは延期の根拠が明確です」
「はい」
「幻獣保護法第十二条」
ハイゼが静かに言った。
「搬送の安全が確保できない個体は、院の判断で、搬送を延期することができるとあります」
「それは」
「あなたの記録は、その条項の適用を、十分に裏づけています」
カイは目を見開いた。
「では」
「ただし」
ハイゼは手を挙げた。
「私は、医者ではありません。診断を、私自身が確認することはできません。院に提出する際、第三者の確認が必要になります」
「第三者」
「診察の、独立した確認です。具体的には」
ハイゼは少し考えてから言った。
「七日間、私がこの診療所に滞在します。その間の診察の経過を、私自身が見て記録します。移送の可否は、その結果に基づいて判断する。それで、よろしいですか」
「それは」
カイは思わず、背筋を伸ばした。
(猶予をくれた)
「もう一つ」
カイは胸元から、付記の写しを取り出した。
「この規則を、ご存じでしょうか」
ハイゼは書状を受け取った。目を走らせる。
「処分の前に、診察を経ること。……局の、付記ですね」
「はい。僕はこれを、移送の前にも、適用していただきたいと考えています」
ハイゼは、じっと書状を見つめた。それから、顔を上げた。
「提案は記録します」
「それだけ、ですか」
「それだけです。私に規則を変える権限はありません」
ハイゼの声は静かだった。
「ただ、あなたの考え方には筋が通っている。そのことは報告書に書きましょう」
カイは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は不要です。私は規則を、運んでいるだけです」
ハイゼは再び、パンを手に取った。けれど、その指がわずかに止まっていた。
「カイ殿」
「はい」
「あの、書状の写しを、私にもいただけますか」
カイは目を瞬いた。
「写しですか」
「私は規則を読み返すのが好きなのです」
それは冗談とも、本気とも取れる口調だった。
カイは小さく笑ってうなずいた。
「ぜひ」




