仲間が来た
三日後の昼、診察室の扉が、勢いよく開いた。
「ずいぶん辛気臭い顔をしてるじゃないか」
入口に立っていたのは、腰の曲がった老婆だった。灰色の髪をきっちりまとめて、片手に薬草の籠を提げている。
「……ミレーヌさん」
カイは、持っていた布を取り落としそうになった。
その後ろから、大きな影が二つ入ってきた。革の包みを抱えたドルンと、グレイを連れたガルド。三人とも、旅の埃にまみれている。
「領都は、においがきついな」
ガルドが顔をしかめて言った。
「道中、無事でしたか」
「ああ。何事もなかった」
「ドルンさんも」
ドルンは、無言で包みを作業台に置いた。開くと、見慣れた器具が整然と収まっている。鉗子、鋏、金槌、やすり。
それに見たことのない、細長い器具が何本か。
「……新しく、作った。幻獣は体が小さい」
「ありがとうございます」
カイは、胸の奥が熱くなるのを感じた。たった数日、一人で戦っていただけなのに、仲間の顔を見ただけで、肩の力が抜けていく。
「リナは」
「あの子は、村を守ってるよ」
ミレーヌは、ふんと鼻を鳴らした。
「役人の前で啖呵を切って、仔牛を助けた。あんたが育てた弟子は、大したもんさ。わしが何も言わなくても、迷った時に、ちゃんと人を呼んだ」
「そうですか」
「あの子の記録の板も預かってきた」
ミレーヌが籠の底から、一枚の板を出した。炭で、びっしりと書き込まれている。ホープの症状、処置の量、経過の観察。
几帳面な字だった。
カイはその板を、そっと受け取った。
(リナ)
遠い村で、リナが筆を握って書いている姿が目に浮かんだ。
「さて」
ミレーヌは手を叩いた。
「感傷は後だよ。その子たちは、どこにいる」
「ご案内します」
* * *
伯爵の施設は先日と変わらず、白く美しかった。
違うのは、門のところに、灰色の制服の兵が立っていたことだ。イゼルダが、局長の署名入りの書類を手に迎えてくれた。
「暫定的に、三頭は局の保護観察下に置かれました。施設への出入りと、治療の指示は、獣医官と担当官が管理します」
「ありがとうございます、イゼルダ殿」
「礼は結果で」
イゼルダは、ミレーヌをちらりと見た。
「こちらが、薬草師の方ですね」
「ミレーヌだよ。この子の面倒を見てやってる」
ミレーヌは胸を張って答えた。イゼルダが、わずかに口元を緩めたのが分かった。
三頭の部屋では、レンデルが待っていた。顔色は先日よりも悪かった。目の下に深いくまがある。
「獣医官殿。……あの日から、一睡もできませんでした」
「レンデルさん」
「減薬の指示は、守っております。朝と夕方に、少しずつ量を減らしました。ですが、三頭とも、夜に、ひどく落ち着かなくなって」
カイは、ミオの寝床に歩み寄った。月光鹿の子は小さく震えながら、浅い息をしていた。薬が減って、体が戸惑っているのだ。
「離脱の症状です。体が、薬のない状態に慣れていないんです。想定していた範囲です」
「ミレーヌさん」
「分かってるよ」
ミレーヌは、ミオの前に膝をついた。老婆の指が、小さな体のあちこちに慎重に触れていく。目。口。右の肋骨の下。
「……ふん。ひどい肝だね」
「やはり、そうですか」
「ああ。でも、まだ間に合う」
ミレーヌは懐から、乾いた草の束を取り出した。
「肝を守る草だよ。この前の毒の時にも使ったやつさ。幻獣に効くかは少量から試す。それと、炭だ」
「木炭は、ドルンさんが」
ドルンが無言で袋を開けた。砕いた木炭が、黒い粉になって詰まっている。
「毒を吸わせる。水に溶いて、少しずつ与える。同時に、眠り蔓の抽出液は、毎日、五分の一ずつ減らしていく」
カイが治療の手順を、紙に書き出した。
一日目から五日目まで、段階的な減薬。木炭と薬草の投与。体温の維持。日光浴。栄養のある餌。
「三頭とも、同じ手順ですか」
「ミオが一番重い。ヨルは軽いが、体が弱っている。リンは翼の力を戻すのに、時間がかかるだろう」
三人で、それぞれの役割を決めた。ミレーヌは薬の調合、ドルンは器具と炭の準備、カイは全体の診察と判断。
ガルドとグレイは、扉の外で見張り。
その作業を、レンデルが、部屋の隅からじっと見ていた。
「……あの」
「何だい」
ミレーヌが、手を止めずに答えた。
「眠り蔓とは、そんなに恐ろしいものなのですか」
ミレーヌはようやく手を止めて、レンデルを振り返った。
「あんたが、何も知らずに使い続けたのは分かった。だから、教えてあげよう」
老婆は籠から小さな袋を取り出して、中身を掌に乗せた。枯れて茶色くなった、細い蔓の切れ端。
「これが、枯れた眠り蔓だ。わしの村の川に、これが大量に流れ込んだことがある。魔獣が十頭近く、ふらふらになって、水辺で倒れてた。三頭は、助からなかった」
レンデルの顔が青ざめた。
「毒になるのですか」
「枯れて、水に溶ければね。あんたが使ってたのは、それを煮詰めた濃い汁だ。もっと悪い」
ミレーヌは静かに続けた。
「ただね、あんたは知らなかった。知らずに続けた罪と、知っていて続ける罪は、違う。そして、あんたは今、知った」
レンデルは、がくりと膝をついた。
「私は……この子たちを、傷つけていたのですか」
声が震えていた。
「はい。結果として、そうなりました」
カイは静かに答えた。
「でも、これから、直せます。レンデルさん。あなたの力が、必要です」
「私の」
「世話を、続けてください。毎日、この子たちに、一番近いところにいたのはあなたです。薬を減らす手順を守って、体温と食欲を記録してほしい」
レンデルは顔を上げた。涙が頬を伝っていた。
「……私に、できるでしょうか」
「できます」
カイはまっすぐに言った。
「眠らせることが優しさだと、あなたは言いました。今度は、起こしてあげましょう。起きて歩いて、飛べるように」
レンデルは深く、深く頭を下げた。
「……お願いします。どうか、この子たちを、助けてください」
その背中が小さく震えていた。
その夜、カイたちは施設の客間に泊まり込むことにした。減薬の最初の夜が、一番危ないからだ。
遅い夕食はミレーヌの持ってきた干し肉と、堅いパンだった。ガルドがグレイの頭を撫でながら、黙って食べていた。
「ごちそうさまでした」
カイが言いかけた、その時だった。
扉の外で、グレイが低く唸った。
ガルドの手がぴたりと止まる。
「……来たな」
その声は静かだったが、鋼のように硬かった。




