領都
城門の前には長い行列ができていた。荷馬車。商人。旅人。兵士。さまざまな人々が、順番に検問を受けている。
「すごい人……」
リナが馬車の窓から、目を丸くして外を眺めていた。
「アルム村が百個くらい入りそうです」
「ははは。それは大げさだよ」
カイは笑った。
けれど、確かに圧倒される光景だった。
高い城壁。
石造りの、巨大な門。門の上には槍を持った兵が並んでいる。ヴェルナーが検問の兵に何かを見せた。管理官の、身分証だろう。
兵は馬車の中をちらりと覗いた。
「竜、ですか」
「保護個体だ。審問のために、連れてきた」
「は、はあ。どうぞ、お通りください」
兵は慌てて道を空けた。
馬車が門をくぐる。
その瞬間、視界が一気に開けた。
石畳の大通りが、まっすぐに伸びていた。両側には背の高い石造りの建物が、ぎっしりと並んでいる。
窓には色とりどりの花。店先には様々な品物。行き交う人々の、賑やかな声。
「わあ……!」
リナが窓から、身を乗り出した。
「見て、カイさん! あれ、何のお店ですか! あっちはパン屋さん? 良い匂い!」
「リナ、落ち着いて」
カイは苦笑しながら、リナの肩をそっと引き戻した。
「窓から、落ちちゃうよ」
「ご、ごめんなさい。でも全部、初めて見るものばっかりで……」
リナの目はきらきらと輝いていた。その横顔を見て、カイは少しだけ胸が温かくなった。
(連れてきて、よかった)
けれど、通りを進むにつれて別の光景も目に入ってきた。荷車を引く、大きな牛型の魔獣。
その背中には重そうな荷物が、山のように積まれている。首の周りの皮膚はひどく擦れて赤く腫れていた。
「カイさん」
リナも気づいたらしい。
「あの子、痛そうです」
「うん」
別の通りでは傷だらけの馬型の魔獣が、荷馬車を引いていた。脚を引きずっている。それでも鞭で、追い立てられていた。
「ひどい」
リナの声が震えた。
カイは何も言えなかった。
(診たい。今すぐ降りて、診てやりたい)
そう思った。
けれど、今はできない。ルカを守らなければならない。
「ここが領都の現実だ」
ヴェルナーが前方の御者台から静かに言った。
「魔獣は道具だ。使えなくなれば捨てられる。それが、この都の当たり前だ」
「……」
「私はそれを変えたかった。だから、管理官になった。だが、規則を守ることで精一杯だった」
ヴェルナーの声は低かった。
「君に会って、初めて知った。別のやり方が、あるのだと」
カイは静かにうなずいた。
(この人もずっと闘ってきたんだ)
馬車は街の中心部へ進んでいった。
* * *
魔獣管理局の建物は重厚な石造りの、大きな館だった。正面の扉の上に剣と鎖の紋章が、掲げられている。
「ここだ」
ヴェルナーが馬車を止めた。玄関の前に灰色の制服の女性が立っていた。
「お待ちしていました」
イゼルダだった。
「イゼルダさん」
「ご無事で、何よりです」
イゼルダは馬車の中を覗き込んだ。ルカが金色の瞳で、彼女を見上げた。
「元気そうですね」
イゼルダの表情が、ほんのわずかに和らいだ。
「村で立って、歩けるようになりました。自力で、食事も摂れています」
「ええ。報告は受けています。審問で改めて、確認します」
イゼルダは事務的に答えた。けれど、その視線はルカから離れなかった。
「宿舎を用意しました。竜が休める、暖かい部屋を。こちらへ」
案内されたのは局の、奥の宿舎だった。窓から日光が、たっぷりと差し込む部屋。大きな暖炉が設えられている。隣の部屋には、ガルドとグレイが詰めることになった。
「ここならルカも安心して休めます」
「ありがとうございます、イゼルダさん」
「お礼は結構です。審問を公正に行うための準備です」
イゼルダはそう言って、部屋を出ていった。
* * *
夜、ヴェルナーがカイの部屋を訪れた。
「少し話せるか」
「はい」
二人は窓辺に並んで座った。窓の外には領都の灯りが、星のように瞬いている。
「明日の審問について、改めて説明しておく」
ヴェルナーは低い声で話し始めた。
「審問官は三人。審問長は老齢のマルクス殿。公正な人物だが、慎重すぎる傾向がある」
「はい」
「残りの二人は局の上層部の人間。そのうち一人はベルクハイム伯爵に近い立場だ」
「味方は少ない」
「そうだ。だが、イゼルダ殿は立会人として同席する。彼女は公正に、竜の状態を報告するだろう」
ヴェルナーはそこで、少し言葉を切った。
「それと、規則の付記の件だが」
「ああ、処分の前に診察を経るという」
「検討中、とのことだ。伯爵が強く反対している。『診察など、必要ない。幻獣の扱いは専門家に任せるべきだ』と」
「専門家、ですか」
「ああ。伯爵の息のかかった、飼育係たちのことだ」
ヴェルナーは苦々しげに言った。
「ルカを一番不幸にした人間たち、だ」
「……」
カイは窓の外を見つめた。
「ヴェルナーさん。僕は明日、できる限りのことを話します。ルカの体のこと、これまでの経過、全部」
「ああ。頼む」
「でもそれだけで、勝てるとは限りません」
「分かっている」
ヴェルナーは小さく息を吐いた。
「だから、もう一つ、切り札を用意してある」
「切り札?」
「押収した、倉庫の帳簿だ。商会の取引記録。そこに、伯爵家の符号があった」
カイは目を見開いた。
「それがあれば……」
「ああ。だが、それをいつ出すか。慎重に、見極める必要がある」
静かな緊張が部屋に満ちた。その時、扉がとんとんと叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは見知らぬ、従者の男だった。上質な、深い青色の制服を身にまとっている。
「ベルクハイム伯爵様より、お届け物でございます」
従者は恭しく、一通の封書を差し出した。赤い封蝋に豪華な紋章が押されている。
「……伯爵から」
ヴェルナーの目が鋭くなった。カイは封書を受け取った。
封を切る。
中には金の縁取りをした美しい便箋が入っていた。
『拝啓 アルム魔獣診療所 カイ殿
貴殿の竜の保護に対する献身には敬意を表します。
つきましては明日の審問の前に、ぜひ、直接お話しできればと存じます。
竜を当家の施設にお預けいただければ、診療所には相応の寄付をお約束いたします。
貴殿にとっても悪い話ではないはずです。
ベルクハイム』
カイは手紙を読み終えた。そして静かに折りたたんだ。
「お返事は」
従者が尋ねた。
「お断りします」
カイははっきりと答えた。
「ルカは物ではありません。誰かに、預けるものではありません」
「承知いたしました。主に、そうお伝えします」
従者は無表情で頭を下げ、去っていった。
扉が閉まる。
「買収、だな」
ヴェルナーが静かに言った。
「ええ」
「危険な男だ。断った以上、明日は何を仕掛けてくるか分からん」
「はい」
カイは窓の外に目をやった。領都の夜空に無数の灯りが瞬いている。
(明日が本番だ)
ルカの寝息が部屋の奥から、穏やかに聞こえてくる。その音が、カイの胸に静かな勇気を与えてくれた。




