ふたりの弟子
雪の日は荷馬車が遅れる。
それでも、四日後の昼過ぎ、アルム村の入口へ見慣れない荷馬車が着いた。幌に荷役組合の印がある。
御者台にペッポが座っていた。
「先生! 連れてきましたよ!」
「ペッポ君。わざわざ、ありがとう」
「いえ、ちょうどアルム村の近くまで、荷を運ぶ用事があったんで。ついでです」
ペッポはぺこりと頭を下げた。それから、幌の後ろを振り向いた。
「ほら、降りて。着いたぞ」
幌の隙間から小さな頭が、ひょっこりと現れた。ぼさぼさの髪。日に焼けた顔。首に細い葦の筒を、紐でぶら下げている。
「獣医さん!」
「ニコ君」
少年は荷馬車から飛び降りて、カイの腕に飛びついた。
「会いたかった! 谷にいたら、獣医さん、全然いないんだもん」
「ごめん。忙しくて」
「でも、来たよ! バーサ婆さんと一緒に!」
その後ろから杖をついた老婆が、のそりと降りてきた。毛皮の外套に頭の布。バーサだった。
「獣医さん。元気そうだね」
「バーサさん。遠いところ、すみません」
「いいんだよ。わしも、いろいろ用があってね」
バーサは、懐から一通の書状を取り出した。
「診療所の、開院届さ。獣医さんの署名が、いる。それとこの子の、見習い届」
「ニコ君の」
「あの子の母親とは話がついてる。ホロ村の者たちも賛成してくれた」
カイはニコを見た。少年は胸を張って、えへんと咳払いをした。
「ぼく、本気だから」
「うん。知ってる」
カイは微笑んだ。
* * *
診療所の戸口で二人の少年少女が、向かい合っていた。
リナと、ニコ。
リナは首に木製の聴診器を下げている。ニコは葦の筒を。二人とも緊張で、体がこわばっていた。
「あの」
「あの」
同時に声を出して同時に黙った。
カイは少し離れて、その様子を見守っていた。ルカが肩の上で、わくわくしたように尻尾を振っている。
ソラはリナの足元で、ニコの顔をじっと見上げていた。
「えっと」
リナが先に口を開いた。
「わたし、リナ。この診療所の、助手」
「ぼく、ニコ。ホロ村の、牧童。それから、獣医さんの、見習い」
「見習い」
「うん」
リナは少し考えてから真顔で言った。
「わたしの方が、先輩ってこと?」
「えっ」
「だってわたしが、先に見習いになったもの」
「そう、なのかな」
ニコは、困ったようにカイを見た。カイは笑いをこらえて、何も言わなかった。
「じゃあ、リナ姉ちゃん」
「ね、姉ちゃん?」
リナの顔がぱっと赤くなった。
「ぼく、年下だから。リナ姉ちゃん、って呼んで、いい?」
「い、いいけど」
「やった!」
ニコがにこっと笑った。リナもつられて口元を緩めた。それから、慌てて咳払いをした。
「じゃあ、案内するね。診療所の、中」
「うん!」
二人は、並んで中へ入っていった。
診療所の中でリナはニコに一つひとつ、道具を見せていった。
「これが、鉗子。ドルンさんが作ってくれたの。こっちがハサミ。刃先を、必ず火で炙る」
「炙るんだ」
「うん。それとこれが、ね」
リナは壁の板を指さした。
「迷った時、人を呼ぶって書いてある」
「ぼくも知ってる。獣医さんが、言ってた」
「でも、いざ迷うと、呼ぶのがすごく怖いんだ」
リナはぽつりと言った。
「恥ずかしいって思っちゃう。でも、呼ばないほうがもっと怖いことになる。だから、板に書いておくの。忘れないように」
ニコは真剣な顔で、板を見つめていた。
「ぼくも、書く」
「うん。書こう」
リナはにこっと笑った。そして、ふと、ニコの首の葦の筒に目を留めた。
「それ、聴診器?」
「うん。獣医さんが、作ってくれたんだ」
「見せて」
ニコが葦の筒を外してリナに渡した。リナはそれを耳に当てて、自分の胸に反対の端を押し当てた。
「……聞こえる」
「でしょ」
「葦でも、聞こえるんだ」
リナは目を丸くした。それから、自分の木製の聴診器をニコに差し出した。
「こっちも、聴いてみて」
ニコはそれを受け取って耳に当てた。リナの胸に押し当てる。
「あ。音が大きい」
「ドルンさんが、作ってくれたの。木を削って、中を空洞にして」
「すごい。葦よりずっと、はっきり聞こえる」
二人は顔を見合わせて笑った。その笑い声が、診療所の中に明るく響いた。
その時、扉がごとんと鳴った。
「何だ、騒がしいと思ったら」
扉の向こうに、大きな影が立っていた。ドルンだった。革の包みを小脇に抱えている。
「ドルンさん!」
リナが駆け寄った。ドルンは無言で包みを、ニコの前に差し出した。
「……え?」
ニコがおそるおそる、包みを受け取る。紐を解くと中から、木製の小さな聴診器が現れた。
リナの聴診器と同じ形。けれど、少し小ぶりだった。子どもの手に合う大きさだ。
「……これ」
「作った」
ドルンは短く言った。
「ニコ、だったな。見習いなら、道具がいる」
「ぼくに?」
「ああ」
ニコの目がまん丸になった。それから、じわじわと涙が溜まった。
「ありがとう、ございます」
「泣くな」
「泣いてないです」
「泣いてるだろ」
「泣いてないです!」
ニコは、袖で顔をごしごしと擦った。リナがくすくすと笑った。ドルンは、ぷいとそっぽを向いた。耳が赤かった。
カイは少し離れた場所で、その様子を見ていた。
(この子たちはきっと、僕よりずっと遠くまで行く)
そんな予感が、胸の奥に静かに広がった。
夕暮れ、診療所の窓から橙色の光が差し込んだ。雪に反射して部屋の中が淡く染まる。
ニコが新しい聴診器を、首に下げて、嬉しそうに何度も鏡を覗き込んでいた。
リナがその横で「似合ってる」と言って手を叩いていた。
バーサが暖炉の端で茶をすすりながら、目を細めていた。
「いい弟子たちだね」
「はい」
「あんた、これから、忙しくなるよ」
「分かっています」
カイはうなずいた。
けれど、その時はまだ知らなかった。数日後に一通の書状が、アルム村へ届くことを。




