効く薬、効かない薬
診療所を開いて四日が経った。
「カイさん、ソラ、今朝はごはんを全部食べました!」
リナが小屋に駆け込んでくるなり言った。布の上のソラが尻尾をぱたぱた振っている。
「それはよかった。脚の腫れもだいぶ引いてるね」
添え木の位置を確かめる。ずれはない。指先で、そっと周りを押さえると、ソラはくすぐったそうに身をよじった。
「もう少しの辛抱だよ。あと二週間は安静にな」
「ちゃんと見張ってます! 走り回らないようにずっと!」
リナが胸を張る。
その様子に、カイは小さく笑った。
(この子の観察眼は本物だな)
毎朝、ソラの食欲、フンの様子、脚の腫れをリナは細かく報告してくれる。
教えたわけではない。自分から気づいて、覚えていったのだ。
コン、コン。
扉が鳴った。
入ってきたのは無口な大男だった。
「……できた」
ドルンが布に包んだ何かを作業台に置いた。開くと細長い鉄の道具が二本光っていた。
先端が、きれいに噛み合うように作られている。手に取ると、ほどよい重みがあった。握ってみる。ぱちんと澄んだ音がした。
「すごい。ほとんど図の通りだ」
「細いところは苦労した」
ドルンはそっぽを向いたまま言った。
耳が少し赤い。
「何度もやり直した。先が合わなくてな」
「ありがとうございます。これで、できることが増えます」
「……また、何か要るなら、言え」
それだけ言って、のしのしと帰っていった。
「ドルンさん、嬉しそうでしたね」
「そうだね」
(診療所が、少しずつ形になってきた)
窓から、朝の光が差し込んでいる。作業台に並べた道具が、きらりと光った。そう思った時だった。
「たすけてください!」
入口から、少年が飛び込んできた。
* * *
十歳くらいの男の子だった。腕の中に、茶色い毛玉のようなものを抱えている。
ホーンラビット。
猫ほどの大きさの、額に小さな角のある、ウサギ型の魔獣だ。
「ぼくのモコがきのうから、何も食べないんです! 動かなくなっちゃって……!」
少年の目に涙が溜まっている。走ってきたのか、息が荒い。足は泥だらけだった。後ろから、村人が数人ぞろぞろとついてきていた。
「トムの魔獣か。そりゃ、もう駄目だろう」
「食わなくなったら、終わりだ」
「早く、楽にしてやったほうが……」
「やめてよ!」
トムが叫んだ。
カイは静かに口を開いた。
「まず、診せてもらってもいいかな。僕はカイ。この診療所で、魔獣を診ている」
「しんりょう、じょ……?」
「そう。診てから、決める。それが、ここのやり方なんだ」
トムはぐっと唇を噛んだ。そしてモコを作業台の上にそっと置いた。
モコは背中を丸めて、ぐったりとしていた。
目は半開き。呼吸は浅い。時々、きりきりと小さな音が聞こえる。
(歯ぎしりだ。痛みを我慢してるサイン)
「トム君、いくつか聞くね。モコは昨日の朝まで、普通に食べてた?」
「うん。いつもの草をいっぱい食べてた」
「フンは? 今朝から、見た?」
「ううん。そういえば、ない」
(やっぱり)
「最近、いつもと違うことはなかった? 食べ物が変わったとか、知らない場所へ連れて行ったとか」
「えっと……この前、雨が続いて、外に出られなかった。それで、ずっと家の中にいて……」
(環境の変化、運動不足、食事の偏り。条件は揃ってる)
「家の中では何を食べてた?」
「干した草。外の草が、湿っぽくてあげられなかったから」
「水はちゃんと飲んでた?」
「ちょっとだけ。あんまり、飲まなかったかも」
聞けば聞くほど頭の中の診断が固まっていく。聴診器をモコのお腹に当てた。
耳を澄ます。
本来なら聞こえるはずの、腸のごろごろという音が、ほとんどしない。お腹にそっと触れる。
張っている。硬い。胃のあたりに空気が溜まっているのが分かる。
「ごめん、ちょっと我慢してな」
モコがびくりと震えた。
(これは消化管うっ滞だ)
「トム君、聞いてほしい」
カイは少年の目線に合わせて、しゃがみ込んだ。
「モコのお腹の動きが、止まっちゃってるんだ。ご飯が通らなくて、お腹が痛くて、それで食べられなくなってる」
「……治るの?」
「早ければ、治る可能性は高い。でも放っておくと危ない」
トムの顔がこわばった。
「だから、今すぐ、始める。手伝ってくれる?」
「うん!」
トムは涙をぐいっと拭って、大きくうなずいた。
その時、入口ががらりと開いた。
「騒がしいと思ったらここかい」
ミレーヌだった。
腰の曲がった体で、ずかずかと入ってくる。
「トムのところの魔獣かい。痛がってるなら、ちょうどいい」
籠から、緑の葉を取り出す。
「この前の薬草を煎じて持ってきたよ。痛みも和らぐし体も落ち着く。すぐ、飲ませな」
小さな瓶をカイに突き出した。カイは瓶を受け取らなかった。
「ミレーヌさん。その薬草は今は使えません」
「なんだって?」
老婆の声が一段、低くなった。
「わしの薬が、毒だと言いたいのかい」
「毒だとは言っていません」
「じゃあ、なんだい!」
「この子の病気には合わないかもしれないんです」
「あんたはわしの何十年を疑う気かい」
リナがおろおろと二人の間で視線を行き来させる。トムは固まっていた。村人たちも息を詰めて、成り行きを見守っている。
重たい沈黙。
カイは息を吸った。
(ここで、引いちゃいけない。でも押し切っても駄目だ)
「疑っているわけじゃありません。教えてください」
「何をだい」
「その薬草が、体にどう働くのか。ミレーヌさんが、長年見てきたことを」
ミレーヌの眉が、ぴくりと動いた。
「……」
「効くのは痛みと、落ち着かせる作用。他に、何か気づいたことはありませんか」
老婆はしばらく黙っていた。やがてぶっきらぼうに言った。
「……この草を食わせた家畜は確かにおとなしくなる」
「おとなしく?」
「ああ。落ち着いて、よく寝る。……そういや、糞が出なくなって、困ったことが何度かあったな」
カイの目が鋭くなった。
「それです」
「なに?」
「この薬草は体を落ち着かせる。それは腸の動きも遅くするかもしれない。モコのお腹はもう動きが止まりかけてる。そこにこの薬を使ったら、もっと悪くなるかもしれません」
ミレーヌは目を見開いた。
「……」
「でもミレーヌさんが見てきたことがなければ、僕は気づけませんでした。教えてくれて、ありがとうございます」
静かな時間が流れた。やがて老婆はふんと鼻を鳴らした。
「あんた、ただの変わり者じゃなさそうだね」
「よく言われます」
「褒めてないよ」
そう言いながらもミレーヌの口の端はほんの少し緩んでいた。
* * *
治療が始まった。
「リナ、お湯を沸かして。人肌より、少し温かいくらい」
「はい!」
温めた布をお腹に当てて、そっと円を描くように撫でる。冷えた腸を温めて、動きを促すためだ。トムにも手伝ってもらう。
「優しく、ゆっくりな。強く押しちゃ、だめだよ」
「うん……」
トムの小さな手が、モコのお腹をおそるおそる撫でる。モコがうっすらと目を細めた。
「それが、気持ちいいみたいだ。続けて」
次に、水分。
スプーンの先で、ぬるま湯を口の端から少しずつ。
「モコ、飲んで。お願い」
トムが小さな声で、祈るように言う。モコの舌がほんの少し動いた。
「今、飲んだ!」
「うん。いい子だ」
ミレーヌが籠の中を探りながら、ぼそりと言った。
「こっちの草なら、腸の動きを助けるはずだ。苦いが毒はない。昔から、腹が張った家畜に使ってきた」
「少量だけ、試してもいいですか」
「好きにしな。ただし、わしも見張るよ」
カイはほんの指先ほどをすり潰して水に溶かした。モコの口へひとしずく。
見守る。
体温、呼吸、お腹の音。
一時間。二時間。
その間もお腹を温めて、撫でて水を含ませる。地味で根気のいる作業だった。トムは一度もモコのそばを離れなかった。
窓の外が、茜色に染まりはじめた頃。
「……あ」
トムが小さな声を上げた。モコのお尻のあたりにころりと丸い粒が転がっていた。
「でた! フンが、でた!」
「よし」
カイは思わず、拳を握った。
(動き出した)
聴診器を当てる。
ごろごろと小さな音が聞こえた。モコの目が少しだけぱっちりと開いている。鼻をひくひく動かして、トムの指先をぺろりと舐めた。
「モコ……!」
トムが泣きながら、モコの背中を撫でた。
「ありがとう、カイ先生!」
(先生、か)
くすぐったい気持ちになった。
帰り際、ミレーヌが扉の前で足を止めた。
「あんた」
「はい」
「魔獣の薬のことならわしに聞きな。薬草のことはこの村で一番詳しいのはわしだ」
ぶっきらぼうな口調。でもその目はまっすぐだった。
「ありがとうございます。心強いです」
「ふん。感謝するのはまだ早いよ」
そう言って、ミレーヌは背を向けた。その時、また扉が乱暴に開いた。
「カ、カイ殿! 大変だ!」
村の男が息を切らして、飛び込んでくる。
「畑がやられた! ストーンボアが、ここ数日、毎晩麦畑を荒らしやがった!」
小屋の中がざわついた。
(ストーンボア。岩のような皮膚の、大きなイノシシ型の魔獣……)
「どうせ、処分するしかないだろう」
男の言葉が重く響く。カイはモコの寝顔と、ソラの寝息を見つめた。
(でも本当に、そうなのか?)
窓の外で夕日が、沈みかけていた。




