4話 ~そして少女は魔女について知る
「私、死んじゃうのかと思った……」
木漏れ日の下、二人で赤い実を食べ終えるとアストリッドがぽつりと呟いた。あのような苦しい思いをするのは初めてだった。原因も分からないものだから余計に恐ろしい。
隣に座るエイリクは、そんな心情を吐露した少女の頭を優しく撫でた。
「恐ろしい思いをしたのだな。君の体調にまで気を配ることができず申し訳ない。だが案ずるといい。君があの程度のことで死ぬ可能性は殆ど無い」
「本当に?」
アストリッドがおずおずと見上げると、エイリクの両の月が優しく細められた。
「本当だとも。第一に、先程君が苦しんだのは恐らく水分不足が原因だ。長いこと飲まず食わずで歩いていたものだから、身体が苦しみを訴えたのだ。その証拠に、これを飲んでからは苦しみから解放されただろう」
そう言ってエイリクは先程の袋を掲げた。アストリッドはこくりと頷きながら、その袋から水を飲んだ時に感じた疑問を彼に投げかけた。
「でもそれ、本当に水? 何だか味が変だったし、中身が減ってる感じがしなかった」
アストリッドが袋の中の水を最初に飲んだ時に感じたのは、味の奇妙さ。今まで村で飲んでいた水とは全然味が違う。本当に同じ水なのか?
そして飲み続ける内に、どうして減った感じがしないのかと疑問に思った。飲み物も食べ物も、口に入れれば量は減る。水筒の中身を飲めばいずれ空っぽになる。それなのに、彼のあの袋の中身はいくら飲んでも全然減らないのだ。
答えを知るエイリクは決まりの悪い顔をすると、目の前の少女から少し目を逸らした。
「やはりわかってしまうか。今朝水に入れ替えるまでは、この中に蜂蜜酒を入れていたのだよ。君に飲ませる訳にはいかないと思ったのだが、残っていた味や匂いが移ってしまったようだ。その為に違和感を覚えたか……もしくは単純に水質の違いだろう。それと、中身が減らない理由だな。袋の内側に魔法陣が描かれているのだが、それと同じ模様をあの水車小屋の水車にも描いたのだ。常に水に触れているから、水を供給するには申し分ない」
「水を、供給?」
「ああ。描かれた魔法陣は、場所と場所を繋ぐ魔法を応用したものでね。常に減った分だけ供給されるように改造したものだ。酒樽の内側の底に描けば樽が空になるまで供給してくれる。だが、川の水であれば空になることはない。災害が起きて濁ることはあるが、その時はまた別の川と繋げば済む話だ」
ほう、と感心したようにアストリッドが息を吐いた。そんな便利な魔法があるだなんて全く知らなかった。既にある魔法を応用して別の使い方をしよう、なんて発想もしたことがない。世の中は知らないことだらけだ。
水の話題がひと段落ついたところで、エイリクが「そして第二に」と話題を元に戻す。
「君は私と契約を結んだ魔女だ。君には私の加護がある。滅多なことで死にはしない」
「加護? それって、神様が守ってくれる、あれ?」
そう言ってアストリッドが首を傾げれば、エイリクは「そうだとも」と肯定した。
「昔からのしきたりのようなものでね。神々は己の魔女により強力な加護を与えていたのだ。魔女はその役割故に危険な目に遭うことも多い。そのような事態に陥った際に、すぐに命を落としてしまわないためのお守り、といったところか」
エイリクがそこで一旦口を止めると、アストリッドが熱の籠った目で話の続きを、より詳細な内容を促してきた。エイリクはそんな彼女の知的好奇心を微笑ましく思いながら要求に応える。
「私がこの地を支配し始めた頃の話だ。神々は自ら人々と交流し、彼らを導いてきた。しかし神の数に対して人間の数が圧倒的に多い。おまけにいつまでも我々が手を貸しているばかりでは、真に人間のためにはならないと訴える者もいた。そこで我々は代理を立てることにしたのだ。それが――」
「――魔女」
アストリッドの呟きに、エイリクは静かに相槌を打った。
「神の力の一部を授けるに相応しく、それぞれの神の有する魔力と相性の良い、神に忠誠を誓える者。そういった人間が魔女に選ばれ、神の代理人として時に人を導き、人を助け、そして人を罰していた。ああ、ちなみに〝魔女〟と言ってはいるが、必ずしも女性であった訳ではない。たまたま最初に選ばれたのが女性だっただけだ。あやつは無類の女好きであったからな」
呆れたように言うエイリク。アストリッドはそんな彼を見ながら、興味の沸いた質問をする。
「エイリクは、どんな人を選んでいたの?」
「そうだな。私の場合であれば、忠実に職務をこなすことができる者を選んでいたよ。時に人の死を見届けることになるのでね。そこで逃げ出すようでは――」
「あ、あの、そうじゃなくて……」
珍しく話の途中で口を挟んだアストリッド。エイリクは虚を突かれたように目を見開き、彼女の言葉の続きを待った。
アストリッドは何度か口をもごもごと動かすと、若干恥じらうように顔を俯けて言った。
「えっと、男の人なのか、女の人なのかってことを、聞いてみたくて……」
「……ああ」
そういう意味か、とエイリクは納得して答えた。
「どちらも、だな。性別は重視していなかったのでね。生真面目な青年を選ぶこともあれば、腰の曲がった老婆を選んだこともあった。だが、君のような少女を選んだのは初めてだ。これでも年端のいかぬ子供に人間の死体を見せるのは気が咎める方でね」
薄く笑うエイリクを見て、もしかして冗談を言っているのだろうかとアストリッドは考えた。あんなに沢山焼いたのに。
「あれは君が望んだから叶えたのだ。私に願われたのだから、私が叶えなければなるまい」
「……うん」
はぐらかされたような気もするが、アストリッドはこの件についてそれ以上追及する気もなかった。本当に気が咎めるのかどうかなど、どうでもいい。彼が私に遠慮する必要性を感じていないし、私もそうしてほしくない。それが全てだ。
アストリッドは別なことをエイリクに訊ねた。
「神様に選ばれた魔女って、どんなことするの? 私も、これからその仕事、するの?」
「ふむ、そうだな。職務の内容は人それぞれ、神それぞれだ。日照りが続いたせいで乾いた土地に雨を降らせる、法の執行、失せ物を見つける……と、大掛かりなことから些事まで実に様々だ。私の場合であれば、死者の魂を冥界へ導くことと、星々の運行の管理を魔女に任せていた」
「運行の、管理?」
魂を導く、というのはなんとなく理解できる。しかし後者の意味が分からずアストリッドは首を傾げた。一体どのように管理するというのか。
「ああ。私は夜の支配者であり月の簒奪者だ。夜空とそこに浮かぶ星々も私の領域でね。不審な動きをする星がいないか見張るのも、私の役目だったのだよ。星の動きを読んで未来を推測する、と言えば理解できるかね」
「うん」
「読みを誤れば惨事を起こしかねん。時に政治を左右することにもなる、重要な役割だったのだ。故に私の魔女となった者には星を動かす術も与えた」
「星を、動かすの? 動かせるの?」
「もちろんだとも」
エイリクが愉快そうに唇を歪め、くつくつと喉を鳴らす。まるで悪戯を考える子供のようだと、彼の横顔を見ながらアストリッドは思った。
「いかな権力者といえども、星の読み方まで熟知している訳ではない。破滅させたい者がいるなら不運が訪れるように、栄光を与えたい者がいるなら幸運が訪れるように操作してしまえばよいのだ」
彼の鋭い眼光は一体何を捉えているのか。エイリクの話は、アストリッドにとって全くの未知であった。浅ましい心を持った人間が、権力者に取り入るために媚びへつらい弱者を貶めるのとは訳が――規模が違う。もっと壮大な何かをアストリッドに感じさせた。
彼の思考を、彼の見ている景色を、彼が言葉にするその全てを、理解できるようになりたい。そんな欲求がアストリッドの中で膨れ上がる。
「……とは言え、今はもうそのような時代ではない」
エイリクが寂寞とした声色で言った。
「人間は何世代にも渡って知識を伝えていくことで様々な知恵を身につけた。私がいた時代よりも遥かに多くの物事が、人間たちの手により既知のこととなった。あの頃は有効であった手段が、今では何の役にも立たなくなっている。星読みも同様だ。故に、アストリッド。君が無理に古の魔女の役割を覚える必要は無い」
「……そう」
少し突き放すように言われ、アストリッドは肩を落とした。エイリクから色々なことを教えてもらえると思ったのに。
しかしエイリクは気落ちする彼女の姿を見ながら、安心させるように言葉を続けた。
「だが、もし君が星の読み方を学びたいと言うのであれば、早速今晩からでも教えてあげよう。それぞれの星にまつわる物語でもいい。君が望む限り、私は君に知識を授けよう」
「……! うん、ありがとう」
アストリッドが感謝の言葉と共にはにかんだ笑顔を見せると、エイリクも彼女に微笑みかけた。その姿はまるで、神と魔女という契約の関係ではなく、父子のようであった。
「さあ、そろそろここを離れるとしよう。長話がすぎたがおかげで体力も回復しただろう。森の中では星空も見えない。日が暮れるまでに開けた場所を探すとしよう」
「うん」
二人は立ち上がると、今朝よりも幾分か柔らかな空気を抱きながら再度歩みを始めた。
彼らの進む先に何が待ち受けているのか。それは星々にも推測できない不確定の未来だった。




