竜を連れた獣医
「下がってください」
槍を構えた兵が一歩前に出た。
「その肩の、魔獣か幻獣か知らんが。竜は、街道への持ち込みを禁じられている」
「待ってください」
カイはルカをかばうように、体の向きを変えた。肩の上で、ルカが小さく震えている。爪がカイの外套に食い込んだ。
「この子は、危険ではありません。魔獣管理局の審問で、処分が取り消された幻獣です」
「証拠は」
「これを」
カイは鞄から、もう一枚の書状を出した。審問の後で、局から受け取った写しだった。
竜の処分の取り消しと、野生に返す認可が記してある。
兵は紙をじっと見た。そして、困ったように眉を寄せた。
「……確かに、局の印だ。だが、竜を宿場に入れた前例がない」
「人を襲ったことは、一度もありません。僕が保証します」
「あんたの保証だけではなあ」
広場の空気が重くなった。ルカは、カイの首の後ろに顔を埋めてしまった。
その時だった。
「あのう」
さっきの女の子が、人垣から出てきた。手に、干した果物を一つ握っている。
「ミーナ! 戻れ!」
髭の宿の主人が叫んだ。けれど、少女は止まらなかった。カイの足元まで来て背伸びをした。
「ねえ。その子、お腹が空いてるの?」
「え?」
「うちの猫も、怖いと隠れるの。でも、おやつをあげると出てくるよ」
ミーナはそう言って、干し果物を差し出した。
カイは、ルカの背をそっとなでた。
「ルカ。この子が、くれるって」
ルカはおそるおそる首を伸ばした。金色の瞳で、果物と少女の顔をかわるがわる見る。
やがて、ぱくりと一口。
「ぷる」
小さな声が漏れた。それから、もぐもぐと噛みながらゆっくり目を細めた。
「あ、食べた! かわいい!」
ミーナがぱっと笑った。その声に、広場の緊張がほどけていく。
「……なんだ。ずいぶん、小さいじゃないか」
「羽もきれいだ」
「竜って、もっとおっかないもんだと」
兵が槍を下ろして咳払いをした。
「まあ。そういうことなら。人を襲わないなら、見なかったことにする」
「ありがとうございます」
カイは深く頭を下げた。
「兄ちゃん、いや、獣医さん」
さっきの荷車の持ち主が、人垣の前に出てきた。
「俺は荷主のマルコだ。あんたは、うちの牛の恩人だ。竜を連れてるのが何だってんだ。この人は、命を助けてくれたんだぞ」
「そうだ! 助けてもらった!」
「牛が元気になったんだ。文句があるやつは出てこい」
広場から、拍手が起きた。カイは思わず顔が熱くなった。
けれど、宿の主人だけは腕を組んだままだった。
「……うちは、泊められんぞ」
「ダンさん」
兵が小声で言った。ダンというのが、主人の名らしい。
「竜は縁起が悪い。火事を呼ぶと言うだろう。それに、他の客が怖がる」
「お父さん!」
ミーナが、主人の腕にしがみついた。
「この子、いい子だよ。わたし、ごはんあげたもん」
「ミーナ」
「泊めてあげてよ。外は寒いよ」
主人は娘の顔と、カイの肩のルカを交互に見た。長い沈黙のあとで、大きくため息をついた。
「……馬屋の隣の、一番奥の部屋だ。壁が厚い。他の客とは離れてる」
「助かります」
「火だけは、絶対に使うな」
「はい」
カイが頭を下げると、ミーナが嬉しそうに跳ねた。
* * *
夕食は、宿の台所の隅で食べさせてもらった。
固いパンに、豆と干し肉のスープ。素朴な味だったが温かかった。
ルカは、ミーナからもらった干し果物を、二つ目まで平らげていた。そして今、カイの膝の上で、うとうとしている。
「獣医さんは、どこへ行くんだい」
ダンが、杯を片手に近づいてきた。さっきよりも、顔つきが柔らかかった。
「ホロ村です。依頼の手紙が来まして」
「ホロ村か」
主人の手がぴたりと止まった。
「何か、ご存じですか」
「……あまり、いい噂を聞かん」
ダンは声を低くした。
「ここ一月ほど、あの村から来る行商人が減ってな。来る者に聞くと、魔獣が次々と倒れてるらしい。村の家畜の、半分は駄目になったとか」
「半分も」
「それで、管理局の兵が出入りしてる。そういうことだ」
カイは手を止めた。
「処分、ということでしょうか」
「たぶんな。病気の魔獣は、広がる前に始末する。それが昔からのやり方だ」
ダンはそこで言葉を切った。
「だが、あんたはさっき牛を助けた。……ホロ村の連中にも、同じことをしてやってくれ」
「できる限りのことをします」
カイはうなずいた。
部屋に戻ると、狭い寝床があった。窓は小さく、壁は確かに厚い。ルカが、寝床の上でくるりと丸くなる。
カイは、荷物から紙と筆を出した。板を膝に載せて、その上でゆっくりと書く。
『リナへ。今日はヤルン宿に着いた。牛の鼓脹症を診た。ルカが、宿の女の子に、初めて干し果物をもらった』
そこまで書いて少し笑った。
『ホロ村のことは、まだ分からない。だが、ただ事ではないらしい。明日、着いたらまた書く。リナも、診療所で迷ったら、すぐに人を呼ぶこと』
書き終えて、筆を置いた。ランプを落とす。暗がりの中で、ルカの寝息が聞こえた。
(魔獣が半分も)
天井を見つめながら、カイは考えていた。
感染症なのか。毒なのか。それとも別の何かか。
ここで考えても答えは出ない。診てから決めるしかなかった。
ふと、小さな温もりが胸に乗った。ルカがいつの間にか、カイの胸の上で丸くなっていた。
(おやすみ、ルカ)
窓の外で、北の風がびゅうと鳴った。




