脅し
局の会議室は、広い円卓が置かれた石造りの部屋だった。
ダリウス局長を中心に、局の幹部が七、八人。その中に、グランツ審問官の顔もあった。
カイはヴェルナー、イゼルダと並んで、末席に座っていた。
「では、獣医官殿から、診察の報告を」
局長に促されて、カイは立ち上がった。
「伯爵の施設で保護されている、三頭の幻獣を診察しました」
月光鹿の子、風羽鳥、影猫。症状。肝臓の腫れ、体重の減少、反応の鈍さ。そして、毎日与えられていた薬の正体。
「枯れた眠り蔓の抽出液です。長期の投与により、肝臓が傷んでいると考えます。現時点では、命に関わる状態ではありませんが、このままでは数か月で、取り返しがつかなくなります」
円卓がざわついた。
続いて、イゼルダが資料を広げた。
「記録の確認結果を報告します。この三頭は、局の記録では、保護の翌日、搬送中に死亡とされています。しかし、実際は生存しています。記録を作成した担当官の聴取を、至急お願いしたい」
「待ちたまえ」
グランツが手を挙げた。
「お話は分かった。だが、重要な点を整理させていただきたい」
審問官は、ゆっくりと立ち上がった。
「まず、記録の件。搬送中の死亡の記録が誤りだったとして、それは事務上の誤記に過ぎない。幻獣は現にこうして、保護されている。むしろ伯爵家は、局の依頼を受けて、貴重な個体を保護し続けてきた功労者だ」
「功労者」
イゼルダの声が低くなった。
「次に、診断の件。眠り蔓の抽出液は、古くからの飼育書に載っている、正当な鎮静法だ。それを毒と断じるのは、新設の役職の、一獣医官の意見にすぎない」
「一獣医官の意見かどうかは、お調べいただければ分かります」
カイは静かに言った。
「肝の腫れ、体重の減少。三頭とも、同じ経過をたどっています。薬の影響以外に、説明がつきません」
「そして、何より」
グランツが机を指で叩いた。
「そもそも獣医官には、私的な施設の飼育に口を出す権限があるのか。管理令には、そのような規定はない」
会議室がしんと静まった。
「幻獣保護法に基づく、保護個体の確認権限は私にあります」
イゼルダがきっぱりと言った。
「記録に齟齬がある場合、施設に立ち入り、個体の状態を確認する。それが担当官の職務です。獣医官はその確認の補助として、診察を行いました」
「補助、ね」
「付記も、根拠になります。処分の前に診察を経るという規則は、保護の途中でも、診察が必要な場合を含みます」
ヴェルナーが淡々と補った。
局長は静かに話を聞いていた。やがて、両手を組んでゆっくりと口を開いた。
「議論は、出尽くしたようですな」
局長は全員の顔を見渡した。
「三頭の幻獣の治療は、続けるべきです。これは局の責任として、担当官立会いの下、獣医官に任せます。ただし伯爵家の施設の管理権と、記録の誤りの責任については、改めて、関係者の聴取を行ったうえで決めます」
先送りだった。けれど、治療を止めさせないという一線は守られた。カイは小さく息を吐いた。
その時、会議室の扉がそっと開いた。局員が一人、顔を出して、局長に耳打ちをする。局長の表情がわずかに曇った。
「……何だと」
「どうかされましたか」
「獣医官殿。別の件で、お伝えしなければならないことがあります」
局長は、手元に渡された一枚の紙に目を落とした。
「アルム村の診療所に対して、地方の管理官から、通達が出されたそうです」
カイの背筋が冷たくなった。
「通達、ですか」
「内容はこうです。『魔獣管理令には、魔獣の診療を認める規定はない。したがって、アルム村の診療所による診察は、無認可の診療にあたり、直ちに診察を停止するよう命ずる』」
円卓の向こうで、グランツが、わずかに唇の端を上げたのが見えた。
* * *
会議が終わった後、カイは廊下で、ヴェルナーに詰め寄っていた。
「どういうことですか。村の診療所は、管理令の想定する範囲の外だと、あなた自身が」
「……分かっている」
ヴェルナーは苦い顔で言った。
「私は、診療所を正式に認可する権限は持っていない。以前にも言った通りだ。認可の件は、局長の権限になる。その手続きはまだ、済んでいなかった」
「穴を、突かれたということですね」
「そうだ。そして、通達を出した地方の管理官は伯爵の縁戚だ」
カイは拳を握りしめた。
(伯爵の報復は僕ではなく、村に)
「今から、村へ戻ります」
「待て、カイ」
「リナが一人で」
「戻れば君は、三頭を見捨てることになる」
ヴェルナーの声が鋭くなった。
「減薬は、始めたばかりだ。君がいなくなれば、三頭は元の薬に戻される。そうなれば、助からない」
カイは言葉に詰まった。
廊下の窓から、午後の光が差している。遠くで鐘の音が響いていた。
「村には、頼れる者がいるはずだ。ミレーヌ、ガルド、ドルン」
「……はい。それに、リナがいます」
「リナを、信じられないのか」
カイは、ゆっくりと首を横に振った。
「信じています。ただ、一人で背負わせたくないだけです」
「それなら、手紙を書くことだ」
ヴェルナーは静かに言った。
「君が、彼女に教えたことだろう。迷ったら、呼べ、と」
カイははっとした。それから、苦笑してうなずいた。
「……その通りですね。弟子に言ったことを、自分ができないのは情けない」
「情けなくはない」
ヴェルナーは、わずかに視線を逸らして言った。
「迷うのは人間だ」
その夜、診察室で、カイは遅くまで筆を握っていた。リナへの手紙。村の様子を尋ね、役人が来ることを知らせる言葉。
そして、伯爵の施設の件でミレーヌに送る手紙の続き。
(リナ。一人で背負うな。必ず、誰かを呼べ)
そこまで書いた時、診察室の扉が強く叩かれた。
「獣医官殿。ご報告です」
息を切らした局員が、通達の写しを差し出した。
「地方管理官の役人が、今朝、領都を発ったとのことです。通達を携えて、アルム村へ向かっています。早ければ、明後日には着くと」
「明後日」
カイは、窓の外の暗い空を見上げた。早馬なら、役人より半日は早く着ける。
「この手紙を、今すぐ早馬で」
「承知いたしました」
封をして、局員に託す。蝋が冷えるのを待つ時間さえ惜しかった。
(間に合ってくれ)
そして、願った。
(リナ。君は一人じゃない)




