荷馬車の便り
その朝、ホロ村の入口で鐘が鳴った。
見張りの子どもが、叫びながら走ってくる。
「荷馬車だ! でっかい荷馬車が来るよ!」
カイは、井戸端で顔を洗っていた手を止めた。ルカが肩の上で首を伸ばす。
丘の向こうから、重たそうな荷馬車が、ゆっくりと坂を上ってきた。幌の下に麦わらの束が、山のように積まれている。
引いているのは、栗毛の馬型の魔獣だった。右の前脚を、しっかりと地面につけて歩いている。
「あれは」
カイの顔が、ぱっと明るくなった。
「ナギ!」
御者台に座っていたのは、見覚えのある少年だった。手綱を握って緊張した顔で、前を向いている。
「ペッポ君!」
「あっ、獣医さん!」
ペッポは手綱を引いて馬車を止めた。それから、御者台から飛び降りてカイの前に駆け寄った。
「やっと見つけた。ホロ村って、遠いんですね」
「どうして、君がここに」
「親方が行けって」
ペッポは胸を張った。
「領都の局長さんから、荷役組合に、依頼が来たんです。北の村に、飼い葉と麦わらを届けてほしいって。親方は『先生に借りを返す時が来た』って、組合の荷車を三台、出しました」
「三台も」
「あとの二台は坂の下で待ってます。道が悪いから、少しずつ上げないと」
カイは言葉が出なかった。村の入口に人が集まってくる。ヨハンも、慌てて駆けつけてきた。
「これは」
「領都から、餌の支援です。荷役組合の方が、運んでくれました」
「荷役組合が、なぜうちの村に」
「僕の、牛と馬を診た縁です」
カイは笑った。
「冬を越す分には十分でしょう。足りなければ、また運んでくれると思います」
ヨハンは荷馬車を見上げたまま動かなかった。それから、ぐっと唇を結んでペッポに向き直った。
「若いの。よく来てくれた。ありがとう」
「いえ、俺は親方に言われて来ただけで」
ペッポは、照れたように頭を掻いた。それから、懐から四つ折りの紙を取り出した。
「これ、親方からの手紙です。それから、他の手紙も預かってきました」
「他の」
「アルム村の、リナさんから。薬草師のおばあさんから。それから、管理局の人からも」
カイの胸がどきんと鳴った。
ペッポが差し出した手紙の束を受け取る。五通あった。差出人の名を、一つずつ確かめる。
オルト。リナ。ミレーヌ。ヴェルナー。そして、イゼルダ。
「ありがとう、ペッポ君。ナギは、元気そうだね」
「はい! 蹄は、すっかり治りました。あの日から、一度も脚を引きずってません」
ペッポはナギの首を、愛おしそうに叩いた。栗毛の馬は鼻を鳴らして、カイの肩に鼻先を寄せた。
ルカが、くすぐったそうに翼を震わせた。
* * *
村長の家の客間で、カイは手紙を広げた。
最初に開けたのは、リナの手紙だった。
『カイさんへ。お手紙、ありがとうございます。ヤルン宿のこと、読みました。牛のお腹のガスを、管と油で抜いたなんて、すごいです。ホロ村のみなさんが、無事でありますように。毎日、そう思っています』
カイは思わず笑った。ホロ村の結末を、早く知らせてやりたかった。
『村は、元気です。ハンスさんが、新しい柵を作ってくれました。トム君が、毎日、モコを連れて遊びに来ます。ソラは、診療所の前で、カイさんが帰ってくる道を、毎日眺めています』
『先週、ガルドさんのグレイが、前脚に棘を刺して、来ました。一人で抜きました。ちゃんと、ミレーヌさんに報告しました。褒められました』
『ルカさんは、元気ですか。好き嫌いは、していませんか。干し果物を、たくさん食べすぎていませんか』
(食べすぎている)
カイは、肩の上の竜をちらりと見た。ルカは素知らぬ顔で、毛づくろいをしていた。
『カイさんが、いない間に、少しだけ、分かったことがあります。診療所を守るって、毎日、同じことを丁寧にすることなんですね。朝、窓を開けて、器具を煮て、板を確かめる。それが、一番の診察の準備なんだって』
『ホロ村のお話も、たくさん聞かせてください。早く帰ってきてくださいね。リナ』
最後の一行が、少し滲んで見えた。カイは手紙を胸に当てた。
ミレーヌの手紙は、たった一行だった。
『無理するんじゃないよ。薬草の袋、まだ残ってるだろうね』
「ふふっ」
カイは噴き出した。残っている。使い切っていない。ミレーヌの口の悪さが胸にしみた。
オルトの手紙は不器用な字で短かった。
『先生へ。ナギは、歩く。ゴンは、鞍を替えて元気だ。組合の連中が、先生の話ばかりしている。借りは返す。飼い葉は、足りなければ、また言え。オルト』
そして、四通目はヴェルナーだった。
『カイ殿。メルツ書記官から、報告を受けた。北の村の件は、局長が直接、地方管理官を呼び出した。管理官は、命令書の経緯について聴取されている。しばらくは、勝手な処分はできないはずだ』
そこまで読んで、ほっと息をついた。続きがあった。
『ただし、もう一つ、報せがある。ベルクハイム伯爵が、二週間前に、領都を出た。行き先は、公には「療養」とされている。だが、実際は、北へ向かったとの報告がある』
カイの手が止まった。
(北へ)
『監視は続けているが、馬車を見失った。気をつけてほしい。君は、北の街道にいる。伯爵の行き先と、重なっている可能性がある』
最後に、一行が付け加えられていた。
『無理はするな。いつでも、戻ってこい。ヴェルナー』
イゼルダの手紙は、一番分厚かった。
『カイ殿。聴診器の刻印について、調べました』
文字がびっしりと並んでいる。
『守りの輪は、「ミトラの輪」とも呼ばれる、古い印です。百年以上前に滅んだ、幻獣の守り手の一族「ミトラ」の紋章でした。一族は、北の三つ角の山の麓に、里を持っていたと、古い写本にあります』
(ミトラ)
バーサの言葉と一致した。
『写本によれば、一族は、ある時、一夜にして里を失いました。理由は、記されていません。ただ、最後の頁に、こう書かれています。「輪は、声なき者とともにある。輪が絶えぬ限り、獣は救われる」』
『また、伯爵家の土地の記録を調べたところ、五年前に、北の谷の土地が、伯爵名義で買われていました。場所は、三つ角の真ん中の峰の麓です』
カイは手紙を持つ手に力がこもった。
(やっぱり)
『この件は、私の権限で、調査を進めます。あなたは、無理に動かないでください。ただ、もし、近づく機会があれば、決して一人で入らないこと』
イゼルダの手紙は、そこで終わっていた。
カイはすべての手紙を、机の上に並べた。リナ。ミレーヌ。オルト。ヴェルナー。イゼルダ。
(みんなが見ている)
遠く離れていても、同じ方向を向いている。そう思うと、胸の奥に静かな力が湧いてきた。
「ぷる」
ルカが手紙の上に、ちょこんと前脚を載せた。それから、窓の外の山をじっと見た。
「ああ。そうだね」
カイはルカの頭を撫でた。
「行こう。三つ角の、谷へ」




