↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界で獣医を開業しました ~魔獣は処分するものだと言われても、治せるなら治します~  作者: おはぎだんご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/81

診てから、決める

五日後の朝、ミオは自分の足で立った。


白い体がふるふると震えながら、四本の脚で床を踏みしめる。銀色がかった小さな角の芽が、朝日を受けてきらりと光った。


「立った」


レンデルが、両手で口を押さえた。その肩が小さく震えている。


「ミオ、おいで。ゆっくりでいい」


カイが手を差し出すと、ミオは一歩、また一歩と、おぼつかない足取りで近づいてきた。

そして、カイの手のひらに鼻先をちょんと押し当てた。


「よく頑張ったな」


三頭の回復は、少しずつ、確かなものになっていた。眠り蔓の抽出液は五日かけて完全に止めた。木炭とミレーヌの薬草。

毎日の日光浴。栄養のある餌。


風羽鳥のリンは、止まり木の上で自分の翼をぱたぱたと動かすようになった。まだ飛べないが、羽ばたきの力が戻りつつある。

影猫のヨルは、昼間に目を開けて、日向で大きく伸びをした。


「ヨルが、あくびをしました」


レンデルが、ひどく嬉しそうに報告した。目の下のくまは、まだ消えていない。

けれど、顔つきは初めて会った頃より、ずっと穏やかになっていた。


「記録は」


「つけております。体温、食欲、体重、毎日」


レンデルが、分厚い帳面を差し出した。丁寧な字が、びっしりと並んでいる。リナの板を思い出して、カイは小さく笑った。


「いい記録ですね。これからも、お願いします」


「はい」


レンデルは深く頭を下げた。


* * *


その日の午後、魔獣管理局の大会議室で、局の審議が開かれた。


円卓の中央にダリウス局長。両脇に局の幹部たち。グランツ審問官の顔もある。その正面にベルクハイム伯爵が、悠然と座っていた。


カイはヴェルナー、イゼルダと並んで証言席にいた。


「では、審議を始めます」


局長が静かに宣言した。


「議題は、伯爵家の保護施設における、三頭の幻獣の飼育の件。および、三頭の搬送中の死亡、とされていた記録の件。そして、先日の施設への襲撃の件です」


最初にイゼルダが、記録の確認結果を報告した。搬送中に死亡したとされた三頭の生存。それを記録した担当官の聴取結果。

飼料の納入記録。


続いてカイが、三頭の診察と治療の経過を報告した。薬の正体。症状。回復の過程。


「以上が、診察の結果です」


「ふむ」


局長がうなずいた。


「では、伯爵。ご意見を」


伯爵は、ゆっくりと立ち上がった。柔和な笑みを浮かべて、両手を広げる。


「いやはや、実にお恥ずかしい話だ。私は飼育の実務を、すべて飼育係に任せておりました。まさか、そのような薬が使われていようとは」


「伯爵は、ご存じなかったと」


「ええ。何も」


「ではこの書面は、どう説明されますか」


イゼルダが、一枚の紙を円卓の中央に置いた。


『三頭を、速やかに別邸へ移送せよ。余人に知られるな。 B』


鷲の印が赤く押されている。


「ゼルク、という男が持っていたものです。施設を襲撃した際に確保しました」


「ああ。それは」


伯爵は紙をちらりと見た。


「偽造でしょうな。私の名を騙って何者かが」


「印の照合を、行いました」


ヴェルナーが静かに言った。


「審問の際に提出された、黒鱗商会の帳簿の符号。そして、この指示書の印。鷲の形、押し方の癖、紋章の彫りの深さ。すべて一致します」


円卓の空気が冷たくなった。グランツが何か言いかけて口を閉じる。


伯爵はしばらく、紙を見つめていた。そして、ふっと小さく息をついた。


「……なるほど。詰めがお早い」


笑みは消えていなかった。


「よろしい。私は局に対して一つ提案をしたい」


「提案とは」


「当家の保護施設を、局に寄付いたします」


ざわめきが起きた。


「幻獣の飼育は、私の手に余るものでした。専門の機関に、お任せする方がよい。三頭の幻獣とともに、施設をすべて局に譲り渡す。それが、私の償いです」


「償い、ですか」


「ええ。私は収集家として、幻獣を愛するあまり、判断を誤ったのです。お恥ずかしい」


芝居がかった口調だった。それでも、局にとっては悪い提案ではなかった。施設と幻獣が、そのまま手に入る。

伯爵の責任追及は、後回しにできる。


ダリウス局長は、しばらく黙って考えていた。


「……受けましょう」


「局長!」


イゼルダが思わず声を上げた。


「責任の追及は別途、行います」


局長は静かに続けた。


「ただし、施設の管理権は本日付で局に移ります。三頭は、局の保護のもと、獣医官の判断で治療を続ける。そして伯爵、あなたへの聴取は、引き続き行わせていただきます」


局長は、続けた。


「なお、記録を書いた担当官は、本日付で職務を停止します。グランツ審問官。記録の経緯について、あなたにも聴取を行います」


グランツの顔から、血の気が引いた。


「……承知、いたしました」


伯爵は、それを横目に見て、肩をすくめた。


「結構。いつでも、お呼びください」


伯爵は優雅に一礼した。そして、立ち去る前にカイの前で足を止めた。


「獣医官殿」


「はい」


「貴殿は実に、面白い男だ」


穏やかな声だった。けれど、その奥に冷たいものが沈んでいた。


「また、お目にかかる日もあるだろう」


伯爵はそれだけ言って、ゆっくりと会議室を出ていった。扉が閉まる。ヴェルナーが、小さくつぶやいた。


「……逃げ切ったな」


「完全に、ではありません」


イゼルダがきっぱりと言った。


「この記録は、消えません。私が必ず、追います」


* * *


審議の後、カイは局長室に呼ばれた。


ダリウス局長は窓辺に立って、領都の街並みを眺めていた。


「カイ殿。二か月、とのことでしたが、まだ半分も経っておりませんな」


「はい」


「それでも、実績は十分に出ました。荷役の魔獣の診察。蹄の膿瘍。褥瘡。そして、幻獣三頭の救命」


局長は机の上の書類を指先で叩いた。


「もう一つ。こちらも、見ていただきたい」


差し出されたのは、分厚い巻物だった。広げると、名前がびっしりと連なっている。


「これは」


「荷役組合の署名です。親方のオルト殿が、持ってこられた。組合の者、全員。四十二名」


署名の一番上に、太い字でオルト、と書いてあった。


(オルトさん)


カイは胸が熱くなった。あの無愛想な親方が、一人ずつ頭を下げて回ったのだろう。


「約束の三つの条件はすべて満たされました」


局長は静かに言った。


「獣医官の席は、あなたのものです。ただし」


「ただし?」


「あなたは、アルム村の診療所を、離れたくないのでしょう」


カイは息をのんだ。局長は穏やかに笑っていた。


「ヴェルナー君から、聞いています。あなたの本音は村にある、と」


カイは少し黙って、それから、静かに口を開いた。


「……領都に来て分かりました」


「何がですか」


「この街にも診られる子が、たくさんいます。診てもらえずに、苦しんでいる子が。僕は、ここで診たい。でも」


カイは胸元の聴診器にそっと触れた。


「アルム村には、リナがいます。ミレーヌさんもドルンさんもガルドさんも。診療所は、僕の居場所です。どちらかを、選びたくない」


「欲張りですな」


「はい。欲張りです」


カイは少しだけ笑った。


「だから、お願いがあります。獣医官ではなく、巡回する獣医としてお受けしたい。村を拠点にして、領都と各地の村や町を回る。必要なところへ診に行く」


局長は目を細めた。


「巡回獣医官」


「はい」


「前例は、ありませんな」


「前例がないのは、診察室がなかったからです。席を作ってくださったのは局長です。もう一歩だけ、作っていただけませんか」


しばらくの沈黙があった。やがて、局長は声を上げて笑った。


「……面白い。実に面白い」


局長は机の引き出しから、一枚の書状を取り出した。


「巡回獣医官の任命書です。既に、準備しておりました」


「え」


「あなたなら、そう言うと思いましたよ」


局長は書状に署名をして、さらにもう一枚の紙を添えた。


「それから、これも。アルム村の診療所の、正式な認可状です。ずいぶん長い宿題でしたな」


カイは震える手で、二枚の紙を受け取った。


『アルム魔獣診療所 診療を認可する』


その文字がじわりとにじんだ。


「ありがとうございます。……診てから、決める。その通りに、決められました」


「結構。実に、結構」


局長室を出ると、廊下でヴェルナーとイゼルダが待っていた。


「決めたのか」


「はい。巡回獣医官としてお受けしました」


「そうか」


ヴェルナーは短く言った。けれど、その口元はほんの少しだけ上がっていた。


「……村に帰るのか」


「はい。でも、また来ます。何度でも」


「楽しみにしている」


イゼルダが静かに微笑んだ。


カイは診察室に戻って、窓辺に立った。夕日が領都の屋根を赤く染めている。


(診てから、決める)


胸元の聴診器を、そっと握りしめた。縁に刻まれた、小さな輪。その意味はまだ、分からない。

けれど、これから、少しずつ分かっていく気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。