5話 〜そして少女は開拓者について知る
「……ふむ。参ったな」
「……うん」
休息を終え、再び歩き始めたアストリッドとエイリク。彼らは星読みのできる開けた場所を探していたが、いつまで経っても視界から木々が消えることがない。森の中にいるのだから当然と言えば当然なのだが、代わり映えのしない景色が続くとさしものエイリクも当惑した様子を見せた。
同様に、アストリッドも打開策が一つも浮かばずにいた。そもそも彼女は今まで村から出たことがない。森へ踏み入るのもこれが初めてのこと。道に迷ったらしいと察することはできても、ではどうすれば出られるのかなど全く想像がつかない。しかしエイリクとは違い、この状況を悲観的に見てはいなかった。むしろエイリクにもわからないことがあるということを知り、少しだけ愉快な気分になっていた。彼にかかれば何でもお見通しなのだと思っていたが、森の中は見通せないらしい。
その後も都度休息を挟みつつ、二人は森の中を彷徨い続けた。依然として鬱蒼と木々が生えるだけの光景に変化は訪れず、遂には日が傾き始める次第。
「不味いな」
このままでは今晩の寝床すら見つけられずに日が暮れてしまう。そう危惧したエイリクが重い溜息をついた。
「私だけなら問題は無いのだが、君を一晩中野ざらしにさせるのは忍びない」
私は大丈夫。アストリッドがそう伝えようと口を開いた途端、エイリクの大きな掌が頭の上に乗せられた。
「これだけ歩くのは初めてだろう。草に擦られ脚にも細かな傷ができているはずだ。無理せず休みたまえ。回復できるものもできなくなってしまう」
「……うん」
エイリクに迷惑をかけてしまった気がして、アストリッドは肩を落とした。彼は気にすることはないと言うだろう。だが自分の体力の無さのせいで何度も足止めをさせているため、どうしても負い目を感じてしまうのだった。
「案ずることはない」
「……?」
エイリクがゆっくりとアストリッドの頭を撫でた。
「旅を続けていれば体力もつく。それにこの旅は今日明日で終わるものでもない。焦る必要は無いのだ。君は君の速度で歩めばいい」
優しく教え諭すような言葉に、アストリッドはおずおずと頷いた。今までは急かされることが多かった。だからこれでは駄目なんだと思い続けていた。しかし彼が焦らなくていいと言うのであれば、きっとそれが正しいのだ。
とは言え今この時に限って言えば、日が沈みきる前に休息できる場所を探す必要があった。二人とも足元に気をつけつつも、先程までより歩く速度を上げて森の中を進んでいく。
徐々に太陽の位置が変わる。未だに彷徨い続ける二人を嘲笑うかのように辺りが暗くなってゆく。時折吹く風の音が怪物の唸り声のようにも聴こえ、その度にアストリッドは身を縮こませた。それを見かねたエイリクが外套の中に彼女を入れていなければ、遅かれ早かれ怯えて一歩も動けなくなっていただろう。
お互いに歩きにくさを黙認しながら、あるとも知れぬ休息地を目指す。アストリッドはどこかに小屋があってくれればいいのにと思ったが、そのように人間にとって都合のいいものは到底望めそうになかった。
まもなく日が完全に沈もうという頃、ようやく大きな木の洞を見つけた。大きな、と言ってもアストリッドならしゃがんで入れば中で多少の身動きができるという程度で、エイリクはどう身をかがめても全身を入れることは叶わなかった。
「致し方あるまい。私は平気だ。君は今晩ここで休みたまえ」
「でも、あなたは本当に、平気?」
腰を下ろし木にもたれかかるエイリク。そんな彼のことが心配になってアストリッドが尋ねると、エイリクは憮然とした顔で答えた。
「多少寒い思いはするだろうが、私であれば凍え死ぬことはない。それよりも君が冷たくなってしまうことの方が心配だ」
「でも……」
なおも引き下がろうとするアストリッド。それを不審に思ったのか、エイリクが考え込むように眉根を寄せた。何度か小さく唸ると、口の中で「なるほど」と呟いてアストリッドと向き直った。
「では、私は一晩中君の隣にいるとしよう。君が隣にいてくれれば寒さも和らぐだろうからね。これで君の心配事も消えただろう」
「……! うん」
アストリッドはほっと安心したように表情を和らげた。
気がつけば完全に日が落ち、星々の輝く時間が訪れていた。木々に囲まれているため葉の隙間から星空が覗く程度ではあるが、アストリッドはどの星を読めばどんなことが分かるのか、気になって仕方がなかった。
「それほどまでに勉強熱心とは、感心なことだ」
しかしだね、とエイリクは続ける。
「こうも見えない部分が多いと、私でも読むのは難しいのだよ。だから今日は代わりに、星に関する物語を聞かせるとしよう」
私の隣に座りたまえ。薄く笑みを浮かべ静かに言うエイリクに従い、アストリッドは彼の隣に腰を下ろした。寒さから守るように彼女の身を外套が包む。
さて、今日は初めて語るわけだから、簡単な話をするとしよう。なに、難しい話では理解できないと侮っているのではないよ。物事には順番があるのだ。語るべき順番が。
これは私がまだ少年だった頃の――何故そこで驚くのかね。誰にでも子供時代はある。私とてこの姿で生まれたのではない。――とにかく、少年だった頃の話だ。
私にはその頃から神格自体は備わっていた。しかし未熟な子供であるが故に、他の神の下で働きながら様々なことを学ぶ日々を送っていた。まぁ、これは神も人の子も変わらんな。
これはその当時の私が師と仰いでいた神の話だ。名をレイフと言い、開拓精神に満ち溢れた御仁だった。……いや、侵略という意味ではないよ。当時はまだ前人未踏の地が多くてね。自ら切り拓いていかなければ、住む場所や農耕をする場所にも困る有様だったのだよ。師は木を切り倒し、荒地を均すことで、人が住まうに適した環境を整えてきた。途方もなく時間のかかる作業であったが、街が一つ完成すると誰もが涙を流しながら自分たちを称え合った。
……そこで私がどのような仕事をしていたか? そうだな。測量をしたり、どのように川の水を田畑まで延ばすか考えたりと、主に頭脳を使う仕事をしていたよ。肉体労働をすることもあったが、そちらはあまり得意とは言い難くてね。頼むからお前は斧を持つなと懇願されたこともあった。……はて、あれは振り上げた斧が師の顔面にぶつかったことが原因だったかな。子供が持つには不向きな斧だったのだろう。
話を戻そう。師や師の仲間たちが開拓することで、人の住む範囲は広がった。師は大層喜んでいたよ。これで住む場所や食べ物に困る人が減るとね。もちろん私も嬉しかった。己の行いが人々の役に立つというのは大変喜ばしいものだ。人に願われ、人に感謝されることで、神格もより強固なものとなる。神格が強まればできることも増え、人の願いを叶えるのも容易となる。これを善意の循環と師は呼んでいたよ。師は悪意とはとんと無縁な御仁だった。
ところでアストリッド。人が広範囲に渡って住まうようになると何が起こるのか、わかるかね? ……そう、その通り。土地の奪い合い――争いが始まる。
理由など何でもよいのだ。領土を広くしたい、もっと農耕に適した土地が欲しい、あちらの村の方が水はけがよい、隣の村の奴が気に入らない……。そうした様々な理由により、師が開拓した土地は荒らされていった。苦労して築き上げた家々も無残に崩れていった。あれほどまでに悲嘆にくれた師の顔を見るのは初めてだった。開拓中に事故が起き、仲間が何人も死んだ時よりも酷い顔をしていた。当時の私も心を痛めたよ。しかし人間同士の戦いにいちいち介入してはいられない。どちらかに与すれば禍根を残す。というのが多数派の意見ではあったが、小競り合いの数が多すぎて対応しきれないのが実情だった。人に願われ戦場へと赴く者もいたが、彼らは大抵戦に関連する神だ。私や師とは役割が違う。
私以上に心を痛めていた師は、毎日のように己の行いが正しかったのか悩んでいた。開拓しなければこんな争いは怒らなかったのではないか、とね。だが師が行わずとも、遅かれ早かれ別の神が開拓し、同じことが起きていただろう。人も神も、欲にまみれている。今ある分で満足することなど到底できないのだよ。君もそうだろう?
そんなある日のことだ。師は、人間たちに問うことにしたのだよ。何故手を取り合うのではなく、その手で互いを叩き合うのか。自分たちの手でこの地を開拓した喜びを忘れたのか、と。師は自ら戦場に赴き、問うたのだ。
……しかし、その言葉は誰にも届かなかった。開拓当時の話など、人間たちにとっては単なる昔話にすぎなくなっていたのだ。我々神は永く生きるが、人間はそうではない。その時戦場にいた人間たちは、開拓した人間たちよりも何世代も後の者たちだった。共に汗水たらした人間は、とうの昔に骨になっていたのだ。
そして……師はその戦場で、亡くなった。殺されたのだ、人間たちに。開拓精神など持ち合わせていない人間たちに。
この死は他の神々にも衝撃を与えた。神が人間に殺されるなどあり得ないと思っていたのだ。しかし事実、師は人間に殺された。その原因を考えた結果、人間の信仰心が薄れていたためだと結論づけられた。当然と言えば当然なのだろうな。開拓が終われば、開拓の神など必要が無い。人間たちから求められなくなっていたのだ。
このように人間たちからの対応は薄情なものであったが、我々神は、かの神レイフの功績をよく知っている。彼が開拓したおかげで生きながらえた者がいる。彼が開拓したおかげで見えた景色がある。彼が開拓したおかげで今がある。そこで神々はその功績を称えるべく、レイフの亡骸を天に上げ、我々の行き先を示す道しるべとした。
……ほら、見えるかね。あの星だ。あの星はあの位置から動くことがない。絶えずあそこから私たちを見守っている。故にあの星は道しるべとなるのだ。これからの行き先を示すための、過去の行いを省みるための。……よくわかったな。そう、星を読む時も、まずはあの星に目を向ける。それから他の星の動きを読む。あの星を起点に開拓していくのだ。
「……さて、こんなものだろう。満足いただけたかね」
語り終えたエイリクがアストリッドを見ると、彼女はうつらうつらと船を漕いでいた。
「すまない。ついつい話がなってしまうのが私の悪い癖だ。今日はもうお休み、アストリッド」
「……うん」
眠そうに目をこするアストリッド。そんな彼女を木の洞の中へと誘い、エイリクはその入口を塞ぐように背中を向けて座り込んだ。するとすぐに、アストリッドの小さな背中が寄りかかる。エイリクはその温もりに目を細めながら空を見上げた。
「師よ。彼女を彼女のいるべき場所に導いてくれたまえ」




