金の檻
伯爵の施設は美しかった。
白い石の回廊に、磨き上げられた大理石の床。高い窓から差し込む光が、花の模様のタイルを照らしている。
壁際には、見事な花瓶に生けられた花。誰が見ても、手入れの行き届いた屋敷だった。
「当家の保護館です。局のご指導の下、貴重な幻獣を保護しております」
伯爵は胸を張って先に歩いた。後ろにレンデルが、静かに控えている。カイはイゼルダ、二人の兵とともに、その後に続いた。
回廊の突き当たりで、重い扉が開いた。
「こちらです」
広い部屋だった。天井が高く、大きなガラス窓から日光が降り注いでいる。
床には柔らかな敷物が敷かれ、部屋の三か所に、小さな寝床が置かれていた。
その一つに、白い毛並みの小さな生き物が、横たわっていた。
(月光鹿の、子)
幻獣の一種で、満月の夜に毛が淡く光るという。まだ生まれて間もない子らしい。
銀色がかった小さな角の芽が、額に二つ並んでいる。毛艶は、白絹のように美しかった。
その隣の止まり木に、鳥が一羽。細長い風切り羽が、空の色を透かすように薄く光っている。風羽鳥だ。
ところが、止まり木の上で、じっと動かない。
そして、奥の寝床には、黒い毛並みの猫に似た生き物が、丸くなっていた。影猫。耳の先が、時々ゆっくりと動くだけだった。
「ご覧ください。みな、元気でございましょう」
レンデルが誇らしげに言った。
「ミオ、リン、ヨル。それぞれ、そう呼んでおります。手のかからない、おとなしい子たちですよ」
カイは部屋の中を見渡した。清潔な餌皿。磨かれた水飲み。どれも申し分ない。けれど。
(静かすぎる)
三頭は誰も、こちらを見なかった。人が入ってきても、顔を上げない。鳥は止まり木の上で動かず、猫は耳が少し動いたきりだった。
「診察をさせていただきます。まず、ミオから」
「どうぞ」
伯爵がにこやかに手を広げた。
カイはミオの寝床の前に膝をついて、手の甲を、そっと差し出した。月光鹿の子はまぶたを半分開けたまま、微動だにしなかった。
「ミオ。少し触るよ」
反応がない。背中に手を当てると、ふわふわとした毛の感触の下に、骨の硬さが指に触れた。
(毛艶はいいのに痩せている)
肋骨が一本一本、指で数えられるほどだった。お腹をそっと押す。右の肋骨の下に、わずかな張りがあった。
「食欲は?」
「ございます。毎日、決まった量を、きちんと召し上がりますよ」
レンデルが答えた。
「お食事の時間は?」
「朝と夕方に。私どもが、手ずから差し上げております」
(手ずから)
「ちょうど、お食事の時間でございます。ご覧になりますか」
レンデルが、小さな台車を押してきた。皿に温めた乳と刻んだ果実。それから、小瓶が一つ。
レンデルは慣れた手つきで、小瓶の液体を数滴、乳に落とした。
「それは」
「食欲を整える、いつもの薬でございます。この子たちは、神経が繊細ですので」
深い緑がかった液体が、白い乳の中にゆっくりと広がって消えていく。青い草のような匂いが、ふと鼻をかすめた。
(何かの、草の匂い)
カイはその匂いを頭の隅に留めて、ミオの瞳をのぞき込んだ。黒目が大きく開いている。部屋は十分に明るい。
それなのに、光に対する反応が極端に鈍かった。指を目の前で動かしても、まぶたが下りるまで時間がかかった。
次に、口の中。唇をめくると、歯茎の色がやや白っぽい。舌の根元に、ねばついた唾液が絡んでいる。
「……よだれが多いですね」
「そうでしょうか。気づきませんでした」
「いつもこうですか」
「ええ。体質かと」
レンデルは柔らかく答えた。けれど、その指先が手袋の縁をそっと直した。
聴診器を取り出して、ミオの胸に当てる。
とく、とく、とく。
間隔が、遅い。一つひとつが、静かに水の底から響いてくるようだった。
(心拍が遅い。眠っているみたいに)
続けて、リン。鳥は止まり木の上で首を羽の中に埋めたまま動かなかった。指先で足をそっと握ると、握り返す力が弱い。
翼を広げさせようとしても、力なく、だらりと垂れた。
(風羽鳥は、風に乗る鳥だ。翼が動かなくなったら、生きていけない)
最後に、ヨル。黒猫に似た幻獣は、目を閉じたまま、どんなに触れても目覚めなかった。体は驚くほど軽かった。
三頭とも、食べて眠って、静かに暮らしている。そう見える。
けれど、体の奥の部分が少しずつ衰えているのが、手のひらに伝わってきた。
「獣医官殿」
伯爵が穏やかに声をかけた。
「いかがです。どの子も、健康でございましょう。レンデルの飼育は、実に行き届いておりまして」
「……伯爵」
カイは立ち上がって、まっすぐに伯爵を見た。
「この子たちは、元気ではありません」
「ほう」
「静かなのではなく、静かにさせられています。反応が鈍い。体温が低い。瞳孔の動きが遅い。そして、食べているのに痩せていく」
部屋の空気が、ぴんと張りつめた。
「この子たちは、眠らされています」
伯爵の笑みが、ほんの一瞬、固まった。
審問の日、帳簿が示された時と同じ顔だった。けれど、すぐにその笑みは元に戻った。
「眠らされている、とは。随分と、手厳しいお言葉だ」
「根拠は、これから説明します」
カイは診察鞄を開けた。手の中の聴診器が、静かに冷たかった。後ろでイゼルダが書類を握りしめて、じっとこちらを見ている。
レンデルの顔から、血の気が少しだけ引いていた。




