外の者たち
ホロ村の夜は、いつもより明るかった。
村の広場の奥で、焚き火が燃えていた。その周りに、見慣れない人々が座っている。灰色の制服の兵が十数人。
馬が柵の外につながれている。
その日の夕方、領都から来た一行が、村に着いたのだった。
「それで、あの子は、いつ戻ってくるんだい」
焚き火の端で、老婆が薬草をすり潰しながら言った。ミレーヌだった。
「カイさんは、谷へ向かったと聞いています。四日前に」
ヨハンが困ったように答えた。
「四日前。まったく、あの子は、じっとしていることができないね」
ミレーヌは、ふんと鼻を鳴らした。その隣でガルドが苦笑する。足元に、グレイが寝そべっていた。
一行の事情はこうだった。
イゼルダは、局長ダリウスの命を受けて、北の村々の調査に出ていた。伯爵の土地を調べるためだった。
同行したのはヴェルナーと十二人の兵。
途中、アルム村で一行は足を止めた。そこでミレーヌとガルド、ドルンが、護衛として加わったのだった。
『あの子が、また無茶をするに決まってる』
ミレーヌはそう言って、薬草の籠を背負った。ドルンは大きな鞄を抱えて、無言で馬車に乗り込んだ。
レンデルの姿も一行にあった。局の証人として、同行を命じられたのだ。今は焚き火から少し離れて、一人で座っている。
「……あの子たちは元気でしょうか」
レンデルが、ぽつりとつぶやいた。ミオ、リン、ヨル。領都の局で、世話を続けている三頭のことだった。
「元気だよ。あんたが、毎日帳面をつけているからね」
ミレーヌが、ぶっきらぼうに言った。
「あの子らは、あんたを待っておるさ。だから、さっさとこの件を片付けて帰るんだよ」
レンデルは目を伏せて、小さくうなずいた。
その時、夜空の彼方から、かすかな羽音が聞こえた。
「何だ?」
ガルドが顔を上げた。グレイが耳を立てる。
羽音は見る間に大きくなった。ばさ、ばさと必死に羽ばたく音。やがて、小さな金色の影が闇を切って広場に落ちてきた。
「ぷる!」
「ルカ!」
ニコが叫んだ。メイを抱いたまま、駆け寄る。
ルカは地面に転がった。翼ががくがくと震えている。体中の羽が乱れて息が荒かった。首に小さな板が、紐で結ばれている。
「ルカ、どうしたの。カイさんは?」
ニコがルカの首の板を外した。焚き火の光に、炭の文字が浮かび上がる。
『館に伯爵。罠だった。ミトラの診療所を開いた。聴診器とミトラの書は、洞窟に隠す。ツキは洞窟にいる。助けを。ニコ、バーサさん、ヨハンさんへ』
ニコは声に出して読んだ。広場が静まり返った。
イゼルダが板を受け取った。目を通して顔色を変える。
「伯爵が、館に」
ヴェルナーが、険しい顔で言った。
「やはり、そうか。罠、とは」
「ここに書いてある通りです。カイ殿は、館に捕らえられたのでしょう」
イゼルダは静かに言った。
「幻獣保護法に基づく、立入検査の根拠は、これで十分です。令状は、すでにあります」
「兵を出しますか」
「すぐに」
その時、ミレーヌが、持っていた薬草の鉢をがしゃんと地面に置いた。
「ちょっと、お待ち」
老婆は、ルカの前にしゃがみ込んだ。ルカの体を手のひらでざっと撫でる。
「疲れ切ってるじゃないか。何も食べてないね」
「ぷる……」
「蜂蜜があったね」
ミレーヌは、懐から小壺を取り出した。指ですくって、ルカの口に押し込む。ルカはきょとんとして、それから夢中で舐めた。
「飲み込みな。水もだ。それから、少し寝な」
「ぷる、ぷる」
ルカは首を横に振った。体を起こそうとして、よろよろとよろめく。
「だめだ、まだ動けないよ」
「ぷる!」
ルカは必死に翼を広げた。北の空を指すように、首を伸ばす。
ニコがはっと息をのんだ。
「ルカは、帰りたいんだ。カイさんのところに。みんなを、連れていきたいんだよ」
「……そうかい」
ミレーヌは、しばらくルカを見つめていた。それから、小さく息をついた。
「分かった。三時間だけ、休ませる。その間に、わしらも支度をする」
「ミレーヌさん」
「あの子は、あの子のやり方で、あの男を助けようとしてるんだ。わしらが、止められるものじゃない」
そう言って、老婆は薬草の籠を背負い直した。
それから、三時間ほどが過ぎた。東の空が、わずかに白み始めた頃だった。
広場の入口で、杖をつく音がした。
「待っておくれ」
しわがれた声。振り向くとバーサが立っていた。
「あの子の、役に立てるものがある」
「バーサさん」
ヨハンが驚いた顔をした。
老婆は焚き火の前に進み出た。そして、懐から、革紐を引き出した。
その先に青銅の小さな輪が下がっていた。
「……それは」
イゼルダが目を見開いた。
「守りの輪」
「ああ」
バーサは静かに言った。
「わしは、ミトラの末裔さ。ずっと黙っていた」
広場にどよめきが走った。ニコが、口をぽかんと開けている。
「バーサばあさん。そんなずっと」
「すまないね、ニコ。ホロ村の者にも誰にも言えなかった。何せ百年も、隠れていた血だ」
バーサは遠い山を見上げた。
「わしの弟が、谷にいる。館に、飼育人として入り込んでいる。五年前から」
「弟さんが」
「ああ。トバという。わしより、十も年下だよ。まだ、生きていてくれたらいいが」
その時、夜空から別の羽音が降ってきた。
細長い、薄青の翼。風羽鳥だった。バーサの肩に、ふわりと降り立った。足に小さな筒が、結びつけてある。
「ヒバ!」
バーサは筒を外した。中の紙を広げる。
『姉さん。輪の聴き手が、館にいる。二日後の夜明けに、塔が鳴らされる。助けを。トバ』
「……ああ」
バーサの目に涙が浮かんだ。
「生きていた。トバは、生きていたよ」
「二日後の夜明けに塔が鳴らされる、とは」
ヴェルナーが眉を寄せた。
「呼び塔のことさ」
バーサは涙を拭って顔を上げた。
「母竜を呼ぶ塔。伯爵は、竜を捕らえるつもりなんだ」
「雲居山の母竜を」
イゼルダの声が低くなった。
「まずい。二日後の夜明けまで、時間がありません」
「間に合う」
バーサが言った。
「街道から回れば二日かかる。入口は、兵が固めている。だが、輪の者だけが知っている古い道がある。山の腹を抜ける抜け道さ。それを使えば、一日で谷に着く」
「どこから」
「洞窟だ。ツキとかいう子鹿がそこにいる。その洞窟から、谷の里の跡へつながる道がある」
バーサは全員を見渡した。
「案内するよ。ただし、馬は使えない。歩きだ。一日かけて、山を越える」
ヴェルナーがイゼルダを見た。イゼルダは短く、うなずいた。
「行きます。兵の半分は、バーサ殿の案内で、山を越えてください。私とヴェルナー殿は、残りの兵と街道から館の正門へ回ります。夜明けに、挟み撃ちにします。ペッポ君、あなたの荷馬車に炭と水樽を積んで、正門の部隊に同行してください」
広場の隅でナギの手綱を握っていたペッポが、背筋を伸ばした。
「はい! 任せてください!」
「承知した」
ガルドが立ち上がった。グレイが低く唸る。
「俺たちも行く。山は慣れてる」
ミレーヌが言った。
「わしも行くよ」
老婆は、むっとしたように顔をしかめた。
「あの子の手当てはわしがやる」
ドルンは無言で、大きな鞄を肩にかけた。中で金属ががちゃりと鳴った。大きな鎖を切るための鋼の鋏だった。
ニコが一歩前に出た。
「ぼくも、行く」
「だめだよ」
ミレーヌが即座に言った。
「あんたは、足手まといだ」
「でも」
「ニコ」
バーサが静かに言った。
「あんたには、大事な役目がある」
「役目?」
「ここに残って、村を守るんだ。ヨハンさんたちと一緒に。もし、兵が逃げてきたら、受け止める。そして、もし、カイさんがここへ戻ってきたら」
バーサは少年の目を、まっすぐに見た。
「あんたが、真っ先に出迎えるんだ。いいね」
ニコの唇がぷるぷると震えた。目に涙が溜まっている。それでも、ぐっと唇を噛んでうなずいた。
「……分かった。ぼく、待ってる」
「いい子だ」
バーサはニコの頭を、くしゃりと撫でた。
夜明け前。
一行はホロ村を出た。
先頭をバーサが歩く。その肩にヒバがとまっている。続いてルカがミレーヌの腕の中で、体を休めていた。
兵たちが無言でその後に続く。
北の山の稜線が、星の下に黒々とそびえていた。
誰もが同じことを思っていた。
(間に合ってくれ)
山はまだ遠かった。




