王都からの使者
使者は三日後の朝に来た。
雪の止んだ空は、鉛色に晴れていた。診療所の窓の外に、一頭の馬が止まる。乗っていたのは、見慣れない紺色の外套の男だった。
胸に、白い竜の紋章がついている。
「アルム魔獣診療所の、カイ殿はおられるか」
「僕です」
カイは診察の手を止めて戸口に出た。
「王立幻獣院より、書状をお届けに参りました」
男は馬上から、封蝋のついた書状を差し出した。蝋の印は白い竜。カイはそれを受け取った。
「返事は」
「不要です。内容はお読みになれば、お分かりになります」
使者は短く一礼して馬を返した。蹄の音が、雪道に遠ざかっていく。
「カイさん」
リナがそっと近づいてきた。
「王立幻獣院って」
「うん。王都の、役所だ」
カイは封を切った。
書状は短い文面だった。
『北のミトラ診療所(旧ベルクハイム伯爵別邸)の管理について、当院は、幻獣保護法第九条に基づき、査察を行う。査察官エルンスト・ハイゼは、七日後に現地に到着する予定である。診療所の責任者は、立会いのうえ、保護個体の全記録を提出されたい。なお、保護個体は、国の財産であり、その扱いについては、当院の指示に従うこと』
署名は「王立幻獣院 院長代理」。院長本人の名はない。
「国の、財産」
リナが眉を寄せた。
「あの子たちは、物じゃないのに」
「うん。そこは、引っかかるな」
カイは書状をもう一度読み直した。それから、中に別の紙が挟まっていることに気づいた。
「これは」
局長ダリウスの手紙だった。
『カイ殿。王立幻獣院の通達は、法的には、拒めません。ただし、立会いは、あなたの権利でもあります。必ず、現地に赴いてください』
『査察官のハイゼ殿は、規則に誠実な人物と聞いています。嘘はつかない。ただし、その上に、院長アルブレヒト公がいます。伯爵が、院長の後援を受けていた疑いが、イゼルダ君の調査で浮かんでいます。確証は、まだありません。ハイゼ殿が、その事実を、どこまで知っているかは分かりません』
『気をつけてください。局として、できる限りの援護は、いたします』
カイは手紙を静かに畳んだ。
「院長の、後援」
「伯爵の、後ろ盾だね」
背後からミレーヌの声がした。いつの間にか、戸口に立っていた。
「あの男が最後に言った言葉。王都には、ずっと大きな方々が、と」
「はい。それが、院長のことなんだと思います」
「ふん」
ミレーヌは鼻を鳴らした。
「また、厄介な連中が出てきたもんだね」
「でも、行かないわけにはいきません」
カイは顔を上げた。
「あの子たちを、国の財産だと言って、連れていかれるわけにはいかない。立会いを、拒否はできない。だったら立ち会って、診察の記録で、説明するしかない」
「そうだね」
「ミレーヌさん。一緒に、来てもらえますか」
「当たり前だろう。わしを置いていくつもりかい」
ミレーヌは薬草の籠を、どすんと床に置いた。
「あの谷の子たちの薬は、わしが一番分かってる」
「ありがとうございます」
「ガルドとグレイも行くよ。あいつが行かないはずがない」
「わたしも」
リナが前に出た。
「連れていってくれるって約束しました」
「うん。約束した」
カイはリナの目を見てうなずいた。
「ぼくも行くよ。ぼくの谷だもん」
ニコがバーサの手を握って背伸びをした。
「バーサ婆ちゃんも、一緒」
「ああ。わしらの谷さ。当たり前だよ」
カイは全員の顔を、ゆっくりと見渡した。
不安がないわけではなかった。王都の役所。国の規則。院長という、顔の見えない存在。
けれど、この顔ぶれを見ていると、不思議と前を向ける気がした。
「出発は、明日の朝にしよう。谷まで、四日。査察の前に、診療所の支度を整えておきたい」
「分かりました」
「リナ。今夜のうちに、診察記録の板を、全部荷造りしておいてくれ。ニコ君は聴診器と着替え。ミレーヌさんは、薬草を、冬に備えて多めに」
「あいよ」
「はい!」
「うん!」
それぞれが動き出した。ガルドを呼びにニコが走る。リナが棚から板の束を抱えて下ろす。ミレーヌが、薬草の袋を数え始めた。
カイは診療所の窓から外を見た。
雪の積もった畑。白い屋根の列。その向こうに青白い山の稜線が、薄く見えている。
(王都)
聞いたことはあっても、行ったことのない場所。そこに今度は、自分から向かうことになるのかもしれない。
そんな予感が胸をかすめた。
肩の上でルカが「ぷる」と鳴いた。
「大丈夫だよ。ルカ」
カイは小さな頭を撫でた。
「行ってみよう。診てから、決める」
翌朝、雪晴れの空の下、馬車は北へ向かって走り出した。窓から村の人々が、手を振っていた。トムがモコを抱いて大きく叫んだ。
「いってらっしゃい! 先生! 気をつけて!」
「いってきます!」
リナがソラを抱いたまま、窓から身を乗り出して手を振り返した。その横顔は初めての巡回に向かう、緊張と期待に満ちていた。
馬車は白い街道を、まっすぐに進んでいった。




