干し草を捨てる日
メルツが去った翌朝、ホロ村の人々は、共同の小屋の前に集まった。
男も女も、年寄りも若者も。手には、布や桶や熊手を持っている。
カイは小屋の入口に立って、村人たちを見渡した。
「今日から、小屋の干し草をすべて外へ運び出します」
ざわめきが起きた。
「全部、か」
「はい。奥の方まで、カビが回っています。一部だけ残してもまた広がります」
「だが、冬の餌が」
誰かが言った。カイはうなずいた。
「それは、後で考えます。まず、毒の元を取り除きましょう。ただし、気をつけてほしいことがあります」
カイは白い布を取り出した。
「干し草を動かすと、白い粉が舞い上がります。それを吸い込むと、人間も咳が出ます。目や喉が、痛くなります」
「だから、昨日のニコ君が咳をしていたのか」
「そうです。口と鼻を、布で覆ってください。風上から、運び出す。粉を吸わないように」
カイは、自分の顔に布を巻いて見せた。後ろでニコが真似をした。
ルカも、前脚で自分の鼻を押さえるような仕草をして、村人たちの笑いを誘った。
「さあ、始めましょう」
「おう!」
ヨハンが、真っ先に熊手を振り上げた。
小屋の中は薄暗く、湿っていた。干し草の山に熊手を突き刺して掘り出す。持ち上げた束から、白い粉がもうもうと舞った。
大人たちが桶や布で、束ごと外へ運んでいく。
運び出した干し草は、村の外れの空き地に積み上げられた。風下にある、石だらけの荒れ地だった。
「燃やすのか」
ヨハンが聞いた。
「はい。ただ、煙も吸わないように。離れた場所で、風上から火をつけましょう」
「分かった」
昼過ぎまで作業は続いた。汗を拭きながら、黙々と手を動かす。
最初は、遠巻きに見ていた村人たちも、気づけば、全員が加わっていた。
「そっちの束、持つぞ」
「ありがとう」
子どもたちが小さな手で、藁屑を集めている。年寄りが桶に水を汲んでくる。
「おや」
カイはふと気づいた。数日前まで、疑いの目を向けていた人々が、いつの間にか同じ作業の中にいた。
言葉は少ない。けれど、そこには確かな空気の変化があった。
小屋が空になった。
床には黒ずんだ藁屑と、白い粉が薄く残っている。カイは箒を取った。
「ここも、掃除します。床の汚れを全部掻き出して、水で洗い流す。そして、よく乾かす」
「干し草を、また積むのか」
「はい。ただし、積み方を変えます」
カイは板に炭で、簡単な図を描いた。
「床に、直接積まない。板や丸太を並べて、その上に載せる。地面の湿気が、上がらないように。壁との間にも、隙間を空ける。風が通るように」
「風が」
「カビは、湿気とよどんだ空気が好きなんです。乾いて風が通れば、生えにくくなります」
ヨハンは、図をじっと見つめていた。
「……そうか。うちの小屋は、風を嫌って壁を塞いでいた」
「はい。次の刈り入れまでに、窓を作りましょう」
「ドルンという鍛冶屋はいるのか」
「え?」
「あんたの村の、鍛冶屋だ。釘と蝶番を、頼みたい」
カイは思わず笑った。
「ドルンさんなら、喜んで作ってくれると思います。無口ですが」
ヨハンもふっと笑った。それは、この村に来て初めて見る笑顔だった。
夕方になって、荒れ地の干し草の山に火がつけられた。
風上から、ヨハンが松明を差し入れる。乾いた藁がぱちぱちと音を立てて燃え上がった。
赤い炎が、夕焼けの空に高く伸びる。
村人たちは離れた場所から、黙ってそれを見ていた。
「……これで全部だ」
ヨハンが静かに言った。
「今年の夏から、積み続けた分だ。長雨さえなければ」
「雨は、誰のせいでもありません」
「分かっている。だが」
ヨハンは炎を見つめたまま言った。
「冬の餌は、どうする。あんたは、考えていると言ったな」
「はい」
カイは、ポケットから、バーサに書いてもらった小さな紙を出した。山の放牧地の、地図だった。
「バーサさんが、教えてくれました。山の斜面に、雪の下でも枯れない草があるそうです。雪が降っても、掘れば食べられる」
「あの婆さんが」
「それと、領都の荷役組合に、手紙を出しました。余った飼い葉や麦わらを、分けてもらえないかと。局長の許可が出れば、荷馬車で運んでくれるかもしれません」
「荷役組合」
ヨハンは目を丸くした。
「あんた、領都にも、そんな伝手があるのか」
「牛を診たんです。親方に、気に入られたみたいで」
「気に入られた、か」
ヨハンは小さく笑って首を振った。それから、居住まいを正してカイに向き直った。
「獣医殿」
「はい」
「疑って、すまなかった」
ヨハンは深く頭を下げた。灰色の髭が炎の光を受けて赤く揺れた。
「あんたは、見も知らぬ村のために三日三晩眠らなかった。ニコの手紙を、本気で受け止めてくれた。この恩は忘れない」
「顔を上げてください」
カイは慌てて言った。
「僕は、診てほしいと言われたから来ただけです」
「それが、できる者は少ない」
ヨハンは顔を上げた。目が潤んでいた。
「この村に、何か困ったことがあれば、いつでも言え。俺たちは、あんたの味方だ」
その時、ニコが人垣をかき分けて走ってきた。
「獣医さん! ばあさんが、麦わらを全部食べたよ!」
「え」
「ちゃんと、立ったまま!」
ヨハンもカイも、顔を見合わせた。それから、同時に笑った。
炎の向こうでルカが、ぷるると高く鳴いた。
燃え上がる火の粉が、夕暮れの空へのぼっていく。その先に、青黒い山の影が静かにそびえていた。
三つの峰が並んでいる。
カイは胸元の聴診器にそっと触れた。
(輪の者は、あの山の麓から来た)
明日から、考えよう。今は、この火を見届けたかった。




