招待状
赤い封蝋の手紙が届いたのは、診察室に常連が増えてきた頃だった。
荷役組合の面々は、いつの間にか、診察室の常連になっていた。
ゴンはすっかり元気になって、新しい鞍をつけて街道に出ている。
ナギの蹄は傷口が閉じて、御者のペッポが毎朝、塩水で足を洗いに来る。
診察室の隅には、オルトが持ち込んだ古い長椅子まで置かれていた。
「先生、今日も茶を持ってきてやったぞ」
「ありがとうございます、親方」
「礼はいい。……ところで、局の役人から聞いたんだが、あんたが獣医官ってのになるには、現場の署名がいるそうだな」
「ええ。条件の一つです」
オルトは、湯気の立つ茶碗を作業台に置いて、ぶっきらぼうに言った。
「うちの組合の連中には、俺から話しておく。あんたの役に立つなら、名前くらい、いくらでも貸してやる」
「親方」
「勘違いするな。ゴンが、あんたのおかげで、まだ荷を引いてるからだ。借りは返す」
カイは、胸の奥が温かくなるのを感じた。領都に来て、まだ数日。それでも、少しずつ、根を張り始めている気がした。
その封書が届いたのは、この日の夕方、診察を終えた頃だった。
運んできたのは、深い青の制服の従者だった。赤い封蝋に豪華な紋章。見覚えがある。
審問の前夜に届いた手紙と、同じものだった。
「ベルクハイム伯爵様より、獣医官殿へ。お返事は、後ほど局を通じてで構いません」
従者は無表情に頭を下げて去っていった。カイは封を切った。美しい便箋が、中に収まっている。
『拝啓 魔獣管理局 獣医官ご試験中のカイ殿
先日の審問の際には、当家の力不足ゆえ、ご迷惑をおかけしました。
その償いの意味も込めて、一つお願い申し上げます。
当家の施設には、局の指導のもと、保護している幻獣が数頭おります。
健康診断を、貴殿に、局の正式な依頼としてお願いしたく存じます。
ベルクハイム』
読み終えて、カイは手紙を作業台に置いた。短い文面なのに、読むほどに胸の奥が冷えていく。
「罠だ」
翌朝、局の小さな会議室で、ヴェルナーは即座に言った。机の上に、同じ手紙が広げてある。
「診察の場で、君に落ち度を作らせる。獣医官の席を潰すために。そうでなければ、あの伯爵が、君に頭を下げるはずがない」
「そうでしょうね」
カイは静かにうなずいた。
「それでも、診たいと思っています」
「カイ」
「記録の上では死んだはずの三頭です。伯爵の施設にいるなら、生きている。生きているなら、診たいんです」
ヴェルナーは、眉を寄せて黙った。そこへ、イゼルダが口を開いた。
「私も同行します」
「イゼルダ殿」
「幻獣担当官には、保護個体の記録に齟齬がある場合、施設に立ち入って確認する権限があります。依頼を受けての診察ならば、なおさら自然に入れるでしょう」
「局長は」
「話は通しました。『診察は獣医官の判断に任せる。ただし、記録の確認は、必ず担当官が行うこと』と」
イゼルダは淡々と続けた。
「診察に来た獣医官が罠にかけられるなら、担当官が目撃者になります。向こうも、簡単には動けません」
ヴェルナーは、しばらく腕を組んで考えていた。やがて、重く息を吐いた。
「……護衛の兵を二人つける。馬車の手配も、こちらでする」
「ありがとうございます、ヴェルナーさん」
「礼はいい。……無理だと思ったら、すぐに引け。君が倒れては、意味がない」
その言葉に、カイは小さく笑った。
「はい。呼ぶことも、弱さじゃありませんから」
「……ああ」
ヴェルナーは、わずかに視線を逸らした。
* * *
診察の日の朝。
カイは診察鞄の中身を、一つずつ確かめていた。鉗子、鋏、細い針、小さな刃物、やすり。聴診器。
それから、ミレーヌが持たせてくれた薬草の袋。
首から下げた革のケースをそっと開ける。母竜の鱗は、窓からの光を受けて、淡い金色にきらめいていた。温かい。
(ルカは今頃、どこを飛んでいるんだろう)
ふと、そんなことを思う。あの小さな竜は母竜のそばで、どんな空を見ているのか。
(診てから、決める)
ケースを閉じて、胸元にしまった。
扉を開けると、ヴェルナーが馬車の前に立っていた。隣にイゼルダと、灰色の制服の兵が二人。
「出発だ」
馬車は領都の北に向かって、石畳の道を走っていった。大通りを抜けるにつれて、街の景色が変わっていく。
背の高い石造りの建物が、低い庭付きの屋敷に変わる。道は広く、整備され、人通りは少なくなっていった。
「この辺りは、貴族の屋敷が並ぶ区画です」
イゼルダが窓の外を指した。
「伯爵の屋敷は、一番奥の丘の上にあります」
やがて、馬車は坂を上り始めた。高い塀が、道の両側にそびえている。塀の上には、鉄の飾りがついていた。
蔦が絡まった、立派な門が見えてくる。
「ここです」
門の前で馬車が止まった。大きな鉄の扉が、音もなくゆっくりと開いていく。その向こうに、緑の庭と、白い石造りの館が見えた。
カイは、診察鞄を膝の上に抱え直した。
馬車が門をくぐる。
石畳の先に、一人の男が立っていた。深紅の上着に金の刺繍。柔和な笑みを浮かべて、両手を広げている。
「ようこそ、獣医官殿」
ベルクハイム伯爵だった。
「お待ちしておりましたよ。さあ、どうぞ。当家の自慢の施設を、ぜひご覧に入れましょう」
その目は笑っていなかった。




