共通点
日が暮れるまで、と言われた。
カイはメイのそばをニコに任せて、柵の中に入った。十二頭の魔獣を、一頭ずつ診ていく。
鞄から板と炭を出して、手早く書き留めた。体温。食欲。体の痩せ具合。便の状態。そして、いつから悪くなったか。
最初は、年老いた雌のヤギ型だった。名前はない。村では「ばあさん」と呼ばれているという。
「いつから、食べなくなりましたか」
そう聞くと、世話をしていた村の女が指を折った。
「二十日ほど前から。最初は、餌を残すようになって。それから、乳が出なくなって」
「ふらつくことは」
「ありました。ここ数日は、特に」
ヤギの目をのぞく。白目がうっすら黄色い。口をめくると、歯茎も黄ばんでいた。
右の肋骨の下に手を当てた。
(……ここ、張ってる)
聴診器を胸に当てる。心音は遅めだが乱れていない。熱はなかった。
二頭目は羊型の雌だった。三頭目は毛の長い牛型。四頭目。五頭目。
診るたびに、板の上の文字が増えていった。
食欲がない。痩せている。毛艶が悪い。目や歯茎が黄色い。右の肋骨の下に軽い張り。
乳をつくる雌は、乳が減っている。三頭がここ二週間で、子を流していた。
(同じだ)
十二頭、ほぼ全員が、同じ症状だった。熱がある子はいない。皮膚に発疹もない。咳や鼻水もない。
(感染症の感じじゃない)
感染症なら、熱が出るのが普通だ。それに全員が同時に同じ状態になる、というのも不自然だった。
カイは、後ろで見ていたニコに聞いた。
「ニコ君。この村で、病気になった魔獣はこれで全部かな」
「ううん。あと三頭いた。でも、先週、処分された」
「その子たちも、同じ症状?」
「うん。みんな同じ。食べなくなって痩せて動けなくなった」
「元気な子は、いないのかい」
ニコは少し考え込んだ。
「いるよ。山の放牧地の、群れ。ずっと外にいるから、元気」
「山の放牧地」
「冬になるまで、そこで草を食べるんだ。ぼくが、何頭か世話してる」
カイは板に、その一行を書き足した。
放牧地の群れは、元気。
柵の中で飼われている子は、不調。
(外にいる子は無事で、小屋にいる子だけ悪くなる)
何かがある。小屋の中の何かが。
カイは、柵のそばに立っていたヨハンに近づいた。
「村長。魔獣に与えているものを、すべて教えてください。水と餌、薬があれば薬も」
「水は、井戸から汲んでいる。人間と同じ井戸だ」
「人間は、誰も体調を崩していませんね」
「ああ。だから、病気が人に移るとは考えていなかった」
「餌は」
「穀物の粉と、干し草だ。冬はそれで過ごす」
「干し草は、どこで保管を」
ヨハンの眉がぴくりと動いた。
「村の共同の小屋だ。この季節は毎年、そこから運んでいる」
「見せていただけますか」
「……あれが、何の関係がある」
「確かめたいんです」
ヨハンは渋い顔をしたが、顎で村の奥を示した。
村の北側に、大きな木造の小屋が並んでいた。屋根は低く、壁は板張り。
中に入る前から、嫌なにおいがした。湿った土のような、甘ったるい、重たい匂い。
「うっ」
カイは袖で鼻を覆った。
扉を開けると、薄暗い小屋の中に、干し草が山のように積まれていた。奥行きは、人の背の三倍ほどある。
手前の草を一掴み取ってみた。
しっとりと冷たい。
指先で草をほぐした。茎の間から白っぽい粉が、ふわりと舞い上がった。光の筋の中できらきらと漂う。
「ごほっ」
後ろでニコが咳き込んだ。
「ニコ君、離れて。外で待っていて」
「うん……」
少年が出ていく。カイは草をさらに掘った。奥へいくほど、粉が濃くなる。表面に、灰緑色の斑が広がっていた。
黒ずんで、固まっている部分もある。
(カビだ)
そう思った瞬間、胸の奥で、何かがつながった。
「村長。今年は、長雨でしたか」
「……ああ。夏の終わりに、二十日以上降り続いた。刈り入れが遅れて、乾く前に積むしかなかった」
「それです」
カイは振り向いた。
「湿ったまま積んだ干し草が、小屋の中でカビたんです。カビには、毒を出すものがあります。その毒を、魔獣が毎日少しずつ食べていた」
「毒だと」
ヨハンの声が低くなった。
「根拠は」
「いくつかあります。まず、病気になるのは、小屋の餌を食べている子だけです。放牧の子は無事。人間も無事」
カイは指を折った。
「次に、熱がない。感染症なら、普通は熱が出ます。そして、全員が肝臓が傷んだ時の症状をしている。目と歯茎が黄色い。右の肋骨の下が張る。流産が増える」
「それが、カビの毒の症状か」
「肝臓をやられる毒があります。少しずつ溜まって、ある日、食欲がなくなる。乳を飲む子ヤギが下痢をしたのも、母ヤギの乳に、毒が出ていたからだと思います」
ヨハンは黙って聞いていた。表情は動かない。けれど、その目が小屋の干し草を見つめていた。
「……毎年、少しはカビることがあった」
「はい。でも今年は、量が違うはずです。長雨で、草の中まで湿っていた」
「そんなことで、魔獣が死ぬのか」
「長く食べ続ければ死にます」
小屋の入口から、ルカが首を伸ばした。
けれど、その金色の瞳は小屋の中に入ろうとしなかった。耳を後ろに寝かせて、翼を小さく畳んでいる。
くしゃん、と一つくしゃみをした。
そのまま、じりじりと後ずさった。
「ルカも、いやなにおいだと思ってるんだね」
「ぷる……」
ヨハンが小さく息を吐いた。
「……分かった。あんたの言うことには、筋が通っている。だが」
声が硬くなった。
「干し草を替えると言っても、代わりがない。今から刈っても、霜が来る。冬を越す餌が、なくなる」
「ええ」
「毒だと分かっても、食わせるしかない。それが、この村の現実だ」
カイは答えに詰まった。村の事情は、ヨハンの言う通りだった。
餌を替えられなければ、診断は意味がない。
けれど、診断が先だった。
「ヨハンさん。三日、時間をください」
「三日で、何をする」
「確かめます」
カイは、板に炭で簡単な図を描いた。
「十二頭のうち、六頭には今の干し草を止めて、麦わらと乾いた牧草に替えます。残りの六頭は、そのままにする。三日後に、比べてみます」
「同じ状態の魔獣を、二つに分けるのか」
「はい。餌を替えた群れが良くなれば、原因は干し草です。そうでなければ、僕の見立てが間違っています。その時は処分に反対しません」
ヨハンは長い間、カイの顔を見た。
「……もう一つの群れは、悪化したままになるぞ」
「悪化させないために、毒を吸わせる炭を、両方に与えます。ただ、餌だけは替えない。比べるためです」
「残酷なやり方だ」
「そうです。でも、これが一番、確実です」
カイは視線を逸らさなかった。
「全員を救うために、確かな証拠が要るんです」
風が小屋の隙間を鳴らした。ヨハンは背を向けた。
「三日だ。それ以上は待てん」
「はい」
足音が遠ざかっていく。ニコが外から駆け寄ってきた。
「ぼく、手伝うよ。何でもする」
「ありがとう。まず、乾いた麦わらを集めてくれるかな」
「うん!」
少年が走っていく。カイは小屋を振り返った。
薄暗い干し草の山。そのにおいが、まだ鼻の奥に残っていた。
(三日で証明する)
肩の上でルカが、不安そうに尻尾を揺らしていた。




