骨が語ること
翌朝。
小さな竜は眠ったままだった。けれど、昨夜より、呼吸は深い。体に触れると、冷たさが少し和らいでいた。
「よし」
カイはそっと息を吐いた。
「カイさん、おはようございます」
リナが毛布を引きずって起きてきた。目をこすりながら、寝床を覗き込む。
「あ、目、開けてた?」
「うん。夜明けに、少しだけ。それから、また眠ったよ」
「よかった……」
リナはほっとした顔で笑った。
「ところで、リナ。昨日の診察で、気づいたことを言ってみて」
「えっと……体が冷たくて、顎が柔らかくて、脚が曲がってて、鱗が剥がれてて」
「うん。それを全部つなげて考えてみよう」
カイは板に炭で書き出した。
低体温。
顎の軟化。
脚の変形。
鱗の艶がない。
食欲不振。
暗い場所に閉じ込められていた。
「これは病気の名前でいうと何だと思う?」
リナは板をじっと見つめた。
「分かりません。でも骨が、弱くなってる気がします」
「そう。それが、一番の手がかりだ」
「竜のような、鱗のある生き物は日光を浴びることで、体の中で、骨を作る力をつくっているんだ」
カイはリナに説明した。
「日光を浴びないと、骨を作る力が足りなくなる。そこに食べ物の中のカルシウムも足りないと、骨が、柔らかくなってしまう」
「それで、顎や脚が……」
「うん。暗い木箱の中で、長い間、日光も浴びず、まともな餌も食べられなかった。その結果、骨が育たなかったんだと思う」
リナは唇を噛んだ。
「ひどい……」
「だから、治療はシンプルだ」
カイは指を折った。
「一つ、体を温める。二つ、日光を浴びさせる。三つ、カルシウムを補う。四つ、水と食べ物を少しずつ与える」
「それだけで、治るんですか」
「完全に、とは言えない。でも幻獣の竜は日光から、魔力と骨の素を作る力が、とても強いと言われている。条件が整えば、回復が早いかもしれない」
「かもしれない、ですか」
「うん。僕も竜を診るのは初めてだ」
カイは正直に言った。
「だから、様子を見ながら慎重に進める」
最初に日光浴を試した。診療所の庭の、日当たりのいい一角。地面に布を敷いて、小さな竜をそっと寝かせる。
「持ち上げる時は胴体全体を両手で支えて。脚や顎には触らない」
「はい」
リナが緊張した顔で、竜の体の下に手を差し入れた。
「骨が弱いから、ちょっと力を入れただけで、折れてしまう可能性がある。慎重に」
「は、はい……」
ゆっくりそっと。
リナの手が小さく震えながら、竜を持ち上げて、布の上に降ろした。
「できた」
「上手だよ」
朝の日差しが、竜の淡い金色の鱗に降り注いだ。その時、不思議なことが起きた。鱗が日光を受けて、ほんのりと輝きはじめたのだ。
「……光ってる?」
「うん。きっと日光を取り込んでるんだ」
竜の体の表面をうっすらと金色の光が走っていく。冷たかった鱗がじんわりと温まっていくのが手に伝わった。
「すごい……」
リナが息をのんだ。
「これが、幻獣の力なんだね」
「うん。でも焦っちゃいけない。最初は十分くらいから。体が慣れてから、少しずつ時間を増やす」
「はい」
十分後、布ごと日陰に移す。竜は目を閉じたまま、小さく息をしていた。
* * *
「カルシウムの補給はどうするんだい」
昼過ぎ、ミレーヌが診療所に顔を出した。
「卵の殻を細かく砕いて、粉にしたものを使おうと思っています。それから、貝殻の粉も」
「貝殻なら、昔から家にたくさんあるよ」
ミレーヌは棚から、小さな壺を取り出した。
「これをすり潰した粉だ。腹の薬や骨を丈夫にする薬に、昔から使われてる」
「見せてもらってもいいですか」
「ああ」
壺の中の粉を指先でつまむ。白くてさらさらとして無臭だった。
(安全そうだ)
でもカイはすぐには頷かなかった。
「ミレーヌさん。これは他の魔獣に、使ったことがありますか」
「あるよ。ウサギ型にも牛にも」
「副作用は?」
「多く与えすぎると、お腹がかたくなる。それくらいだね」
「分かりました。少量を餌に混ぜて様子を見ます」
「慎重だねえ」
ミレーヌは笑った。
「でもそれでいい。竜は人間みたいに気軽に、薬を使えるもんじゃない」
「はい」
カイは壺の中の粉をほんの少量小皿に取った。
(最初は耳かき一杯のさらに半分)
水に溶かして、スポイトのような細い管で、竜の口の端に一滴垂らした。竜はぴくりと舌を動かした。
「飲んだ」
「うん。反応を見よう」
一時間後、体調に変化はなかった。その後も数時間おきに、少しずつ増やしていった。
午後、ガルドが薪の束を担いで、診療所にやって来た。
「裏の林で、よく乾いた薪を切ってきた。夜通し暖炉を焚くなら、これで足りるか」
「ありがとうございます。助かります」
「竜は冷えに、弱いと聞いたからな」
ガルドはグレイをちらりと見た。
「こいつも昔、冷たい雨の中で傷を負って死にかけた。その時のことを思い出した」
「ガルドさん」
「俺にできることは、荷を運ぶことくらいだ。遠慮なく、言ってくれ」
不器用な声だった。
でもその大きな手が、薪を暖炉の脇に驚くほど丁寧に積み直していくのを、カイは静かに見ていた。
* * *
夜、ひとりきりの診療所でカイは竜の呼吸を数えながら、前世の記憶をたどっていた。
(爬虫類の骨の病気。あの頃は症例がたまにあった)
暗いケージ。日光不足。偏った餌。飼い主の、悲しそうな顔。
骨が、ぐにゃりと曲がってしまった体を抱いて来院した人が何人もいた。
(間に合わなかった子もいた)
だから、今は一つ一つの手順を丁寧に踏みたかった。急がず、でも止まらずに。
「焦らない。焦らない」
自分にそう言い聞かせた。暖炉の火が、穏やかに揺れていた。竜の小さな胸が規則正しく上下している。
その寝顔を見ていると、不思議と疲れが少しだけ和らいだ。
* * *
三日が過ぎた。
朝の診察で、カイは竜の顎にそっと触れた。
「あれ」
「どうしたんですか、カイさん」
「顎が、少し締まってきてる」
昨日までは指を押すと、たわんでいた骨が、わずかに硬さを取り戻していた。
「本当ですか」
「うん。ほんの少しだけど」
リナがそっと同じ場所に触れた。
「あ、本当だ。昨日より、しっかりしてる」
二人は顔を見合わせて笑った。その時、竜がゆっくりと目を開けた。金色の瞳がカイとリナを順番に見た。
昨日までのような、怯えた色は薄れていた。
「おはよう。調子はどうだい」
カイが小さな声で話しかける。竜はまばたきを一つした。そしてほんのわずかに首を傾けた。
「……聞いてくれてる」
リナが嬉しそうにつぶやいた。
「この子、きっと頭がいいね」
「うん。しっかり見てくれてる」
カイは竜の体を慎重に診ていく。脚はまだわずかに曲がっている。鱗も剥がれた部分はそのままだ。でも体温は安定していた。
呼吸も規則的だ。
(最初の山は越えた)
胸の奥がすっと軽くなった。
「名前をつけてあげなきゃね」
リナが竜の背中をそっと撫でながら言った。
「いつまでも『竜』じゃ、かわいそうだよ」
「そうだね。何か、いい名前はあるかな」
リナはしばらく、考え込んだ。
「……ルカ、っていうのはどうですか」
「ルカ」
「はい。小さな、光っていう意味で。……わたしの、亡くなったお祖母ちゃんが、よく言ってた言葉なんです。暗いところにいても、いつか小さな光が道を照らしてくれる、って」
カイはその言葉を噛みしめた。
(暗い木箱の中から、光の下へ)
「いい名前だね」
竜は金色の瞳で、リナをじっと見つめた。
「ルカ。……どう?」
小さな竜はゆっくりとまばたきをした。それが返事のように思えた。




