↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界で獣医を開業しました ~魔獣は処分するものだと言われても、治せるなら治します~  作者: おはぎだんご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/78

返事の前に

朝の診療所は、いつもより静かだった。ソラも、まだ寝床で丸くなっている。


カイは作業台の前に座って、一通の手紙を広げていた。もう何度読み返したか分からない。

ヴェルナーの几帳面な字で、領都の魔獣管理局に「獣医官」の職が設けられたこと、国として自分を招きたいと考えていることが書かれている。


返事は急がない、と手紙には書いてあった。けれど、あれから二週間が過ぎている。


「おはようございます、カイさん」


リナが扉を開けて入ってきた。首には、ドルンが作った木製の聴診器が下がっている。作業台の手紙をちらりと見て小さく言った。


「まだ、返事を書いてないんですね」


「……分かるかな」


「その手紙、折り目がもう柔らかくなってますから」


カイは苦笑した。観察眼の鋭い弟子を持つと、隠し事ができない。


「領都に行けば、診られる子が増えると思う。あの街の通りで見た牛や馬を、僕は忘れられない。診てやりたいと思ったのに、あの時は何もできなかった」


「はい」


「でも、ここにも診る子がいる。リナも、村の皆もいる。どちらかを選ぶ話にしたくないんだ」


リナは少し考えてから言った。


「カイさんは、いつも言ってますよね。診てから決める、って」


「うん」


「じゃあ、領都も診てから決めたらいいんじゃないですか」


カイは目を瞬いた。


(診てから、決める)


自分で言い続けてきた言葉なのに、自分のことには使っていなかった。


「……リナには、かなわないな」


「えへへ。弟子ですから」


リナは照れたように笑った。その笑顔が、ほんの少しだけ無理をしているように見えたのは、気のせいではなかったかもしれない。


* * *


その夜、診療所に仲間が集まった。ミレーヌ、ドルン、ハンス、トム。ガルドはグレイを連れて、扉のそばに立っている。

カイは手紙のことを順番に話した。


話し終えると、ハンスが腕を組んで唸った。


「獣医官か。国のお墨付きってことだろう。すげえじゃねえか、先生」


「でも、先生がいなくなっちゃうの?」


トムが不安そうに見上げてきた。


「いなくならないよ。二か月だけ領都に行って、様子を見てくる。それから、返事をするつもりだ」


「二か月……」


誰もすぐには何も言わなかった。やがて、ミレーヌがふんと鼻を鳴らした。


「行ってきな」


「ミレーヌさん」


「診てから決めるんだろう。あんたの口癖じゃないか。ここで悩んでても、答えは出やしないよ」


老婆はぶっきらぼうに続けた。


「それにね、あんたがいない間のことは、わしらが何とかする。この村は、もうあんたが来る前の村じゃない」


ガルドが低い声で言った。


「領都には、あの伯爵がいる。気をつけろ、カイ殿」


「分かっています」


覚えておこう、と言い残したあの冷たい声を思い出す。カイはうなずいた。


その時、ドルンが無言で立ち上がった。奥から大きな革の包みを持ってきて作業台に置く。


「……これを」


「ドルンさん?」


開くと、使い込んだような色の革の診察鞄が入っていた。中には鉗子、鋏、細い針、小さな刃物がきちんと収まっている。

どれも、これまでにドルンが作ってくれた道具だ。


「旅先で道具が足りなくなるだろう」


ドルンはそっぽを向いた。耳が、赤い。


「持っていけ」


「……ありがとうございます」


カイは鞄を胸に抱いた。重さ以上のものが、そこに詰まっていた。


「リナ」


「はい」


カイは板を一枚手に取って、炭でゆっくりと書いていった。


ここから先は一人で診ない。

・熱が高くて、息が苦しそうな子

・血が止まらない子

・初めて見る症状

・迷った時


リナが板をのぞき込んだ。


「迷った時、も入ってるんですか」


「一番大事なところだよ」


カイはリナを見た。


「呼ぶことは、弱さじゃない。僕が倒れた時、みんなが教えてくれた。ミレーヌさんを呼んでもいいし、手紙で僕に聞いてもいい。迷ったら、必ず誰かを呼ぶ。約束してほしい」


リナは板を両手で受け取った。


「……約束します。毎週、診察の記録を手紙に書いて送ります。わたし、診療所を守ります」


声は震えていた。けれど、目はまっすぐだった。


足元でソラがきゃんと鳴いた。リナの足にぴたりと寄り添う。


* * *


出発の朝はよく晴れていた。


村の入口に、村中の人が見送りに集まっていた。ハンスが大きな手でカイの背中を叩き、トムが「カイ先生、早く帰ってきてね!」と叫ぶ。ミレーヌは薬草を詰めた小さな袋を、押しつけるように渡した。


「使う前に、ちゃんと確かめるんだよ」


「はい。必ず」


トムが、丸めた紙を差し出してきた。開いてみると、下手な絵が描いてある。ソラとモコ、それに診療所。

その下に、大きな字でこう書いてあった。


「かいせんせい がんばれ」


「ぼくが描いたんだ。向こうでさみしくなったら見てね」


「……ありがとう、トム君。大事にするよ」


最後にリナが、少し離れた場所に立っていた。何か言おうとして言えずにいる。カイはリナの前に立った。


「診療所を頼むよ」


「はい。……いってらっしゃい、カイさん」


リナは泣き笑いの顔で手を振った。


馬車が動き出す。村が遠ざかっていく。窓の外で、リナとソラがいつまでも見送っていた。


カイは首から、薄い革のケースを取り出した。これもドルンが、鞄と一緒に作ってくれたものだ。

中には、母竜が贈ってくれた淡い金色の鱗が入っている。


窓から差し込む日差しを受けて、鱗はほんのりと温かかった。


(診てから、決める)


聴診器を握りしめる。二か月後、自分はどんな顔で、この村に戻ってくるのだろう。


二日後の夕方、馬車は領都の城門をくぐった。出迎えたのは、黒い外套のヴェルナーだった。


「来たか」


「お世話になります、ヴェルナーさん」


「……来てくれて、助かる」


ヴェルナーは短く言って、先に立って歩き出した。案内されたのは、魔獣管理局の裏手にある、古い石造りの建物だった。

扉の上に、色褪せた馬の飾りがついている。


「診察室はここだ」


「ここ、ですか」


「元は局の馬屋だ。広くはない。急ごしらえですまないが、作業台と診察台は運び込んである」


ヴェルナーは少し言いにくそうに言った。


カイは建物の中を見回した。窓から夕日が斜めに差し込んでいる。使い込まれた木の柱と藁の匂い。


(村の診療所を、初めて開けた日に似ている)


「十分です」


カイは笑った。


「ここで診られるなら、十分です」


ヴェルナーはわずかに肩の力を抜いた。


「早速で悪いが、最初の患者だ」


扉の向こうから、重たい足音が聞こえてくる。ごとり、ごとり、と。大きな牛が、男に引かれて入口に現れた。


首の周りの皮膚が、赤く擦れて腫れている。

あの日、領都の通りで見かけた牛と同じ傷だった。


(診たい)


あの日はそう思って、何もできなかった。


(今度は、診られる)


カイは診察鞄を、作業台の上に置いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。