審問
審問の間は、石造りの巨大な広間だった。
高い天井。
壁には歴代の管理局長の肖像画。正面の壇上に、重厚な椅子が三つ並んでいる。
傍聴席にはすでに貴族や官僚、記者らしい人物が集まっていた。ざわざわと低い声が広がっている。最後列の壁際には、腕を組んだガルドが立っていた。足元にはグレイが伏せている。
カイはリナと並んで、証言席に立った。足元の籠の中で、ルカが金色の瞳をそっと開けている。
(落ち着け。ありのままを話すだけだ)
隣でリナが小さく息を吸った。首の木製聴診器を、ぎゅっと握りしめている。
「大丈夫だよ」
カイは小声で囁いた。
「リナは、リナの見てきたことを話せばいい」
「はい」
その時、広間の扉が重々しく開いた。
「ベルクハイム伯爵、ご入場」
傍聴席がどよめく。
現れたのは五十代の、堂々とした体躯の男だった。深紅の上着に金の刺繍。指にはいくつもの宝石が輝いている。
柔和な笑みを浮かべている。けれど、その目は笑っていない。
(あれが、伯爵)
伯爵は証言席の前を通り過ぎる時、ちらりと籠の中のルカを見た。その瞬間、ルカの体がびくりと震えた。
「ルカ……?」
リナが囁く。
ルカは籠の中で身を縮め、怯えたような目で伯爵を見ていた。
(この子は、あの男を知っている)
カイは静かに確信した。
* * *
「これより、幻獣個体『ルカ』の処遇に関する審問を開始する」
壇上の中央で、老齢の男が厳かに宣言した。審問長のマルクスだった。白い髭を蓄え、鋭い眼光を持つ。
「まず、保護の経緯をヴェルナー管理官に説明してもらう」
「はい」
ヴェルナーが前に出た。
「一か月半ほど前、領都外れの倉庫で幻獣の密売を摘発しました。その場で、衰弱した竜の幼体が保護されました」
淡々と事実を語っていく。担当官が処分を決めたこと。自分がそれを止め、アルム村に移送したこと。
「それは越権行為ではないのか」
審問官の一人が冷たく言った。局の上層部の人間で、伯爵に近い立場の男だ。
「はい。越権行為です。処分は受ける覚悟です」
ヴェルナーは動じなかった。
「続いて、診察所見をアルム魔獣診療所のカイ殿に」
カイは一歩、前に出た。
「診療所のカイと申します。ルカの診察結果をお伝えします」
静かに息を吸う。
「ルカは代謝性の骨疾患を患っていました。顎と脚の骨が柔らかくなり、脚が変形していました。低体温、脱水、鱗の剥落も認められました」
「原因は」
「長期間、暗い場所に閉じ込められていたことです。日光を浴びられず、カルシウムも足りず、適切な餌も与えられませんでした」
広間がざわついた。
「さらに、左前脚には鎖で繋がれた古い傷があります。足輪の金具には、逆さの鱗の紋が刻まれていました」
カイは小さな金具を掲げた。
「これは黒鱗商会という、密売組織の印です」
どよめきが広がる。
伯爵は表情を変えなかった。ただ、ゆっくりと手を挙げた。
「発言をよろしいですかな」
伯爵は立ち上がった。柔和な笑みを浮かべたまま。
「いやはや、実に痛ましい話ですな。小さな竜が、そのような目に」
その声は深く穏やかだった。
「私は幻獣の保護に人生を捧げてきた者です。このような密売組織は許しがたい。ですから、提案したい。この竜を、当家の施設にお預けいただきたい」
「伯爵の施設に?」
「ええ。領都には、設備の整った保護施設があります。専門の飼育係もおります。僻村の診療所よりも、はるかに安全で適切な環境を提供できる」
傍聴席から、同意するような囁きが漏れた。
(巧みだ。保護者を装っている)
カイは静かに口を開いた。
「発言をよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「伯爵のお申し出はありがたい。けれど、一つ確認したいことがあります。ルカは伯爵を見た時に怯えました。この子は伯爵を知っているのではありませんか」
広間が静まり返った。
伯爵の笑みがほんの一瞬固まった。
「……はて。何をおっしゃるのか」
「ルカは金色の瞳を見開いて震えました。初めて見る人に、あんな反応はしません」
「竜が人を見て怯える。それだけで、何が証明できますかな」
伯爵は余裕を取り戻した。
「動物の反応など、気まぐれなものです。証拠にはなりますまい」
(確かに、証拠にはならない)
カイは唇を噛んだ。
「他に、証拠はありますかな」
伯爵が穏やかに続けた。
「足輪の金具が黒鱗商会の印だとして、それが私とどう関係があるのか。私はそのような組織を知りませんからな」
傍聴席がざわつく。
「確かに、直接の関係は示されていない」
「商会の印だけでは弱いのでは」
そんな声が聞こえてくる。その時、ヴェルナーが前に出た。
「審問長。証拠を追加で提出します」
「何かね」
「倉庫で押収した、黒鱗商会の取引帳簿です」
ヴェルナーは分厚い帳面を掲げた。広間が、水を打ったように静まり返った。
「この帳簿には、商会が扱った幻獣の取引が記録されています。その中に、今回の竜の項目があります」
ヴェルナーは頁を開いた。
「買い手の欄に、符号が記されている。『B』と『鷲の印』。これはベルクハイム伯爵家の取引用の符号と一致します」
「……な」
伯爵の顔が、初めてわずかに歪んだ。
「でたらめだ! そのような符号は知らん!」
「では、伯爵家の帳簿と照合いたしましょう。審問長、許可を」
「ふむ。イゼルダ殿。立会人として、照合をお願いしたい」
「承知しました」
イゼルダが前に出た。
「伯爵家の帳簿は、局が提出命令を出して取り寄せてあります。確認いたします」
「なっ……いつの間に!」
伯爵の声が上ずった。イゼルダは淡々と帳簿を開き、頁をめくった。
長い沈黙。
やがて、顔を上げた。
「……一致しました」
広間が、爆発したようにどよめいた。
「伯爵家の取引符号と、商会の帳簿の記載が、完全に一致しています」
「ばかな……!」
伯爵が叫んだ。
「これは陰謀だ! 私を陥れるための!」
「静粛に」
マルクスの声が重く響いた。
「伯爵。詳しい事情は、後ほど別の場でお聞きします」
「ぐ……」
伯爵は顔を紅潮させた。けれど、それ以上は何も言えなかった。
* * *
「さて最後に」
マルクスが静かに言った。
「この個体の現在の状態を確認したい。イゼルダ殿」
「はい。ルカを床に降ろしていただけますか」
カイは籠から、ルカをそっと抱き上げた。
「ルカ。みんなに、見てもらおう」
ルカは金色の瞳でカイを見上げ、小さくうなずいたように見えた。広間の石の床に降ろす。
ルカは四本の足で、しっかりと立ち上がった。
「……立った」
傍聴席から、息をのむ音が聞こえた。
ルカは一歩を踏み出した。二歩。三歩。
小さな爪が石の床をこつこつと鳴らす。
まだ少し頼りない歩み。けれど、確かに自分の力で進んでいた。
「歩いている……」
「あの衰弱した竜が」
囁きが、波のように広がっていく。ルカは広間の中央まで歩いて、ふと立ち止まり、カイを振り返った。
それから、とことこと戻ってきた。カイの足元で、胸元の聴診器に鼻先をそっと当てる。
その瞬間。
聴診器が淡く光った。
「……!」
金色の光が波紋のように広がり、広間を柔らかく包み込んだ。
「なんだ、今の光は」
「幻獣の力か」
光はほんの数秒で消えた。
けれど、広間の空気は確かに変わっていた。
「イゼルダ殿。今の現象をどう見る」
マルクスが静かに尋ねた。
「私にも分かりません。ただ、この竜が診療所の獣医を強く信頼していることは、疑いようがありません」
マルクスはうなずいた。
「審問官の評議に入る。しばし待たれよ」
三人の審問官が奥の間へ消え、広間に重い静寂が落ちた。カイはルカを抱き上げた。ルカは、カイの胸に顔をうずめた。
(……ありがとう、ルカ)
* * *
評議は長くはかからなかった。再び壇上に三人が並び、マルクスが立ち上がる。
「審問の結果を告げる」
広間が静まり返った。
「第一に、幻獣個体ルカについて。回復の事実が確認された。よって、処分を取り消す」
傍聴席から拍手が起きた。リナが、ぽろぽろと涙をこぼした。
「第二に、ルカの処遇について。アルム魔獣診療所による保護を継続する。そして、幻獣保護法に基づき、十分な回復の後、故郷の山への野生返還を認める」
「……!」
「第三に、ヴェルナー管理官の越権行為について。結果として幻獣の命を救った事実を考慮し、不問とする」
ヴェルナーが深く頭を下げた。
「第四に、ベルクハイム伯爵について」
マルクスの視線が、鋭く伯爵に向けられた。
「伯爵家の取引符号と密売組織の帳簿の一致が確認された。ついては、局の正式な捜査を開始する。伯爵には協力を求める」
伯爵は無言で立ち尽くしていた。
その顔から、柔和な笑みは消えていた。
やがて彼は、ゆっくりとカイの方を見た。
「……覚えておこう。診療所の獣医殿」
低く、冷たい声だった。カイはまっすぐ、伯爵を見返した。
「お待ちしています」
伯爵はくるりと背を向け、従者たちを従えて広間を去っていった。
扉が閉まる。
静寂の後、広間は拍手で満たされた。リナがカイの腕にしがみついた。
「やった……やりました、カイさん……!」
「うん。やったね」
カイはルカを抱きしめた。
ルカは、ぷるると嬉しそうに鳴いた。
その金色の瞳に、窓から差し込む光がきらりと映っていた。




