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祝福 ~そして少女は世界の広さを知る  作者: みーこ


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6話 ~そして少女は方角について知る

 何かがもぞもぞ動いた。

 ふと気がつくと、アストリッドは真っ暗闇の中にいた。目を閉じても開いても真っ暗闇なので不安な気持ちになり、どうしてこんなところにいるのか思い出すのに時間がかかった。――そうだ。木の中にいるんだった。

 また何かがもぞもぞ動いた。

 足元でそれは動いている。少しくすぐったい。暗いからはっきりとはしないけど、たぶん虫だ。足がいっぱい生えている虫。もしかしたら虫のお家にお邪魔しちゃったのかも。


「ふふっ」


 家にいた時とは反対だ。そう思うとなんだかおもしろかった。

 すると今度は低い唸り声が聴こえてきた。アストリッドは驚いて身体をびくりと震わせた。今のは――ああ、エイリクだ。私を家から、あの憂鬱な村から連れ出してくれた、私の神様。ごつごつ、でこぼこした木の中にある、全く違う手触りの一面。柔らかくて不思議な手触りの外套をつついてみると、出入口を塞いでいた大きな背中ももぞもぞ動いた。


「起きたのかね、アストリッド」


 開いた隙間から光が差し込み、エイリクが顔を覗かせた。両の月は仄暗く、どこか眠たそうな気配を漂わせていた。


「まだ日が昇ってから然程時間は経っていないが、出立するかね? それとももう暫くここで過ごすか?」

「出たい。ここ、虫のお家だった」

「……そうかね」


 エイリクの眉が少し困ったように寄せられたが、アストリッドはその意図を察することもなく洞の中から這い出た。衣服についた汚れを軽く払い、脚をよじ登っている虫を掴んで洞の中に戻す。そうしている内に立ち上がっていたエイリクへと、準備万端だと言うように視線を寄こした。


「では、行くとしようか」

「うん」


 段々と明るくなってきた空の下、清浄な空気の満ちる森の中を、それに似合わぬ薄汚れた格好の少女と夜の男が歩き始めた。


 朝の森、というのは――これに限ったことではないが――アストリッドにはとても新鮮なものだった。まず何よりも、息をすると爽やかな気分になる。悪い気というものが一切感じられない。そうエイリクに言ったら、「それを〝空気が美味しい〟と言うのだよ」と教えてもらった。


「じゃあ、村の空気は、ずっと不味いものだったの?」

「そうだな。生活の場は、どうしても雑多なものになってしまう。人があり、家があり、人の使う道具があり、食べ物があり、飲み水があり、酒があり、畑があり、家畜があり……。様々なものが様々な臭いを放てば、必然的に空気も悪くなる。おまけに、君、悪い気が感じられないと言ったな。よく理解している。大勢の人がいれば、悪意を持った者もその分増える。そうした者のせいで、更に空気は濁るのだ」

「ふうん」


 そういうものなんだ。と納得し、アストリッドはまた息を吸った。ここには私と彼の二人だけ。空気を濁す者は誰もいない。それが嬉しくて、また〝美味しい空気〟を吸う。

 歩き出した頃はまだ肌寒かったが、太陽が昇ってくるに従いそれも緩和されてきた。目を覚ました動物たちが活動する音も聴こえてくる。……が、相変わらずこちらに寄ってくることはなかった。


「……いい加減、どこか適当な人里でも探すか」


 ぼやくようなエイリクの低い声に、アストリッドはきょとんと首を傾げた。


「見つからないように、しなくちゃいけないんじゃないの?」


 当然のような疑問を呈するアストリッドに、エイリクは「まぁ、そうなのだがな」と少々投げやりな声色で返した。


「肉が食えんのだ、ここにいては。この通り私の近くに動物は寄ってこない。姿を現そうとしない。故に狩ることもできない。肉が食べたいと思えば誰かに頼る他ないのだよ」

「……お肉、好きなの?」

「ああ。君はどうだね」

「……ちょっとだけ、食べたことある。けど……硬くて、変な味がした」

「ふむ。それは恐らく調理の仕方が悪かったのだろう。だが上手く調理すれば美味いぞ、肉は。焼いても美味いが、山羊《ヤギ》やトナカイの肉を野菜と共に煮込むと特に絶品だ。食べてみたいかね」

「……」


 野菜と煮込む、と言うと、野菜の欠片が入ったスープのこと? それが絶品なの?

 アストリッドは信じられない思いでいっぱいだった。生温い水の中にちょっと野菜が入ってるだけなのに、それが美味しいだなんて。でも、もしかしたらエイリクが言っているのはもっと別の料理のことなのかもしれない。昔と今とでは、食べるものが違っていてもおかしくはない。それにこんなことで嘘をついたって、何にもならない。

 エイリクの言うことを信じてみよう。疑惑が完全に晴れたわけではないが、アストリッドは「食べて、みたい」と返した。


「相分かった。昨夜は少々夜更かしをして、星空を見上げながら位置の把握に努めたのだ。一方向にのみ進んで行けば、いずれ森からも出られる。道を見つけることができればすぐに人里も見つかるだろう」

「星を見ると、方向がわかるの?」

「ああ。昨夜話した師の星――基点となる道しるべの星のことは覚えているね。あれを正面に見据えた時、目の前が北、背後が南、右手が東、左手が西だ」

「……?」


 アストリッドはまた首を傾げた。東西南北の言葉だけなら知っているが、その意味をよく理解していないのだ。

 エイリクもそのことに気づき、「少しずつ覚えていけばいい」と言って彼女の頭を撫でた。


「誰しも初めから何もかもを知り得ている訳ではない。解明されていない謎もまだまだ多い。だからこそ日々学び、新たな知識を得て、未知に立ち向かうのだ。君も貪欲に学ぶといい。知は誰にも奪えぬ力だ」

「うん」


 アストリッドが頷くと、エイリクも満足したように頷いた。

 それからもまだ暫くは森の中を歩いていた。エイリクが言うには西に向かっているらしい。どうして西に行くのかと問うと、アストリッドの暮らしていた村がここよりも東にあったからだと返された。


「反対方向へ行けば追っ手と鉢合わせる心配もない。もっとも、森の中であればどの方角へ行こうともその可能性は低いだろうがね」


 昨日と同じように休息を挟みながら、二人は歩み続ける。先程の東西南北についてエイリクが詳しい話をし、摘み取った木の実を食べ、またお喋りをする。

 そうこうしている内に、ふと視界が開けた。――道に出たのだ。獣ではなく、人が行き来する道に。

 正直なところ、アストリッドは森の中の景色に飽きてきていた。だからこの変化が起きたことが嬉しくて、期待の籠った目でエイリクを見上げた。すると彼もほっとしたような顔でアストリッドを見下ろしていた。


「この道を辿れば人里へ着くだろう。問題はどちらへ進むかだ。君は北と南、どちらがいい」

「えっと……」


 アストリッドは先程教わった方角を思い出しながら考えた。私たちは東から西へ向かってきた。だから今は右手が北で、左手が南で、追っ手が来るとしたら東からだから……。


「……どっちに行くと、西へ行けるの?」


 頭を悩ませながら問うと、エイリクが困ったような笑い声を出した。


「それは進んでみなくてはわからない。この道を北へ進んだからと言って、ずっと北へ向かっていく訳ではないだろう。どこかで曲がりくねり、西へ行くかもしれないし、東へ行くかもしれない。気づいた時には南へ進んでいるやもしれぬ」

「それじゃあ、わかんない……」


 アストリッドは不平を溢した。せっかく方角を覚えたのに、全く役に立たないだなんて。


「ははは。少しばかりからかってしまった。すまないね。だが、私にもこの道がどこへ繋がっているのかわからないのだよ。この道を横切り目の前の森へ入り西へ進んでいく手もあるが……これは最善策とは呼べないだろう。何しろ今の私たちは人里を目指しているのだから。さあ、運試しだ。どちらへ進むと何が起きるか、起きないか。君が〝こちらだ〟と思う方を選んでみたまえ」


 エイリクは何でもないことのように言うが、アストリッドにとっては重大事だった。北へ進むか南へ進むかで今後の人生が全て決まってしまうような気がした。

 右を見て、左を見て、また右を見て……。アストリッドがきょろきょろと視線を彷徨わせていると、エイリクが彼女の肩に手を置いた。


「安心したまえ。何があろうと、私がいる限り君は安全だ。君に危害を加えようとする者共に指一本たりとも触れさせはしない。さあ、選びたまえ。これは君の旅だ。君には己の行き先を決める権利がある」

「……うん」


 どうあってもエイリクはどちらに進むべきかを教えてはくれないらしい。仕方がないのでアストリッドはじっくり考えようとした。でもこんな重大なことを任されるのは初めてだから、何をどう考えればいいのかもよくわからない。北か、南か。どちらへ行けば、西に行けるのか。どちらへ行くと、村のある方向へ戻ってしまうのか。

 悩んで、考えて、目の前の道をじっくり見て、また考えて。どれだけ時間が掛かろうが、アストリッドが答えを出すまでエイリクは黙って待っていた。


「……北」


 そしてとうとう行き先を決めたアストリッドがぽつりと呟いた。エイリクは彼女の肩に置いていた手を頭へと移動させ、優しく撫でながら何故北に決めたのかと尋ねた。


「北を向いていれば、昨日エイリクが教えてくれた星……レイフの、道しるべの星が、見えるでしょ? だから、もし東に進んでも、すぐにわかる」

「ああ、そうだな。その通りだ。昨日今日覚えたことを用いて思考し、決断したか。賢いな、君は」


 褒められたことが嬉しくて、アストリッドは笑みを浮かべた。心なしか顔が熱くなったことを感じながら、頭を撫でるエイリクの大きな手を堪能する。両親が生きていた時のことを思い出す。あの頃も、頭を撫でながら褒めてくれたっけ。


「では、北へ行こう。何が待ち受けているかは進んでからのお楽しみだ」

「うん」

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