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祝福 ~そして少女は世界の広さを知る  作者: みーこ


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3話 ~そして少女は会話の楽しさを知る

 どこに何があるのかなんて、全く知らずに生きてきた。

 本の中に出てきたものを見てみたくて、これは何なのか、どこにあるのかと両親に尋ねてみても、芳しい答えが返ってきた試しがない。代わりに他の村人や、村を訪れた行商人に尋ねることもあったが、この村には存在しないという事実を突きつけられるだけだった。誰も詳しく教えてくれなかった。


「君は本を読んで様々な知識を得たようだが、どのような本を読んでいたのかね。聖書だけではないのだろう?」


 水車小屋を出発してから、アストリッドはエイリクと共に道なき道を歩いていた。今にも獣が飛び出してきそうな草むらを歩いていても、綺麗な蝶が目の前を横切るばかりで獣の気配は遠くにしかない。だがそれをアストリッドが不思議に思うことはなかった。昨日もそうであったし、何よりも今はエイリクとのお喋りに夢中になっていた。

 彼の声は深く落ち着きがあり、喧しくがなり立ててくることもない。こちらが言葉に詰まっても、急かそうとせずに待っていてくれるし、時には助け船も出してくれる。頭ごなしに否定してくることもない。知らないことがあれば丁寧に教えてくれる。こんなにも心地の良い話し相手は初めてだった。


「色んな物語を読んだの。騎士が活躍する話とか、聖人が悪魔を倒す話とか」

「それらの本はどのようにして手に入れた?」

「パパとママが、村に来た人にお願いして、譲ってもらったの。食べ物と交換したり、家に泊めさせてあげたりして」

「なるほど。君のご両親は、君のために何を為すべきかを心得ている。善良な心の持ち主なのだな」

「……うん」


 両親のことを褒められて、アストリッドの表情が幾ばくか和らいだ。

 エイリクがまた質問をする。


「文字はどのようにして覚えた」

「……あんまり覚えてないけど、昔から、文字や模様に興味を持ってたみたい。これ何?って何度もパパとママに聞いて、困らせてたって」

「ほう。それでご両親が教えてくれたのかね」


 アストリッドは口を開きかけたところで一瞬固まった。足も止まったので、不審に思ったエイリクも立ち止まって彼女を見つめる。アストリッドはどう答えたものかと迷いながら、ただ一言「何も」とだけ呟いて歩き出した。エイリクもそれ以上は追及しようとせず、話題を移す。


「私に辿り着いたきっかけを聞いてもいいだろうか。気になるのだよ。あの日々の記録がどれほど残されているのか」


 エイリクから俄かに高揚した雰囲気を感じ取り、アストリッドは彼を見上げた。厳格さの漂う相貌は、どこか嬉しそうに緩んでいる。

 アストリッドはまた返答に迷いつつも、彼はきっと怒らないだろうと信じ、当時のことを思い出しながら答えた。


「教会の地下に、こっそり入ったことがあるの。読んだ本の中に、教会の地下にお宝が眠っているものが、あったから」


 子供らしい冒険譚に、エイリクは静かに相槌を打って続きを促した。


「そしたら、本がいっぱい眠ってるのを見つけたの。古い本が、いっぱい。鍵のついた箱の中にあったんだけど……」

「壊したのかね」

「……うん」


 アストリッドは少々後ろめたい気持ちになり、謝ろうとした。しかしエイリクから鋭い視線を感じ、これは謝るべきでないことだと察した。そう、これは、彼と出会うために必要なことだったのだから。

 気を取り直してアストリッドは話を続ける。


「古そうな本だらけで、壊れちゃいそうだったから、家に持ち帰りたかったけど、やめておいた。その代わりに、何度も教会の地下に行って、本を読むことにしたの。書いてあることも古かったから、難しくて、時間がかかったけど、知らないことがいっぱい書いてあったから、面白かった」

「なるほど。それらを読むうちに己の知る歴史やあれの功績に疑念を抱き、また別の神々の存在を知ることとなったわけだ」


 エイリクの言葉にアストリッドはこくりと頷いた。

 教会の地下に保管されていた本は、この国の国民たちがニルスを唯一神として崇めるようになる前のものであった。ニルスとその信仰者たちが南の地から訪れるよりも前、多くの神々がそれぞれの力を以てして人間たちを導いてい時代の話。それはアストリッドにとって、他のどんな冒険譚よりも胸が躍るものだった。


 今まで読んだ本の中で倒すべき敵として現れた悪魔や怪物と同一、もしくは類似した名前の存在が、神として登場し、時に人間の良き隣人として、時に厄介者として描かれる。よく知る描かれ方との違いが面白くて、アストリッドは夢中で読み進めたのだった。

 幾つかの本には焦げ跡がついていたことと、同じ箱の中にあった名も知れぬ誰かの手記から、改宗の折りにそれまでの時代について記された本が燃やされたことが判明した。手記を書いた人物は、燃え盛る炎の中に飛び込んでこれらの本を救い出したらしい。英雄的な行いだと、アストリッドは該当箇所を読みながらその人物を称えた。その後その人物は救い出した本を鍵付きの箱に入れ、簡単に開けることができないように、再度燃やされることのないように、箱に何重も魔術をかけた。その魔術のお陰で誰も手出しすることが叶わず、教会の地下でひっそりと眠り続けていたのであった。


 たどたどしくなりながらもエイリクに説明すると、彼は実に穏やかな顔でふっと笑った。


「そうかそうか。それはその人物に感謝せねばな。ああ、だが名前がわからないのが実に惜しい。できるものなら神の国に招き蜂蜜酒でもてなしたいものだ」

「神様たちの国があるの?」


 アストリッドが驚きながら問うとエイリクは首肯し、「生きた人間を招き入れることはできないのだがね」と前置きしてから説明を始めた。


「神格を得た者や、そこに住まう者に招かれた者だけが訪れることができる場所があるのだ。古今東西、ありとあらゆる世界の神々がそこに住んでいる。人間界で神格を剥奪されようが住み続けることは可能だが、完全に忘れ去られればいつしか消える。それが神にとっての死だ」

「ふうん。じゃあ、あなたがまた生きてるのは、こっちでは神様じゃなくなったけど、忘れ去られてはいないから?」

「ああ。幸か不幸か悪魔の烙印を押されてしまったのでね。忘却の彼方へと行くにはまだまだ時間がかかりそうだ。とは言え……」


 エイリクは深々と溜息をつき、渋面を作りながら頭の角に触れた。


「人間界での在りようが変化すると、その神の姿かたちにまで影響が及ぶことがあってね。私のこの角も、悪魔呼ばわりされるようになってから生えてきたのだ。おかげで寝返りも打てん。これを取ろうと何度も試行錯誤しあれを倒す算段も幾つも立てたが、有象無象《にんげん》共の意識を変えることができなければどうにもならん。全くもって厄介な代物だ」

「えっ。かっこいいのに……」


 アストリッドが素直な気持ちを吐露すると、エイリクは更に渋い顔を彼女に向けた。


「……本気かね」


 こくこくと頷くアストリッド。彼女の純粋な瞳に気圧され、エイリクは視線を彷徨わせながら息を吐いた。


「君の気に入るのであれば、よかろう……」


 いかにも渋々といった体であったが、アストリッドはそんな彼の心中を察することなくこの日一番の笑みを見せた。アストリッドにとっては、この姿のエイリクこそがエイリクなのだ。


 それからも二人はとりとめもなく喋り続けた。アストリッドが疑問を発すればエイリクが答えを示し、エイリクが問いかければアストリッドが時に頭を悩ましつつも回答する。互いのことを少しずつ知っていくこの時間が、アストリッドにはとても新鮮で、また喜びに溢れていた。エイリクは答えを出してくれる。どんな質問をしてもはぐらかさない。知らないと言って突き放さない。たとえ彼の知らないことであったとしても、その理由や彼なりの考えを述べる。こんなことは初めてで、アストリッドが内に秘めていた好奇心や探求心が大いに刺激された。

 暫くの間、ずっと喋りながら歩いていたため、アストリッドは段々疲れを覚えてきた。こんなにも長く喋り通したことも、歩き続けたこともない。しかし疲れたと訴えるのは楽しい時間に水を差すようで気が引ける。それでも顔色を窺う必要は無いという言葉を思い出し、エイリクの外套を掴んで軽く引っ張ってみた。


「どうかしたのかね」


 エイリクが足を止めて尋ねてくる。アストリッドは一瞬交わった視線から逃れるように俯いたが、また同じことで注意されたくない気持ちもあり、意を決すると顔を上げて訴えを口にした。


「つ、疲れた、から……休みたい」

「……」


 彼女を見下ろすエイリクの顔が、時が止まったように固まった。次にぱちくりと目を瞬かせると、やっと時が動き出したのか納得したように「ああ」と声を出した。


「すまない。つい忘れていたよ、君が年端も行かぬ子供の肉体だということを。いや、私のこの肉体は疲労を覚えることがあまりなくてね。考えてもみたまえ。すぐに息切れする神など崇めたくもなかろう。身体の感覚が人間とは若干異なっていれば、こちらに来るのも久々なものだから失念していた。では、何か食べながら休憩としよう」

「うん。……ありがとう」


 運よく鬱蒼と木々の生える森の中にいたため、木の根元に座りながら幹に身体を預けることができた。腰を下ろしたことで身体が重くなったように感じ、アストリッドはこんなにも疲れていたのかと内心で驚いた。暫く歩けそうにない。

 少し待っていたまえ、と断りを入れたエイリクが木の実を探しに行っている間、アストリッドは瞼を閉じて呼吸を整えようとしていた。心臓の音がうるさい。今まで一番大変なのは湖の水を汲んで村まで帰ることだと思っていたが、ずっと歩き続けるのも大変だなんて想像したこともなかった。心臓の音がまだうるさい。足が痛い。小さな擦り傷がいくつもある。草や小枝に引っ掻かれたのだろう。呼吸が全然整わない。


「はぁ……はっ……」


 アストリッドは心臓を抑えながら蹲った。どうしてかわからないが苦しい。涙が出てくる。エイリクに迷惑をかけてしまったから? それとも疲れすぎるとこうなるものなの? 私が弱いせい? これは何かの罰?

 助けを呼ぼうにも上手く声が出せず、更に焦りを募らせるアストリッド。拳をぎゅっと握りしめながらエイリクの帰りを望んでいると、その願いが届いたのか。「アストリッド!」と焦った様子で彼女の名前を呼ぶエイリクの声が聞こえてきた。


「どうしたのかね、大丈夫か!」


 エイリクの呼びかけに、アストリッドは小さく頭を横に振った。未だに心臓が早鐘を打ち、呼吸も苦しい。エイリクは彼女の隣で膝をつくと、小さな背中をさすりながら懐から袋を取り出した。


「先にこれを渡しておくべきだった。水が入っている。飲みなさい」


 アストリッドは袋を受け取り、震える手で蓋を開けて中のものを飲み始めた。水と言うには少し妙な味がしたような気もするが、構わずに飲み続けて、それからまた妙な心持ちがして飲むのをやめた。それを満足するまで飲んだと認識したのか、エイリクが「これも食べるといい」と言って今度は赤い木の実を差し出した。


「少々酸味があるが、元気づけにもなるだろう」

「ありがとう」


 水を飲んだおかげか呼吸も心臓の高鳴りも先程より落ち着き、アストリッドは赤い実を一粒ずつ味わうように食べ始めた。エイリクの言う通り酸っぱかったが、今はそれが心地良く感じられた。

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