回収係
窓の外は月のない夜だった。
ガルドは、音を立てずに立ち上がった。扉の隙間から、庭の様子をうかがう。
グレイは低く喉を鳴らして、鼻先を壁の方へ向けている。
「数は」
「五、六人。壁を越えてくる」
カイは息をのんだ。
客間にはカイとミレーヌ、ドルン。隣の部屋では、レンデルが三頭のそばについている。
廊下にはイゼルダと、灰色の制服の兵が四人。
「ミレーヌさん、ドルンさんはここに。三頭の部屋を守ってください」
「あんたは」
「僕も行きます」
「馬鹿言うんじゃないよ。あんたは、診る方だろう」
ミレーヌがきつく睨んだ。けれど、カイは首を振った。
「ミオたちを守るのも診る仕事です」
「……好きにしな」
廊下に出ると、イゼルダが、書類ではなく細身の剣を腰に提げていた。
「獣医官殿。来ましたね」
「はい。庭の壁から」
「兵を、裏口と正面に回します。あなたは、三頭の部屋の前に」
その時、庭から短い悲鳴が上がった。
ガルドとグレイが、先に飛び出したのだ。
「ぐおおっ!」
グレイの咆哮。人影が庭の暗がりでもつれ合う。兵が笛を吹いた。
カイは、三頭の部屋の前に立った。扉の向こうでレンデルが、息を荒くしているのが分かる。
(大丈夫。守る)
窓の外で、金属のぶつかる音がした。男の声。罵声。やがて、庭の一方から一つの影が悠々と近づいてきた。
「やあ。久しぶりだな、獣医さん」
月のない暗闇の中、窓の下に立っていたのは、見覚えのある顔だった。四十がらみの、小柄な男。丸い顔に人懐っこい笑み。
派手な色の上着。
「ゼルク」
「覚えていてくれたとは光栄だ」
商人の笑顔は変わらなかった。けれど、その目だけが冷たかった。
「あの時は、世話になったな。大事な商品を、取り戻しそこねた」
「ここは、局の保護観察下です。立ち入りは、許されません」
イゼルダが静かに言った。
「局の? ははあ。そうか」
ゼルクは肩をすくめた。
「だがね、こっちも仕事でね。ここの商品を、領外の別邸に移す、段取りになっている。伯爵のご指示だ」
「伯爵の」
「おっと。余計なことを言ったか」
ゼルクはくすくすと笑った。次の瞬間、短く、指笛を吹いた。
建物の反対側で、ガラスの割れる音が響いた。
「別動隊!」
兵の声が飛ぶ。イゼルダが剣を抜いて走った。カイは一瞬、迷った。
(ここを離れちゃいけない。でも)
その時だった。三頭の部屋の窓が、内側から、勢いよく破られた。
黒い布で顔を覆った男が一人、飛び込んでくる。手に大きな麻袋。
「やめてください!」
レンデルが叫んだ。男の前に、両腕を広げて立ちふさがる。
「この子たちに、触るな!」
「どけ!」
男が、レンデルの肩を突き飛ばした。レンデルは壁に背中を打ちつけてうめいた。それでも、立ち上がろうとする。
「レンデルさん!」
カイが駆け込んだ時には、男は、ミオの寝床に手を伸ばしていた。
「その子に触るな!」
カイは男の腕に飛びついた。振り払われて床に転がる。袋の口がミオに被さった。男が袋ごと、小さな体を抱え上げる。
「ミオ!」
男は割れた窓から、外へ飛び出した。
「待て!」
カイが追いかけようとしたその時。窓の外で獣の咆哮が響いた。
グレイだった。
黒い影が闇を切って走る。庭を横切って、壁を駆け上がる男の背中に飛びかかった。
「ぎゃあっ!」
男が袋を放り投げた。ガルドが、それを両手で受け止める。
「受け取った!」
「ガルドさん、ミオは!」
「息がある!」
袋を腕に抱えたまま、ガルドは叫んだ。その背後でグレイが、男の足に噛みついて離さない。
「ゼルクは」
「あっちだ!」
兵の声が庭の隅から響く。ゼルクは、壁に向かって走っていた。身軽に石の隙間に足をかけて上り始める。
だが、その足首を何かがつかんだ。
「逃がすかよ」
低い声。ガルドが袋をカイに預けて、素早く走り出していた。ゼルクの足を引きずり下ろす。
「くそっ、放せ!」
「放すわけがねえだろう」
ガルドはゼルクの背中に膝を押しつけて、腕をひねり上げた。
「ぐ、あ!」
「確保!」
兵が縄を持って駆けつけた。ゼルクは地面に押しつけられて、悪態をつき続けた。
「覚えていろ。あの方はお前たちを決して許さない」
「黙れ」
ガルドが低く言って、縄をきつく締めた。
カイは、袋をそっと地面に置いた。口を開けると、中で、白い小さな体が、くたりと横たわっていた。
「ミオ」
呼びかけても反応がない。手を当てると冷たかった。
(体温が下がってる)
イゼルダが、ゼルクの懐を探っていた。やがて、一枚の紙を取り出す。
「これは」
月明かりの下で紙を広げた。短い文章。署名。そして、印。
『三頭を、速やかに別邸へ移送せよ。余人に知られるな。 B』
その横に鷲の形の印が、赤く押されていた。
「鷲の印」
イゼルダの声が低く震えた。
「審問の帳簿にあったあの符号と同じです。伯爵の、直筆の指示書」
兵たちが顔を見合わせた。ヴェルナーが、いつの間にか庭の入口に立っていた。
「……決定的だな」
けれど、カイの耳には、その声は遠かった。腕の中の小さな体が、さっきよりさらに軽くなっている。
呼吸が、浅い。胸がほとんど動いていない。
「ミレーヌさん!」
カイの叫びが夜の庭に響いた。
「ミオが危ない!」




